187;菜の花の殺人鬼.10(綾城ミシェル)
「あ、これ買ってええん?」
棚に陳列された弁当を物色している隣で、透明のビニールに包まれた掌サイズの塊を摘まみ上げた
「……稲荷寿司?」
「うちお稲荷さんごっそ好きやねん。あー、五目しか無いかぁ。
「そう言えば、実家は豆腐屋だったか?」
「せやねんで。結構代々続いてる歴史も由緒もある昔ながらの小さい豆腐屋です。地元の稲荷宮にも毎回お稲荷さん納めとるん」
「ほう……」
私が物心つく頃には牛飼流に惹かれていたこともあって、歴々と脈々と受け継がれてきたものには敬意を覚えずにはいられない。いや、逆か? そういう性質だからこそ私は牛飼流に携わったのかもしれないな。
「今度うち帰ったら送りますよ。うちのおとんとおかんの合作お稲荷さん、こないなコンビニのとは比べ物にならへんもん」
「ああ、是非そうしてくれ」
だがそういう自己分析の結果を抜きにしても、朱雁の父母が作った稲荷寿司は食べてみたいものだ。懸念事項はそもそも私の舌がその味わいを堪能できるかどうか――戦場の中でも過酷なものを経験すれば嫌でも空腹と食欲を切り分けられる。つまり、味はどうでもいいから腹に溜まるもの、身体が動くものを兎角飲み込むようになる。
それに慣れれば今度は舌の嫌がりに無視を決め込むことが出来るようになる。凡そ人の食事からかけ離れている餌であっても余裕で咀嚼と嚥下とを可能になる。
そんな私の舌は、朱雁の父母が作る稲荷寿司が伝える歴史と伝統とを、ちゃんと味わいきれるだろうか。ちゃんと、美味しいと感じられるだろうか。
「ん?」
ふと、レジの向こう側の出入口を出て行く外国人の横顔が目に入った。
かなり大柄な男だ。身長は190~200はある。ビッグシルエットの服越しでも判る胸板の厚さ、肩幅もそれなりだろう。腕も豪腕と呼んで差支えない太さだ。
センターよりも左側に少し寄せた分け目から左右に落ちる前髪は目尻を超えて隠し、額から真っ直線に伸びる鼻筋は流石だ。
肌の色から欧米でも北の方の出身だろうことが伺えた。身体つきからしてもそうだろう――個人差はあるものの、寒い所の方が身体は大きくなりがちだ。
人工的な違和感の無い天然物の
甘さを湛えつつも骨太な体格に即応した相貌は、知性を伺える落ち着いた表情の奥に男性的な荒々しさを隠しているように見える。
余計な装飾を身に着けていない辺り、きっと彼は自分のその容姿に対する外からの評価は知っていても、だがそれを得意げに見せびらかしたり誇張するつもりは無いらしい。それはつまり、容姿以外に社会を渡っていけるだけの武器を他に幾つか、或いは幾つも持っていることを示唆している。
「あいつ――――」
「……どないしはったん、お姉様?」
きっと、全くの見知らぬ他人ならばここまで目を引かれなかった。
だが私は今しがた
シーン・クロード――私たち【
そしてヴァーサスリアルの中では、【
ノアから貰ったらしい“管理者権限”という、私たちで言うところの“開発者権限”と似た
切れ者で、かつキレ者――――その両側面をバランス良く持ち合わせている、そういう風に私は認識している。
戦場を経験している私ならば理解できることがある。
理性と狂気、その二つを併せ持つ者は強く、そして怖い。あの
アリデッドという蜥蜴面のPCは未だその域には達していないが、しかしいずれそこに到達するだろう人物だ。そんな戦士だ。
出来ることなら売った恩で繋がったまま、共闘関係を継続したい気持ちは多々ある。だが彼の兄が“
今考えても仕方のないことだとは思わない。ノアがどっちか、それは現時点で掴んでいる情報だけでは判断できないからだ。
だが戦場に身を置く者にとって、思考と判断と想定とは常であるべきだ。
ノアはどういう経緯かは判らないが現実では既に死んでおり、他の“死んでる勢”同様にどういうわけかゲーム内の世界でPCの一人として暗躍している――この認識こそ携えていなければならず、仮にノアがそうだったとしてそれが発覚・確定した時に
だが。
果たして私は、想定する場面にいざ足を踏み入れた時に――
「お姉様? どないしはったん?」
――今、隣にいるまだ
いや、そうしなければならない。
私にとってヴァーサスリアルはれっきとした仕事だ。私の仕事とは、死線を掻い潜って死地を駆け抜ける中で、幾つもの死体を築くこと、
私の命は誰かの死の上に成り立っていて、そして私の生活は誰かの喪失が無ければ存続されない。
そんな環境を、私は天職だと自分から踏み出して行ったんだ。自分自身の意思で、誰に背中を押されずとも、逆に引き留められようと、傭兵の道を選んだんだ。
今でもずっと、その選択は私にとって何も間違ってはいないと断言できる。
私に銃剣術の才能があったかは定かじゃないが、それでも人殺しの素質はあったと確信している。
人を輝かせるのは才能じゃない。そしてそれは、努力でも無い。
どんな才能も、どんな努力も。結局、それが輝く土壌がそこに無ければ何の意味も無い。
環境。才能にも、努力にも、環境が必要なんだ。
人を殺して褒められるためには、それを生業として食っていくためには、戦場が私に必要だった。
それがまさか――こんなことになろうとはな。
幸い、ヴァーサスリアルはゲームだ。
もしも本当に私が朱雁と敵対するしか無くなっても、ゲームの中ならばアイナリィを殺したところで朱雁は無事だ。私との関係以外に彼女が傷つくものは何も無い。
ああ、なら、殺せる。
「いや、知り合いかと思って少し凝視してしまった――人違いみたいだ」
「せやったんか。ちょっこり怖い顔やったで」
「はは、悪い悪い」
朱雁の話だと、シーンも朱雁も互いの素顔は知らない筈だ。いや、シーンは朱雁の本当の姿を知っているか? 久留米ほどじゃないが彼もまた兄譲りのハッキング技術を持っていると聞いている。
だが、ここでの遭遇は恐らく偶発的なものだろう。流石に私の居場所が筒抜けだとは思えないし、そもそも彼が
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