206;菜の花の殺人鬼.28(ジュライ)
促されるまま宿に戻った僕達を、難しい顔をそれぞれに浮かべた皆が迎えてくれます。
ですがそこには、セヴンと出掛けるよりも前にはいなかった方々もいました。
「ワンッ!」
「エクレア?」
蝶番の軋むドアの音を掻き消して駆け寄って来たのは、精悍な顔付きのドーベルマンです。
「覚えていてくれたか?」
しゃがみこんで彼を撫でる僕が顔を上げると、何処か儚げな笑みを浮かべたミカさんがそこにはいました。
「エクレア、なんですか?」
「勿論違うよ。だが、この仕事を受ける際に――
エクレア――ミカさんこと綾城さんが飼っていた犬の名前です。生まれたての姿を見た僕が発した『エクレアみたいだ』という感嘆から名の付いた、それはそれはとても賢い犬でした。
綾城さんは彼を弟のようにそれはもう可愛がっていて、そして僕もまた、時折散歩を共にしたり、野球ボールで遊んだりと。
「エクレア」
「ワンッ!」
呼ばれ、主の下へと戻るエクレアの振り回す尻尾の動きに僕は何だか胸が熱くなりました。
年齢が年齢ですから、本当のエクレアは、もう――――
「ジュライ、話しておかなければならないことがある」
そこから僕達を先導するのは彼女の役割でした。
ミカさんが引き連れて来たのはルメリオさんとアニスさんと言う、クラン【
あの夜に脅威としてアリデッドさん達の前に立ちはだかったあの大きな方はいらっしゃいません。
セヴンはミカさんはともかくとして、そのお二人とも面識があるようで、「その節は」なんて挨拶をしながら頭を下げていました。
「本当なら、……あの子も一緒なら良かったんだが」
そう呟きながら、ミカさんが奥の部屋へと視線を向けました。
妹――ナノカは、まだその部屋から出て来てはいないようです。当然、彼女のパーティメンバーであるスノーさんもアザミさんも、それからアイナリィさんもレクシィさんも。
まだきっと、彼女たちでしか分かち合えない痛みを共有しているのでしょう。
と、思っていたら――――
「ナノカ」
ガチャリとドアが開き、泣き腫らして目の周りを真っ赤にさせた彼女達がそれぞれに鼻を啜りながら、ですが何処か何かが晴れたかのような顔でぞろぞろと出て来ました。
「えっ、綾城さん!?」
「……久しぶりだな。出来れば、会いたくは無かったというのが本音だ」
その言葉の真意は、どうやらこれから語られるようです――ですが、その前に。
ナノカには、どうしてもその前に片を付けておきたいようでした。
そしてロビーの長椅子に腰掛けて固唾を飲んで待っていたあの二人に歩み寄ると、彼女の連刃剣ならば届き得る間隔を開けて、未だ闇色の滲む眼差しで強く見据えます。
「やっぱり、どう考えたって赦せっこ無い」
「「……」」
片や大きく項垂れ、片や視線に視線を返し、そして一際大きく“ゴクリ”という喉の音が響きました。
「スノーはもうこのゲームやめるって。アザミも、お前達のことを忘れて、新しい自分の人生を始めたいって言ってる。でもナノは、どうしたって、やっぱり赦せない。お前達のこと、忘れられそうに無いし、今直ぐにだってずたずたに斬り裂いてやりたい、苦痛で埋め尽くしてしまいたいって思ってる――――でも、今はやめることにする」
大きく見開かれた四つの目が、驚愕の視線を彼女に注ぎました。
「せいぜい逃げろよ。それでも、いつまでかかっても追い詰めて追い詰めて、いつかまた必ず追い付いて、その時こそ、今度こそ必ず――――だからそれまで、いつ死ぬか分からない夜を何度も過ごせばいい」
顔面をぐしゃりと潰されたように皺を作るショウゴさんの唇から、苦悶の呻きが漏れ出ました。
対照的にナツオさんは天井を仰ぎ、そのまま長椅子の背凭れに身を預けます。
「次、ナノに会う時が、お前達の命日だから」
それでもそれは、ナノカが精一杯選んだ“猶予”という形の決着でした。
ナノカも、きっと本当は、スノーさんやアザミさん同様、彼らのことはもう忘れて、無かったことにしてしまいたいのだと思います。
でも頭ではそう思っていても、心がそれを赦さない――そんな彼女が選んだ、精一杯の“猶予”。
ですが。
「悪いが、こいつらの命日は私達が決めることにするよ」
そこに、どうしてそんな口を挟むんですか――――ミカさん。
「綾城さん?」
その表情を見れば、酔狂でそんなことを口走っているんじゃないことくらいは判ります。だからこそ解らないんです。彼女にとって、ナノカは殆ど妹も同然でした。ミカさんだってナノカの事情は知っている筈です、僕の事情を知っているのですから、当然です。
なら、ショウゴさんやナツオさんを、仮初ではあるものの“見逃す”という選択をした彼女に異を唱えることなんて――――
「私たち【
「ついでみたいに言ってますけどミカさん後者の方が割合高めっすよね?」
「気に食わねぇな」
「同感だ」
ガタリと立ち上がったのは、スーマンさんとアリデッドさんです。ですが全く意に介す様子など無く、ミカさんはただ真っ直ぐナノカを見詰めています。
「何で? 綾城さん」
「ミカだ」
その意気に、困惑するナノカがたじろぎました。
そしてミカさんは、そんな彼女に追い撃つ言葉を投げ付けます。
「――ナノカ。言ってしまえば君も、私たちの標的だ」
「っ!」
思わず僕は彼女の前に飛び出していました。ほんの少しの隔たりを合間に、ミカさんの、まるで道場で木剣を突き合わせていた時のような――いえ、それよりも遥かに冷たく暗い、それでいて鋭く痛烈な眼差しが僕に突き刺さっています。
でも、ちっとも怖くなんて無い。
「ミカさん。なら僕を先に仕留めるべきじゃないんですか?」
「ジュライ――その件だが、……君は、残念ながら標的から外れた」
「っ!? どうして?」
ふぅ、と溜息を吐き、ミカさんは懐から取り出した金属製のケースを開けて煙草を取り出し咥えました。そして徐に火を点けると、白く淡い煙を吐き出します。
「……結論から先に言う。ナノカ、君を撃ちたくない。だから君の復讐を私に預けろ」
「嫌だ」
「もう、四人、殺したんだろう? これ以上君がこいつら如きの命を背負うべきじゃない」
「嫌だ。ナノは必ず、こいつらを自分の手で殺す。でも今はやりたくないだけ」
「君はもうこいつらを殺さないよ。その気ならばもうそうしているだろ?」
僕の後ろで言葉を詰まらせるナノカ。
もう一度煙を吐き出して、ミカさんは続けます。
「君のその選択は尊重する。だが――」
「あのー、まだるっこしいんでやめてもらっていいっすかねぇ?」
ルメリオさんが、水を差しました。
「結論から先に言うって言っておいて、どの辺が結の論ですか~? はぁ――上に立つ人間がそんなんで、クランまとめきれるんすか~?」
道化を思わせるような大袈裟な身振り手振りを交えながら煽るルメリオさんに、ですがミカさんも図星なのか押し黙ります。
「僕ちゃんが代わりに言わせて貰いますけど? 先ず初めに、僕ちゃん達の標的からお兄さんが外れたのは、先程の“分かれた”現象によるものです。次に、その現象のおかげで全ての所謂“死んでる勢”が僕ちゃん達の
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