209;菜の花の殺人鬼.30(ジュライ)

「ジュライっっっ!!」


 ほど離れたところから、まるで金切り声のような悲しい叫びが聞こえました。

 ああ、なんて情けないのでしょう――大切な人に、そんな声を出させるなんて。

 そんな不甲斐ない真似はしたくなくて、たくさんたくさん頑張ってきた筈なのに。


 たった一度不意を衝かれただけでこれです――僕の、馬鹿野郎。


「もウ、終わリだヨ」

「――っ、まだ……まだ、僕は戦えます、よ」


 黒刀がぶしゃりと引き抜かれ、血振りによって鉄の地面に赤が帯を成します。僕の血です。どくどくと、今も尚鳩尾の辺りから噴き出ることをやめてはくれません。


 ですが。


 意識は朦朧としていようとも、脳が倒れたくて仕方が無いとしても。

 言葉にすれば、不思議とまだ身体に漲る力に気付けるのです。言霊、と言うのでしょうか。何だっていいのですが、とにかくまだ倒れるわけにはいかないのです。


 僕は、死んだら何処に行くのでしょうか。

 きっと僕は“ジュライ”で、彼が“牛飼七月”なのだと分かった今、僕の死に戻り先は一体何処なのでしょうか。

 そう言えば、レベル1だと言うのに、レイヴンさんとこうやって刃を交える間にも仲間がどうにか黒い襲撃者を倒していると言うのに、一向に僕の身体にレベルアップのあの光は訪れません。

 レベルアップ時のあの完全回復、少しはアテにしていたんですけどね。


 ということはつまり、僕はもしかしたらもう、レベルアップなんてしないんじゃないでしょうか。

 ということはつまり、僕は皆と同じ“PCプレイヤーキャラクター”なのでは無くて――――

 今も延焼を続けるこの大宿の親父さんのような。

 あの人情家で思わず助けたくなる【砂海の人魚亭】のエンツィオさんのような。

 その娘さんで、文字通り看板娘である天真爛漫なジーナちゃんのような。

 そんな、――――“NPCノンプレイヤーキャラクター”なんじゃ?


 きっと。

 きっと、そうです。

 なら、死ぬわけにはいかない。

 僕が死んだら――――


「馬鹿ナ……そノ傷でまダ立ツのカ」


 ぼんやりと滲む視界が仄かに明度を増しました。

 はっと目を見張れば、地面から立ち昇る暖かな光が僕を包み、そして傷を癒してくれています。

 これは――《傷塞ぐ風キュアストリーム》です。詠唱が聞こえなかったのは僕の耳がおかしくなっていたからじゃなく、光が僕だけを包み込んでいることからきっと《リトルワード》を併用したからでしょう。


「死は遠退いタかモ知れンが、地獄は延びタゾ」


 ゆらりと黒刀を構えるレイヴンさんは意地汚そうに口角を歪めました。

 ですが僕もまた、そんな彼に微笑みを返します。

 

「お前ノ仲間は、一度裏切っタお前に余程地獄を味わっテ貰いたイと見えル」

「違いますよ」


 断言できる――――振り返らずとも、もう分かります。


 死ねばそこまでなのだから。

 死ねば、もうのだから。


 彼らは、そして彼女は、僕に機会チャンスをくれようとしているのです。

 裏切り、文字通り断ち切った僕に。

 切れた絆を、再び繋げる赦しチャンスを。

 そしてもう一度、共に肩を並べて冒険に興じる赦しチャンスを。


 だから、死ぬわけにはいかないのです。

 生きて、その想いに答えなければ――――!!


「何ダ、そノ、構エは」


 ええ、知らないでしょう――――レベル1になり、初期修得スキル以外の全てを失った僕にはもう、これしかありません。


「そんナ戦型スタイル、知らなイ!」


 僕は笑みを深めました。


戦型スタイルじゃあ、ありませんから――――」


 牛飼流軍刀術。

 僕に残された、始まりであり終わりのカタチ。


きましょう、共に――――っ!」

のハお前だケダっ、ジュライぃぃいイイっッっ!!」


 レイヴンさんが修得した戦型スタイルは、先ずは僕と同じく回転する太刀捌きによって斬撃と共に回避行動に秀でた《戦型・旋舞》。

 そして振り上げと振り下ろしとを主とする、一撃一撃の威力に秀でた《戦型・雷哮》――――一緒なのです。ここまでは、本当に僕とレイヴンさんは似た者同士で。


 決定的に違う、主要な戦型スタイル――――《戦型・黒翼》。

 鋭い跳躍とともに刃を振るう、突撃に秀でたその戦型スタイルは、《雷哮》とは真逆で水平の斬撃を多く用います。

 レイヴンさんのは、跳躍と共に突撃する真横の一閃で相手を翻弄しつつ、相手の目がそれに慣れて来た所に《雷哮》による縦の一閃を見舞う、というもの。

 元より人間は、左右の目が左右にあるからこそ、横に並んでいるからこそ縦の動きには弱いものです。その弱点にレイヴンさんのそのやり方が加われば、強烈な一撃をわけも分からず喰らうだけ。


 《戦型・黒翼》


 《初太刀・牙鳥カラス


 スキル名が更新され、飛び込んで来たレイヴンさんの振り被った黒刀がその背に隠れます。

 その一閃は切っ先を隠し左右どちらから来るかを迷わせることで命中率を上げるのです。ですが左右のどちらからか、と思わせておいて、途中でスキルキャンセルして上から、或いは下からの一撃を叩き込むという筋道もあります。

 意識しない方向からの強撃は損傷ダメージも跳ね上がるのです。そして一度それを喰らってしまうと、スキル以外の攻撃に対しても迷いが出てしまう――悪循環です。


「ガアアアアアアアア――――」


 だから、それよりも速く刺突を繰り出すのです。


「――――ッッッ!!??」


 引き付けたなら、相手の身体が構えから攻撃へと転じるその瞬間を捉え。

 何せその大柄な身体に隠すために、背中にまで大きく振り被ってくれているわけなのですから、しかもそこから円軌道の弧を描く刃閃を繰り出そうというのですから、単純に滑走距離が長いわけです。

 そんな一撃よりも、倒れ込むような感覚で自然体のまま一歩大きく踏み込みながら、相手の目線に合わせた切っ先をそのまま前進する身体の勢いのままに突き出す僕の一撃の方が、速く届くのは自明の理なのです。


「ガッ!」


 そして突き刺す瞬間に地面とは垂直に向いている刃先を横に寝かせることで、僕は身体を回転させて相手の横を擦り抜けながらその動きそのもので突き刺さった刃を引き抜くことが出来ます。

 本来ならば引き抜くと同時に、左右逆の方向にいる相手を居合の如く斬り伏せるのですが、ここにはレイヴンさんしかいませんからそれは出来ません。

 代わりに、振り向きざまに退がりながら引き絞る腕の動きで面打ちを繰り出しました。

 ガキィと金属同士が打ち鳴らされる音が響くと同時に、レイヴンさんの頭上に《初太刀・旋舞》というスキル名を確認します。

 そしてそれは瞬く間に《二の太刀・戦輪》という表示に変わります。


「――っ!!」

「だァっ!!」


 シャリンシャリンと、翻すように振り払った刃閃は掌サイズの渦巻く斬撃を生み、それが僕を目掛けて飛来します。

 僕は知っています。レイヴンさんのアルマ《シャドウ》は、その前段階である《シノビ》同様、メインの戦型スタイル以外の戦型スタイル――僕やレイヴンさんで言うところの《雷哮》や《旋舞》というような――は全くランクが上がらないのです。

 つまりアルマ由来で修得できるのは、初期修得である《初太刀》の一種類のみ。それが《二の太刀》を繰り出して来たと言うことは、つまりアルマでは無く、《隷剣解放》によるもの。


 まぁ、それが分かったところで何かが変わるわけでは無いのですが。

 だから僕は無意識のうちに、身体にしみ込んだ仕草を解き放つだけです。


 戦場に置いた身の緊張を棄て去って脱力することによる前傾。

 弛緩し曲がり撓んだ膝や腰に、瞬間の後にバネの力を取り戻させて。

 額や耳を掠める円盤状の斬撃を見送ることも無く。

 だらりと垂れた手に、ただ引っかかっているだけの軍刀を。


 その状態から一歩踏み出せば、手は軍刀を保持したまま置き去られて後方に流れます。倒れ込むようなその一歩は、僕の上体を前に傾かせ、その陰に刃を隠すのです。

 自然と捩られた上半身と下半身、その捻りを、推進力で得た加速に載せて。

 肩。そして肘。畳むように、柄を胸に引き付けるように。

 それでいて脇は締め、遠くから近くへと引き込む求心を、放り投げる遠心に。

 対象物、刃が描く軌跡よりも遥か、遥か遠くを斬り結ぶように。


 未来を、斬り拓くように。


「――――神薙カンナギ


 牛飼流軍刀術・前敵掛抜拂斬ゼンテキカケヌケハライギリ――或いは通称、“神薙カンナギ”。

 まるで思い出すように久方振りに繰り出したその一撃は、レイヴンさんの左の首筋を深く、とても深く通り抜けたのでした。

 そしてその一瞬の後、ドザリと倒れ伏す音が聞こえては。

 あの、死に戻りの輝きがぶわりと舞い上がったのを、僕は背で感じたのでした。

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