173;菜の花の殺人鬼.01(邑上浩章)

 何だって、何だってこんなことになってるんだ、畜生っ!


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ――――」


 息を切らしながら夜の街道をただ只管に走った。

 俺が住んでいた街とは違って、日が落ちれば街灯も無い辺りは闇に包まれたみたいに黒く塗り潰されて、心許ない星明りを照り返すの異形の大剣だけが視認できることがただただ怖かった。


 いや、闇に包まれた夜の街に浮かぶのはその大剣の照り返しだけじゃない――目だ。

 が俺を狙う真っ直ぐな双眸が、鬼火みたいに爛々と燃えて追って来る。


 確信よりも遥かに信用できる予感があった。に捕まったら死ぬってことだ。


「ひぃ、ひぃっ!!」


 だから必死に逃げて、逃げて逃げて逃げて――――やがて街道も外れ、見渡す限りの荒野の真ん中にいた。

 相変わらず夜の闇が辺りを黒く塗り潰していて、脅えながら振り返っても何処までも真っ暗な景色が広がっているだけだった。


「――い、いなく、なった?」


 その場に尻もちを着いた俺は、脅威が去った安堵感から思わず笑った。

 しばらくその場でそうしていると、行商だろうか――通りがかった馬車から下りて来た男に助けられ、その男の向かうデルセンの街に運んでもらうことになった。


「いやはや、旅は道連れ世は情けと言いますが――こうして貴方を助けることが出来て良かった」

「いえ、それはこっちの台詞です……本当に、ありがとうございました」


 もしかするとはこの行商の接近を嫌って俺を追いかけるのをやめたのかもしれない。その真偽を確かめる術は無いが、とにかく命は助かった。なら、この機にが追って来れない遠くへ逃げる他に無い。


「しかし、どうしてまたあんな所に? あそこは滅多に人も通りませんが」

「いや、それが――」


 そうして行商の男に俺は全てを打ち明けた。

 全て、と言っても俺が言えることは少ない。冒険者になったものの、うだつが上がらず適当に日々を過ごす中で急にが現れたんだ。どうして俺の命を狙っているのかは判らないが、神出鬼没でとにかく恐ろしい。

 とは違い、この世界では俺はそこそこ真っ当に暮らしている筈だ。そりゃあ、多少はに手を染めることもあるが、そこまで問題にならないことだってある。


 幸いだったのは、俺はこの世界でも昔の友人達と合流できた、ってことだ。全員じゃないが、過半数は再び繋がることが出来た。

 全員がもしも揃ったなら、あの頃みたくヤバいことを繰り返したい気持ちは大きかったが、でもそれを打ち明けたらリュウガの奴がいきなり日和り出した。


『そのせいで俺達は殺される羽目になったんだろ!』


 まぁ、言ってることは解る。でもどうして怒鳴る必要があるんだ、って話だ。

 リュウガだってそれまでは、悪びれることなく愉しんでいた筈だ。その様子を撮影した映像を裏の流通で販売して小遣いだってそこそこ稼いでた。その金はちゃんと俺達六人全員で分配した。リュウガにだって均等に渡していたし、あいつもきっちり受け取っていた。

 上手く立ち回っていた、その筈だったんだ。

 でも最後まで上手くいったわけじゃなかった。まさかあんななんて、想像なんか出来るわけが無い。


 ああ、そうだ――あの時と一緒だ。あの時の、追い詰められ一人ずつられて行った時の、これ以上は無いって思えるくらいの恐怖に似ているんだ、は。


「それはそれは、大変でしたね……ここ周辺では“菜の花の殺人鬼”も世間を騒がせていると聞きますし、もしかするとソイツかも知れませんね」

「“菜の花の殺人鬼”?」

「ええ、そうです――現在までに四人の被害者が、ソイツに殺されたと言われています。特徴は殺害現場に残された菜の花の花束ブーケ。そこから、“菜の花の殺人鬼”というあだ名が付いたのです」


 ゴトゴトと小刻みに揺れる馬車の中、窓から入って来る風に吹かれながら行商の男は続ける。


「被害者は皆、あなたと同じくらいの年齢の男性――ただ、妙なんですよね」

「妙って、何が?」


 ごくりと唾を飲む自分の喉音が吹き込む風の中でやけに大きく聴こえた。


「はい……聞いた話で恐縮ですが、被害者の男性たちは皆、

「……その、何がおかしいんだ?」

「ええっ!? 失礼ですが、あなたも冒険者なんですよね?」

「ああ、そうだ」

「これもまた聞いた話で申し訳ないですが――冒険者とは?」

「死なない――――あ」


 確かにそうだ。

 この世界で冒険者として存在する俺達は、基本的には死なない。

 女神の加護だとか、アニマの福音だとか言われているが、どういう理屈なのかは知らない。ただ、現象として俺達は不死身なのだ。

 そして死ぬと決まってギルドの自室で目を覚まし、その時には死んだ時から結構な時間が経っている。


 思い返せばそうだ。

 なりたての右も左も判らない頃に誤って毒性のある植物を口にしてしまった時も。

 ダンジョンの奥地で足を滑らせて崖から相当深い底に墜落した時も。

 調子に乗って結構なレベル差がある魔物モンスターに不意を打ったが返り討ちにされた時も。


 どんな時も、死だけを俺達は免れていた。

 そして死ぬことは無いと分かった俺達は、愉しむことはそこそこに、生きることにだらしなくなっていき――そして腐っていった。


 確か、この世界にもう一度生を受けた時は。

 俺は、今度こそはちゃんと、って思ったような気がする。

 そうだったような、いや、その裏であの頃の愉悦を求めていたような気もしないでも無いし、ただ確かなのは今の俺はちゃんと腐っていたってことだ。


 リュウガも、ワタルも、キョウイチも。

 俺と同じでこの世界に生を再び受けた時には同じようなことを思ったって言っていた。でも、あいつらだって結局、やっぱり俺と一緒で腐っていった。

 いや、俺達が出遭ってまた繋がったからこそ腐ったのかもしれないな――その真偽は確かめようが無いけれど。


 きっとショウゴもナツオも――いや、俺達と遭遇していないアイツらは、もしかするとちゃんと生きているのかも知れない。

 この世界で、今度こそ真っ当になって――――


「っ!!??」

「何だっ!?」


 馬車が急停止をかけ、車体が大きく揺れては跳ねた。


「誰だっ!? う、うわぁぁぁあああああ!!」

「ホフマン! どうしたんだ!?」


 御者の断末魔の叫びがこだまし、俺と行商は車体の幌から外に飛び出――そこで驚愕に呼吸の仕方を忘れた。


 三頭立ての馬車、その車体を引く馬のどれもが綺麗に首を斬られており、またそれを操る御者の首もごろごろと俺達の足元に転がって来た。

 車体から漏れる灯りに照らされた顔は苦悶に歪み、見開いた目は死の恐怖がぎっちりと刻み込まれている。


「貴様ぁ!!」

「ぎゃあああああ!!」


 俺達同様に馬車を飛び出した護衛の男達も、次々とやられていく。俺と同じく冒険者であるそいつらは、絶命の途端に光に分解されて消えて行く。


 だ。

 がいる。


 俺を追い掛けるのをやめたんじゃない。行商に拾われた俺を、ここで待ち伏せていたのだ。

 まだデルセンまでは結構の距離がある。そして夜の賊を避けるために迂回したから街道からも外れている。


 心許ない星明かりの下、冒険者達が照らす灯りが映し出す異様な殺人鬼。


 フード付きの黒い外套を羽織り、前掛けのような薄く黒い布で顔全体を覆い隠している。

 両手に握るのは赤く濡れた異形の大剣。先端に切っ先は無く丸く弧を描いており、1メートル程の長さを持つ幅広の刀身は赤く濡れている。


「ぎゃぁっ!!」


 そして冒険者の最後の一人も光と散り、行商は気が付けば何処かへと去って行った後だった。

 薄い黒布の奥に光る双眸が俺を見据え、襲撃者は外套の懐から細やかな黄色の花束ブーケを取り出した。

 菜の花――――菜の花の、殺人鬼。


「何で、何でっ俺をっ!?」


 叫んだところでソイツは答えない。ただただ標的である俺に歩み寄り、そして花束ブーケをぽい、と放り投げた。

 それはトサリと地面に落ち――――その合間に、俺の首もどうやら落ちたらしい。


 どうしてだか、あの行商の言う通り、俺は冒険者だってのに死ぬみたいだ。

 ごとりと転がった首から眺める俺の身体はバカみたく血を噴き出していて、とてもあの冒険者たちみたく光に分解される気配が無い。


 ああ、そう言えば――学生時代に辞書を引いていて面白いと思ったことがある。

 菜の花――所謂いわゆるアブラナの英訳は“Rape”で、“強姦レイプ”と一緒だってこと。どうしてだかそんなことを思い出したところで、俺の意識は無くなった。

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