134;武侠の試練-麒麟の武.02(姫七夕/須磨静山)

 ですが、その静かな時間も終わります。

 バシャリという水音が遠くから聞こえ始め、それは音量とそして数を増していきます。


 白く煙る霧の向こうに、黒い影が見えてきました。

 宵闇の下で星明りに照らされたように仔細の不明瞭な影は、ですがそれが一体で無いことだけを確かに伝えてきます。

 判っています。

 解っています。

 分かっています――あの影に捕まらぬように逃げ切ることこそ、ぼくが望んで臨んだこの“麒麟の武”の試験なのです。


 目だけでなく耳で、鼻孔で、そして皮膚で。

 全ての感覚を総動員して縦横無尽に襲い掛かってくるあの影から逃げるのです。

 大丈夫――十年前も、結構ギリギリでしたけど攻略クリアしました!


「《リトルワード》――」


 だからもう判っているんです。別に、攻撃したって構わないことは!


「――《戦ぐ衝撃ルインバースト》!」


 叫び上げると、目の前の空間が爆発し、ぽっかりと霧に穴が空きました。


「ギュエェッ!」


 ぼくの視線に晒された、ゼリー状の皮膚を持つ小柄な半魚人のような影の正体は怯んで叫びを上げ、バチャリと尻餅を着きます。


請譲一下ごめんなさいっ!」


 ぼくは転んだその黒い半魚人を跳び越えて開けた霧の中へと身を投じます。

 この半魚人達は霧や闇の中など、人目につかない所では活発ですが、一度ひとたびその容姿が曝け出されてしまうと途端に怯えてしまうという不思議な弱点を持っているのです。

 なので殺到される前に小まめに霧を払って見通せる空間スペースを作り、向かってくる経路ルートを制限してしまえばいいのですが……


「はぁ、はぁっ――」


 しかし流石に近接職向けの試験です――純粋な魔術職ゆえに低い俊敏アジリティのぼくにはなかなかきついものがあります。

 霧を払って襲われる経路を制限しながら逃げたところで、ぼくの逃げ足が早くなるわけではありません。

 次々と群がる新たな影を索敵し、避けては走り抜けるのですが、10の俊敏アジリティと9の強靭ボディではちびっと走っては息が切れ、ちびっと走っては息が切れ、です。

 詠唱士チャンターでは無く魔術士メイジ巡礼者ピルグリムだったなら、もう少し足も速くなっていたかもしれませんが……


 ヴァスリの能力値――俊敏アジリティ強靭ボディ理知クレバー感応ディテクト情動エモートは、キャラクターがどのように冒険をしたかによって成長頻度が変わるのです。

 アニマやアルマによってもそれは変動しますが、それをもとに、キャラクターがどのような行動を取って来たかによってレベルアップ時に成長する能力値がどれかが決まるのです。


 例えば、走り回っていれば俊敏アジリティが、筋トレばかりしていたら強靭ボディが――という風に。


 詠唱士チャンターは魔術の構築式を詠唱している間は全く動けません。呪術士ソーサラーもまた、呪印を刻んでいるその瞬間には全く動くことは出来ません。

 ですからこの二つはともに、俊敏アジリティを成長させにくいアルマとして認知されています。


「ギョギョッ!」

哇靠うゎっ!」


 危ないっ! ――危うく、開始早々に捕まってしまうところでした……一応、触られた程度では失敗にはならず、1点でもダメージを受けない限りは大丈夫なんですが……

 うう、こんなことなら走り込みとかちゃんとしておけば良かったです……


 でも、周囲の気配を伺ったり五感を確りと稼働させていたおかげでぼくの感応ディテクトは20とそこそこ高く、そのせいか敵が迫って来る気配を鮮明に感じられます。

 感応ディテクトがもう少し低かったならあっという間に試験は幕を閉じていたでしょう。


「《リトルワード》――《王の軍勢コンキスタドーレス》!」

『我、来たれり!』


 ここで“囮”を召喚します。通常なら十二人の騎士が現れますが、《リトルワード》で詠唱を省略したために一体しか現れませんが、全身に金属鎧をガチガチに着込んだ騎士様は動くだけで金属同士がぶつかったり擦れたりする騒音を奏でてくれます。

 黒い半魚人――ダゴンは聴覚と触覚に多くの知覚リソースを割いていますから、騎士様の居場所を目指してわらわらと殺到してぼくに見向きしないでくれるのです。


 そしてこの状態なら、《リトルワード》を介さずフルの詠唱魔術チャントマギアを撃ち放つことが出来ます。

 相手は水属性に耐性を持つ分、ぼくの得意とする木属性には弱い――つまり、選択するのはこの魔術。


「――天より墜ちて地に響き

   大気に兆す万雷の音

   旋律は戦慄へと転化せよ

   昏迷に轟け霹靂の鐘――


 《劈く雷鳴サンダークラップ》!!」


 ぱりぱりと紫電が収束して大きな放電膜が現れ、弾けた瞬間には目を開けてはいられない膨大な光と、そして鼓膜が一瞬にして縮み上がるような轟音。

 そして目と耳が回復した頃には、目の前一帯の霧は晴れ、二十体以上のダゴンたちがひっくり返ってピクピクと痙攣しています――そこまで強くは無いんですが、やたら生命力が高いんですよね……

 あ、騎士様がいません……多分巻き添えを喰らって消し飛んでしまったんだと思います。ごめんなさい……正直、そこまでの余裕は無いのです。


 しかしまた霧が立ち込めて来ました。

 ぼくは踵を返して再び《リトルワード》と《戦ぐ衝撃ルインバースト》のコンボで道を切り開きながら、殺到するダゴンの鉤爪を掻い潜ります。

 時折、《王の軍勢コンキスタドーレス》で喚び出した騎士様を囮や盾に使い、《遥か一時クロノスタシス》で自分自身の移動速度を底上げしながら――そうして十五分が過ぎた頃でしょうか。


『合かぁーっっっく!』


 お婆さんの声が霧立ち込める浅瀬に轟いたと思ったら、立ち込めていた霧が晴れ渡っていき――そこは、あの修練の間でした。

 ぼくはその空間の真ん中に立っていて、目の前にはもう紫色の輝きを双眸に点していないお婆さんがにかりと笑って立っています。

 きょとんと振り返ってみてみれば、スーマンさんはカタログ画面をもう見てはいなくて、レクシィちゃんと一緒に真剣な表情でぼくのことを見詰めていました。


「冒険者セヴン。魔術使いマジックユーザーという不利にも関わらず見事、知略を巡らせこの試練を切り抜けた。お前は麒麟の武を授かるに相応しい」

「あ、……ありがとう、ございます」


 ぴろん――通知音が鳴り響き、視界の左上に新着メッセージを受信したというポップアップが現れました。

 恐らく――というか確実に――麒麟の武を継承できる武侠の情報です。

 うわぁ、わくわくしてきました!


「さて……冒険者スーマン・サーセン」

「ああ」


 振り返るとスーマンさんが立ち上がり、首を傾げてゴキゴキと音を鳴らしながらぼくの方へと歩み寄ります。


「決まったのか?」

「決めたよ――オレは、“蛟霊みづちの武”に挑む」




   ◆




「決めたよ――オレは、“蛟霊みづちの武”に挑む」

「ほぅ――」


 婆さんが不敵に笑みやがった。それと同時に、ごくりと言う唾を飲む音をセヴンの喉が立てる。


「セヴン、お疲れ――ぶっちゃけただ真っ直ぐ立ってたようにしか見えなかったけど……うわ、めっちゃ汗掻いてんじゃん」

「え? あ、本当ですね……あでも、試験の内容が内容でしたから」

「そっか。じゃあその辺、後で教えてくれよ」

「はい。スーマンさんも、ファイトです」

「おう!」


 レクシィの元へと走っていくセヴンの背中を見送って、「もう終わったか?」と問う婆さんへと振り返る。

 先程迄と同様に紫色の光を点した二つの目がぶっちゃけ怖いんだけど……


「もう一度訊くが、本当に“蛟霊の武”を望むか?」

「何だよ、悪いのか?」


 まぁ、婆さんがそう訊くのも頷ける気はする。試しにレクシィに「これなんかどうよ」って訊いてみたら可愛い顔を蒼褪めさせていた。

 そりゃそうだ――だって、この武は。


「……お主が、果たして王国秘伝の“毒”に耐え切れるのかのう」


 そう。“毒”の武だからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る