182;菜の花の殺人鬼.05(牛飼七月)
ショウゴさんは自分のレベルは今34だと言いました。
プレイヤーロストが発生する要因は僕はよく知りませんが、ですがその条件なら熟知しています。
ひとつ、そのキャラクターのプレイヤーが“死んでる勢”であること。
ひとつ、そのキャラクターのレベルが50以上で尚且つ《
ひとつ、そのキャラクターが《
これらの条件が揃っている場合、キャラクターに“死に戻り”は発生せず、この世界に元々生きる他の存在同様に、死体がそこに残って完全に死亡します。
つまり、二度目の死を迎えるわけです。
僕たちクランにもつい先日、その二度目の死――プレイヤーロストを迎えてしまった方がいました。
ミクロさんという《
彼女がどういう経緯で二度目の死を迎えたのかはよく知りません。
彼女を遺体を持ち帰り弔ったロアさんがそれを受けてどうするのかも、やっぱりよく知りません。
二度目の死の向こうに三度目の生があるのか。それもよく判りません。いえ、きっと無いのでしょう。
ですが確かなことならば一つだけあります。
「軽率な判断になってしまうといけませんから、本当は言うべきでは無いのかも知れませんが」
そう前置きして、僕はショウゴさんに話します。
窪むほどに疲弊した暗い目が徐々に見開かれ、ついには身を乗り出して僕の言葉に聴き入る姿――それを、全く何も思わずにはいられない僕のこの感情は、何と呼べばいいのでしょうか。
滑稽だと嘲笑う僕と。
愚劣だと見下す僕と。
そして、妹を穢しておいて何をと。
そう憤る僕とは、果たして同じ僕なのでしょうか。
ああ、思考が、感情がぐちゃぐちゃです。
本来混じり合わない筈の水と油のような異質が綯い交ぜになって激しく揺さぶられ、掻き乱されたそれらが乳化したかのように一つに結実してしまっている――その気持ち悪さも相俟って、熱に浮かされて酩酊めいた頭はぐらぐらと溶けてしまうようです。
腹に力を込めていなければ、とてもじゃないけど耐えられません。
「ってことは……俺は、殺されても死なないってことか!?」
「はい……現時点で判明しているプレイヤーロストの条件では、ショウゴさんはそもそもレベル34で《
「そうか……そうか……っ!」
傍目に見てもよく判る程に喜びを満面に湛えるショウゴさん。
対する僕の顔はどうなんでしょうか。良かったね、と淡く微笑んでいることなんて無いってことは判るのですが。
薄ら寒い殺気立った表情をしてやいないでしょうか。あの頃何度も影で呼ばれた“鉄仮面”という
「先程も言いましたが、軽率な判断になってはいけません。僕達が知り及びもしない他の何かだって、無いとは限りません」
「ああ、そうだ……絶対に無い、ってことは無いよな、そうだよな……」
「それに、この世界で生きていれば否応にでもレベルは上がります。レベル50を迎えれば、“死んでる勢”は自動的に《
「でも、使わなければいいんだろ?」
「使わずにはいられない時も、無いとは言えません」
「そ、そうだよな……」
「それに」
「それに?」
「……浸かってしまうと思いますよ」
「使ってしまう? どうして?」
微妙なニュアンスは悟られなかったようです。いえ、それで構いません。
初めて《
気付きたくなかった殺人衝動。目の前が真っ赤に染まる程の血飛沫を求めてやまない心の闇。
僕をここまで引っ張って来てくれたロアさんもまた、僕とほぼ同じ衝動を抱えていると教えてくれました。
そしてそれは、死んでも尚果たしたい、果たし続けていたい究極の未練なのだと。
きっとショウゴさんにも、闇はある――いえ、無ければならない筈です。
こいつは僕の妹を穢した暴漢だ。そんな人間に心の闇が無い筈が無い。在ってもらわなければ困る。
そしてそんな闇を腹に抱えていれば、いつか解き放つ時が来る。
撒き散らした欲望の渦に自分自身が飲まれ溺れながら、その心地良さに絶句する。
だからこそ、浸かってしまう。使ってしまう。そうしなければいけない、抑制しようのない欲望が僕達の芯で。
もしもこいつがそうじゃないなら僕は一体何なんだ。
「……どうした?」
「いえ……」
すっくと突然立ち上がった僕に、ショウゴさんは仄かに脅えながらそう声を掛けました。
「少し気分が優れなくて……ちょっとだけ席を外させていただきます」
「そ、そうか……お大事にな」
「……」
何だ、それ――僕がこうなったのは誰のせいだと思っているんだ。
ああ、斬りたい。斬って斬って斬り殺したい――――でも駄目です。我慢です。
二度目の生を受けて、今度こそは真っ当に生きたいと願っているのなら。
ショウゴさんのその在り方を、僕が否定するわけにはいきません。
「――ジュライ。大丈夫?」
「ロミィさん」
僕の変化を察してか、こうしてわざわざ
「少し、気分が優れなくなってしまって」
「そういやジュライが誰かとあそこまで長話するってのも珍しいもんね」
「そう言えば、そうですね」
黒い鉄柵に背を預け、ロミィさんは飄々と笑います。
「気分が悪くなった経緯は後で聞くとして――受ける、でいいんだろ?」
「……はい。もしかしたらその必要も無いかも知れないと思ったのですが、何があるかは分かりませんから」
「それも後でじっくり教えてな」
「勿論」
「じゃあ、契約
「そんな、悪いです」
「悪いのはお前の顔色だっつーの」
ぴん、と折り曲げた指で額を弾かれました。痛いとは決して言えないその衝撃は、ですが鬱蒼とした翳りをほんの少しだけ祓ってくれました。
「……じゃあ、お願いします」
「おっけーい」
「あ、可能ならすぐにでも保護体制を敷いた方がいいかと。もしかすると依頼ではなく加盟の方が話が早いかもしれません」
「分かった分かった。その辺は適当に、うまくやっとくよ」
「ありがとうございます」
「ういー」
そしてひらひらと手を振って、ロミィさんは
僕は彼女の言葉に甘えて、もう少しだけ外で風に当たりたいと考えています。
鉄柵の向こうには人々の営みが広がっています。
クランの
しかしすれ違う親子連れの表情は温かく、また背筋を伸ばしてしゃきりと歩く老紳士の表情は険しく。
駆けていく子供達は嬉々として。馬車を引く御者の笑みは穏やかで――――
この世界の人達にも、僕達と同じような闇があるのでしょうか。
もしもそうじゃないとしても。
そんな闇を抱える僕達が、あんな風に真っ当に暮らせる赦しは、あるのでしょうか。
「――ああ、そうか」
気が付けば言葉が漏れていました。
ですが僕は漸く、彼を守らなければならないという気持ち悪い強迫観念の正体に気付けました。
僕は――――赦されたいのです。
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