166;家出.06(久留米理央)
「そこで捜査協力のお願いに上がったわけです」
「お願いて……そんなん言われても」
警察の業務は大半が指示・命令であり、場合によってはそれに従わないことは違法となる。ただしこれは「お願い」と言っている以上任意であり、流石に断られた場合も想定している――いや、その際はただ朱雁ちゃんを諦めるってだけなんだけど。
でもって僕ちゃんがクラン
要は
「先に申し上げた通り――朱雁さんは今現在、この家に帰りたくないという意思を表明しています」
「せやからって警察が匿うんは違うとちゃいますか?」
「ええ。大抵の場合は、事件性が無いことを確認でき次第自宅へとお返しするものです」
「事件性って……」
「多くは虐待です。ただし朱雁さんの口からはそのような申し出はありませんでしたし、僕もその線は薄いと見ています」
「そら、せやろ」
「ただし、だからと言って朱雁さんをお返ししたとなると、彼女は寄る辺が無いことになってしまいます」
「「寄る辺?」」
「はい――彼女は友人・知人にも何も相談せず、また連絡せずに東京へと単身乗り込んで来たんです。つまり彼女には今回の“家出”を相談できるような間柄の者はいなかった。運よく僕たちが彼女を保護しましたが、そこで肝心の僕たちですら彼女の気持ちをないがしろにするようでは、彼女は世界に孤立したと誤認することもあるでしょう」
「孤立て……」
「そうなるとどうなるか――――単身家出をして東京に出て来るほどの行動力をお持ちの子です。溜め込んだフラストレーションの行く先は、内側では無くて外側。自傷行為や自殺ならばまだかける迷惑の範囲は狭いですが、外に向かうタイプならば話は全く変わってきます」
「……どう、変わるんです?」
「事件を起こします」
「「え――――」」
深く寄せられた皺が解き放たれ、今度は額に横薙ぎの線を作る。
見開かれた二対の双眸はしばし瞬きを忘れ、また閉じられない口の奥で歯が小刻みに震える音が仄かにした。
「どういう事件かは残念ながら判りません。いえ、どんなタイプの事件をも起こす可能性があると言えます」
例えば――再び行方を晦ませた彼女の前に、彼女にとって都合のいい理解者が現れたとする。彼女に才能があるのだと、判らないくせにそう嘯き、飼うのだ。この場合、彼女はいずれ性的被害を受けることになるだろう。
命があるならまだ救いのある方だ。暴力で済むとしても命の保証は無く、死後の尊厳すら冒涜的に奪われることだってある。僕ちゃんはこれでも、ネット上に散らばった幾つもの違法ポルノなんかを警察の権限で握り潰して来た。その中には未成年者を標的としたものもあったし、本物のスナッフフィルムもあった。そこで初めて事件が発覚したものもあったんだ。
「追い詰められた生命というのは何をしでかすか判らない危険性を持つものです。その芽を摘まない、というのも警察の本文に反することですし」
「「……っ」」
ぎぎぎと顔を見合わせる様はまるで油が切れて錆び付いたロボットを連想させた。まるで不器用に大粒の唾液をごくりと嚥下した夫妻は、再びスクラップ的な挙動で僕ちゃんを見詰めると、漸く事の重大さに気が付いた。
脅し文句だ。でも僕ちゃんは、嘘を言っているつもりは無い。
多少盛ってはいるが、事実そんな経緯を辿りそんな結末を迎えた人間のことが警察の事件簿に記載されていることを僕ちゃんは知っている。
「お母様、お父様が朱雁さんの将来を案じている気持ちは十分に理解できます。ですがそのためにその将来を喪わせる結果を招くのは避けていただきたいという僕たちの気持ちも、理解していただきたいと考えています」
「そら確かに、そうやけど……」
「それに」
「それに?」
一つ、咳を払う。空気が帯びる緊張の色が変わる。
「どうも僕には、彼女のデザインセンスがどうしてそこまで理解されないのか、よく解らないんですよね」
論点を挿げ替えるのは、このタイミングだ。
「あ、ちなみに僕は自分自身に絵心やセンスがあるとは全く思っていませんし、その方向で何かを成し遂げたことも評価されたこともありません」
捲し立てる僕ちゃんの言葉を聞く夫妻の顔はぽかんと呆気に取られている。
「それに彼女が手がけたデザインは一つしか拝見していませんが」
ここで隣の阿仁屋さんに目配せをする。予定調和、阿仁屋さんは鞄から取り出した数枚の資料を座卓の上にずらりと並べた。
それは、朱雁ちゃんのヴァスリのアバターモデリングを四つの角度から映した画像だ。正面、左右、そして背後。表情や特に
「これは?」
「朱雁さんがオンラインゲームで使用している、彼女が操作するキャラクターのモデリング画像です」
きょとんと目を瞬かせる夫妻。
「このゲームは自身の身体を
「えっ!?」
「ってことは……これ、朱雁言うことか?」
「その通りです――――全然違いますよね?」
そう。朱雁ちゃんとアイナリィとは全く違う姿をしている。
小柄で病的と言えるほど華奢な朱雁ちゃんに比べ、アイナリィは長身、どちらかと言えば痩躯ではあるものの男女両方から支持を得られるちょうどよい肉付きを有する形なのだ――それこそ、モデルのような。
顔付きだって、目をよく凝らせば面影があるのは判るものの、やはりかなり大袈裟に弄った全くの作り物。だと言うのに、その造形は自然で美しい。加減を
そこは両親も察したようで、じぃと見詰める視線の焦点を時折ぼやかせては、眼前の作られた表情と記憶の中の愛娘の表情とを比較しているのだろう。
「極めつけは、全身に施されたこの
顔以外、露出した皮膚の全てに縦横無尽に乱れ咲く黒き墨。
曼荼羅のようであり幾何学的でもあるその意匠は、今にもうぞうぞと動きだしそうな
「彼女はこのモデリングデータを作成するのに、30時間をかけたと言っています」
「「30時間!?」」
「そうです。それも、その間はずっとハンプティ=ダンプティに入りっぱなしで、食事や睡眠は一切摂らなかったそうです。唯一、お花を摘みには出たそうですけど」
またも顔を見合わせる夫妻。その顔が再び僕ちゃんへと向いたのを見計らって、僕ちゃんは次の句を紡ぐ。
「人間の集中力がそこまで持続することって、無いですよ。普通はせいぜい90分、長くても3時間が限界です」
その、十倍もの時間を費やして出来上がったのがこのデータだ。
「ここまで詳細に自分の
押し黙るのは、言葉が出て来ないから。何を言えばいいのか分からなくなるほどに、打ちのめされてしまっているから。
「まだごく一部に、ではありますが――実はこのアバター、ゲーム内でファンも多いんですよ」
「ファン?」
「ファンて……」
「そうです。彼女はそのおかげもあってゲーム内ではそこそこ有名なんですよ」
嘘ではない。ただ、盛ってはいるが。
彼女が有名なのは、ヴァスリ初のレイドクエストで馬鹿みたいな魔力をお披露目したからだ。だが、本当にごく一部に彼女のアバターのファンがいるのは本当。当人が蜥蜴男のアバターをしたキャラクターにすっかり惚れ込んでしまっているからそれらファンが隠れてしまっているだけ。
「つまり、ほんの少しですが芽は出ていると考えてもいいと思います。何を隠そう僕自身、このデザインに惹かれている一人ですし」
あ、これは流石に嘘――僕が惹かれているというか「いいなぁ」と思っているのは、あくまでそのバグから来る性能だから。
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