135;武侠の試練-蛟霊の武.01(須磨静山)

 カタログの中で見た数々の“武”――本当に色んなものがあった。


 髭野郎ダルクの選んだ“竜の武”が最も大々的に紹介されていたのは、きっと一番人気がある武だからだ。確かに与えるダメージを阻む防御力ってやつを無視できるのはヤバい。語彙力が追いつかないくらいヤバい。


 秘伝の武はかなり多くて、他にも色々と目移りしそうなものは沢山あった。


 マナを取り込んで皮膚を硬化させることで重装さながらの防御力を一時的に得られる、盾役タンク用の“鋼の武”。


 自らを追い込むことでトランス状態になって怒涛の剣戟を可能とする“鬼神の武”。


 武を修得することが前提となっている特殊な武器を装備・操作できるようになる“鉾の武”なんてのも面白そうだったな。


 近接職用のものが多い印象だったけど、弓士アーチャー銃士ガンナー用の“鷹の武”なんてものもあったし、属性を操る魔術使いマジックユーザー用の“鳳凰の武”や“氷龍の武”なんてものもあった。


 でもオレが選んだ“蛟霊みづちの武”はカタログの最後の方にちんまりと載っていて、きっとすっごく地味で、そしてすっごく人気が無いんだろうなぁ、なんて思った。

 だからだろうか、どうしても選んでみたい、という強い気持ちが湧き起こったのは。

 そりゃあ勿論、オレは積極的に毒を自分の戦闘スタイルに取り込んでいるってのもあったけど……何て表現すればいいのか判らないそれ以上の何かがオレの中にあったんだ。


 誰にも見向きされないような、取り残された秘伝の武――もしかしたら、もう現実には何処にもいない、このゲームの世界にしか存在しない自分自身とそれを重ねていたのかもしれない。

 ああ、きっとそうだ――見捨てられた存在だってそれこそが、オレがどうにかしたいって思った唯一の理由なのかもしれない。

 レクシィの時だって――――


「――他の女のことを考えてるなんて余裕ね」

「うる……せぇ……っ」


 いや、マジで余裕なんか無ぇ――ぶっちゃけつらい。


 婆さんの喝と同時に途切れた意識が再び接続されたと思ったら、オレがいたのは修練の間じゃなくこの変な場所だった。

 足元も壁も天井も、全てを埋め尽くす毒蟲が這ううじゃうじゃとした空間――人気無いのは絶対このビジュアルだろ、なんて思った。オレは毛虫とか百足とか別に平気なんだけど。


 そしてその真ん中にいるのが、オレに幾つもの毒をぶち込んでくれやがった蜘蛛女――確か、名前をアラニアって言ってたっけ? 前から見ると普通の人間の女、って感じなんだけど――しかも素っ裸だから目のやり場に困る――背中側、腰の辺りから八本の棘のついた肢を伸ばして、その一本一本に全く違う効能の毒を持っていやがる。


「まだまだ先は長いわよぉ……ふふっ」


 ああ――この空間の悍ましさと毒の辛さが無ければこの武は人気出るんじゃないか、主に童貞に、ってなくらいに妖艶に顎を撫ぜられるオレ。でもぶち込まれた毒が痛くて辛くて苦しくて、とてもじゃないけどそんな雰囲気に浸れない。


「さぁ、次は四本目……漸く半分ねぇ?」

「さっさと……しろ……」


 紫がかった黒い毛並みがぼうぼうと生える肢はきしゃりきしゃりと蠢いて、先端の太くも鋭い棘からは粘性を持った透明な液体が滴っている。いちいちエロいんだよ……


「耐え切れなくても……死なないから大丈夫、って思ってる?」

「は……ぁ……?」


 今にも崩れ落ちそうなほどにふらふらな身体を支えるのが精一杯だが、どうにか腹筋をぐっと縮めて声を振り絞った。

 アラニアは悪魔めいた表情で嗤いながら、黒く染まった二つの眼房を細める。


「毒に中てられて……もう二度と起き上がれなかったりして……」


 ぞくりとした――同時に、ぶすりとも。

 視線を落とすと、左の脇腹にあの太く鋭い棘が突き刺さっていた。


「ぁ――――っっっ!」

「四本目ぇ~良かったねぇ? 半分クリアよぉ?」


 こいつ……絶対サディストだ。


 どくどくと注ぎ込まれる痛みそのものに耐え切れず、オレは遂に毒蟲が這う地面に片膝を着いた。途端に込み上げてくる嘔吐感――身体全体が燃えたように熱くて、びしゃびしゃと撒き散らした筈の胃液は黒く濁り切っていた。あれ、血とか混じってる、これ?


「うふふ……五本目はどうかしら?」


 一本目は身体が硬直する毒。力を入れようとしても上手く入らないって言うのに、筋肉が固まったようにその場に立ち尽くすような。

 二本目は神経が過敏になる毒。おかげで精神的にもきっついものがあった。

 三本目で漸く激しい痛みに襲われる毒をぶち込まれ、四本目は……これ、何の毒だ?


「四本目は“融血毒”って言ってね? 血の凝固作用を阻害するの」

「は……ぁ……?」

「耐性が無いと、細い血管なんかは溶けちゃったりするわ」

「ぐ……ぁ……」


 ヤバい。視界が何だか赤くなって来た……頬に液体がこびりついている嫌な感覚がある。これ、目から血、流してないか? あと鼻血も出ている気がする……


「五本目は呼吸不全を引き起こす毒だけど……どうする? やめておく?」

「は……はは……」

「??」

「……やめね、……ぇよ、……っ」


 赤く染まる視界の向こうで、アラニアがにたりと笑った。ああ、サディスティックな笑顔がめちゃくちゃ似合うな、こいつ……


「じゃあその心意気に免じて……少し早いけど、五本目行っちゃおうか」


 ざぐり――突き刺された右肩が爆ぜたような感覚。そして途端に襲い来る息苦しさ。


「――ぁ、――――」

「あと三本よ? 次は幻覚作用のある毒。ワタシは耐性あるから解らないけど、全身の皮膚の内側で百足が這い廻る感触がするんですって」


 ぞぶり――どくん、どくん、どくん。


「次は時間間隔が増大する毒よ。一秒が一分に感じられるんですって」


 じぎり――どくん、どくん、どくん。


「つ――――――――ぎ――――――――が――――――――さ――――――――い――――――――ご――――――――よ――――――――? ――――――――い――――――――よ――――――――い――――――――よ――――――――い――――――――の――――――――ち――――――――に――――――――い――――――――た――――――――る――――――――ど――――――――く――――――――」


 ずどり――――――――どく、ん――――どく――――――――



 あれ?


 え?


 これ、ヤバくない? 何も感じないんだけど……


 目も見えないし、何も聞こえない。

 鼻だってだらだらと垂らしていた血の匂いに塗れていた筈だし、舌だって歯や口蓋の感触を覚えない。

 指先が触れている筈の何かが何か判らないし、そもそも指先が何処にあるかが判らない。


 意識だけがここにあって、だって言うのに身体感覚は何も無い。

 真っ暗闇だから今自分が上を見ているのか前を見ているのかそもそも瞼を閉じているのか見開いているのかすらも。


 さっきまであれだけ燃えているように熱かった身体は寧ろ寒いくらいで。

 あんなにどくどくと張り裂けそうに暴れていた心音すら何も無い。


 オレ、死ぬんじゃね?


 え、そう言えば――あれ以降、死んだことって無かったんだよな。

 最後に死に戻ったのって、確かレイドクエストの時だっけ? その時にはもうオレって死んでたんだよな、現実では――

 なら、ここで毒に負けても死に戻るのか?

 でも、レベル50になって解放フォームから変異シフトに更新して、自分が死んでるんだって知ってからは……死に戻りって、発生するのか?


 死んでみないと判らないけど死んでみてやっぱ死にました、じゃ洒落にならないんだよな。


 ……また、死ぬのか?


 まだ、死ぬのか?


 まだ死ねるのか? それとももう――――




 馬鹿じゃねぇの?

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