185;菜の花の殺人鬼.08(姫七夕/シーン・クロード)
エレベーターを下り、エントランスのガラス戸を開けると、表通りは完全に夜の風情を見せていました。
背の高い街灯が淡く照らす並木に挟まれた車道すら往来は時々で、すれ違うのは残業でくたびれたサラリーマンの方が数人です。
ぼく達も今朝から結構潜りっぱなしだったわけで、それに加えてナツオさんの件がありましたからかなりクタクタではあるんですが……
「見りゃ分かるって話かもしれないが、俺は結構感情的な人間だ」
最初の角を曲がって公園に面した通りを抜けながらシーンさんがぼそりと言います。
「理想はさ、理知的で冷静。端的に言えば“COOL”になりたい。でも生まれ持ったというか、性分って言うのはうまく変えられねぇもんだな。おかげでみっともない所を大々的に見せびらかしちまった」
「みっともなくは無いと思いますよ」
「そうか? 未だに引き摺ってて恥ずかしいと思ってるんだが?」
「それだけ真面目で、真摯な方だって思いましたよ」
「……あー、調子狂うな」
やっぱり恥ずかしいのは恥ずかしいのか、またも首元をがりがりと掻くシーンさん。ですが先程までよりもほんの少しお顔の険しさは取れています。
「改めてありがとうな、
「お礼を言われるほどのことは」
「したんだよ。どちらかと言えば、アイツの依頼を引き受けるって表明してくれた方だけど」
「ああ……え?」
そろそろ深夜に差し掛かろうという時間。店内にお客はいないことは無いですが、構わずにぼく達はぼく達にしか共通しないあの世界のあのことを話し続けます。
「アイツの正体については割と一目見たときにピンと来たんだ。だからこそ管理者権限を使ってでもそれを確かめなきゃいけないと思った」
「だからですよね? ナツオさんと、ぼくとの三人だけにしたのは」
鷲掴みにしたハーゲンダッツのカップを持ち上げ吟味しては買い物籠に放りながらシーンさんは真剣な表情でこくりと頷きます。
「本当のところ俺は、
「どうしてですか?」
「……そう考える方が普通だと思った。でも君はそうじゃなくて、あ、いや君が普通じゃないってことでは無いんだが」
「うふふ、別にいいですよ。
何度言ってもアイスは奢ると頑として譲らないシーンさんがセルフレジにて電子決済を強行し、アイスの八つ入ったエコバッグはせめて奪われないようぎゅうと大事に抱えたぼくと共に再び店外の駐車場へと自動ドアを出ます。
「でもぼくは、シーンさんは受けるだろうなって思ってましたよ」
「Why?」
「ナツキ君――ジュライがいますから」
事の種別や程度、経緯を考えなければ、ナツキ君もナツオさんも同じなのです。
生前、現実で罪を犯し、その結果死んで、そしてヴァスリの世界に生まれ変わりました。
ぼく達は当然のようにナツキ君を、ジュライを受け入れました。それどころか、一度ぼく達から離れてしまった彼を取り戻したいのです。
そんなぼく達が、どうして同じ“罪人”で“死んでる勢”のナツオさんは拒めるのでしょうか。
ナツオさんを認めないということは、ジュライを、ナツキ君をも認めないってことです。
ナツオさんを赦さないということは、ジュライを、ナツキ君をも赦さないってことです。
「……その辺、アイツらどう考えるかだよな」
「そうですね……アイナリィちゃんもユーリカさんも嫌悪感すごそうですもんね」
「スーマンだって拒否るかも知れない。ほら、レクシィの一件があったろ?」
「確かに……」
取り出したカードキーをタッチしてエントランスを抜けながら、エレベーターホールでふと立ち止まったシーンさんは突然しゃがみ込んで深く嘆息しました。
「どうしたんですか?」
「Dern it……アイスと話に夢中で自分の買い物忘れた」
「ええっ」
シーンさんもこんなミスするんですね、
「んじゃな」
「あ、はい。お気をつけて……アイス、ありがとうございます!」
ひらひらと手を振って、シーンさんはまたもエントランスの向こうの夜道へと向かって行きました。
踵を返して入り込んだエレベーターの狭い孤独は、殆ど無いに等しい重圧と続く上昇感に紛れて不安じみた思考を呼び覚まします。
ぼくはジュライに、帰って来てほしい。もっともっと、一緒にいたい。
でもだからと言って、ナツキ君の犯した罪とちゃんと向き合えるのでしょうか。
ぼくなんかに、ナツキ君の犯した罪を赦すことも赦さないことも出来っこないって言うのに。
それにもう、目を瞑って知らんぷりも出来ません。してはいけないのです。
「……向き合うって、決めましたからね」
そうです。ぽつりと漏れた呟きのように、ぼくは彼と向き合うことを決めたんです。
まだ、お祝いも出来ていません。してもらっても。
もう一か月も経ってしまいました。もう八月も半ばに差し掛かろうとしているんですよ。
それなのにぼく達の“七月七日”は、まだちゃんと迎えられていないんです。
◆
コンビニに舞い戻り、500mlの炭酸水を六本ほど籠に入れてレジに向かう。
ちょうど、切らしていたんだってことを、そしてこれを買い足すためにコンビニに行かなきゃなって考えてたことをすっかり失念していた。
その理由は考えなくても勿論判る――
牛飼七華は牛飼七月の双子の妹、そして牛飼七月と
なら、
諫早夏生は牛飼七華を犯した六人の中の一人――
大好きな人の半身も同然の妹だ。それを汚した相手なのだ。
だから、驚いた。
まさか諫早捺生の依頼を引き受けるとは思ってもいなかった。
そしてその理由が、俺と全く同じだったからこれまた驚きだ。
ジュライを受け入れるってことは、牛飼七月が罪人であるってことを認めて受け入れる行為だ。諫早捺生相手にそれが出来なくて、どうしてジュライだけ特別に出来るのか。
俺は幸いにも、先にジュライを通して牛飼七月という人間を見て知ることが出来た。だが諫早夏生はそうじゃない。たったそれだけの違いしか無い。
無論、牛飼七月と諫早捺生とではやってしまったことの程度も、その経緯も違う。
でも、それでも俺たちは本当はこう考えなければいけない筈だ。
もしも順番が逆だったなら、牛飼七月に嫌悪は抱けていたか? ――って。
「お姉様、何買うん?」
「サラダチキンとサラダ適当に、後は新作のカップ麺が出てたらそれも。ああ、それと――」
電子決済での会計を終えた商品を追加購入したビニール袋に入れて手に提げた俺と入れ違うように、コンビニに入って来たのは女性の二人組だ。
だがその片方を見て俺は咄嗟に顔を逸らした。というか、何でここに!?
殆どヴァスリのアバターそのままじゃねぇか――クラン【
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