122;辺境を覆う暗雲.16(須磨静山)

「――なるほど。封印を欲しているのはイスティラス侯爵か」

「!?」


 ニコの言葉に目を見開いた灰色髪の男――しかし懐から一枚の護符とそして金属の輪に納まった水晶体のような形容し難いものを取り出した。


「お前たちが真相を知っていようがいまいが俺には関係ない。どの道ここでくたばってしまえば変わらない!」

「へぇ――出来ると思ってるのか?」

「ほぅ――出来ないと思っているのか? 来い、“エンプーサ”!」


 掌に納まるサイズの水晶の嵌った円環を空高く掲げたと思ったら、その円環はふわふわと浮かび上がって西日差す空にパリンと破片を撒き散らす。

 するとそこから魔術円が展開され、ぱりぱりと紫電を纏いながら地面へと落ち、湧き立つ影がぐねぐねと蠢いては集合し、そして一体の女性型の魔物を形作った。


 影そのもので織られたような艶消しマットな質感の紋様を青銅色の肌に巡らせた、下半身は灰色の毛並みを持つ馬の胴体となっている黒髪の美女。

 白目と黒目の境界は無く眼球そのものが黒く塗りつぶされており、そして全身を煌々と覆う気迫オーラがオーロラのように揺らめいている。


「エンプーサ……レベル帯は70から90、そこそこ強敵じゃないか」


 魔物のレベルは個体によって多少の差異があるものの、おおまかな指標として“レベル帯”という言葉がある。大体はその範囲に納まる、って意味だ。

 つまり眼前に現れた妖艶エロティックな悪魔女のレベルは最低でも70――対するオレは56で、ニコが一番高く67、リアナが65。


 ただし冒険者と魔物のレベル差はスキルの練度やトリック次第である程度は覆せる――だから例えレベル90だったとしても、全滅ってことにはならないと思う。


 いや――そんな及び腰でどうするよ、なぁスーマン。ここに姫君はいなくとも、お前はレクシィの騎士なんだろ? その立ち位置に恥じない振る舞いをしろ!


「俺は先にとんずらこかせてもら」

「させるかよ!」


 放たれた《バタフライエッジ》により回転する双剣の一振りが手に持つ護符を弾き飛ばした。「ナイス!」とリアナが跳び出し、大きく飛んだ護符を奪うために疾駆する。


「くそっ、〈転移の護符テレポート・アミュレット〉が!」

「ブシュッ、フォオオオオオオオオ!」


 灰色髪の男も当然護符が飛んだ先へと駆け出し、そしてリアナの進行を阻むためにエンプーサまでもが地を蹴った。

 しかしリアナの方が速い――頭上に《ラピッドファイア》という文字列を浮かべると、両腰の銃鞘ホルスターから抜き放った二丁拳銃で逆に進路を制限するように弾丸を撃ち出す。


「《ソニックセイバー》!」


 そこに加えて空中に飛び上がったニコの遠隔斬撃による援護射撃。オレも負けじと、まだ手元に残っているもう一振りを効果の残る《バタフライエッジ》によって投げ放った。


「クソがっ!」

「お前だよっ!」


 駆け寄りながら《バーサーク》を行使。胸の内のどす黒く渦巻く負の感情はもくもくと煙るように湧き立ち、全身に激しく遡る熱の奔流を感じながら拳を振るう。


「らぁっ!」

「がっ!」


 灰色髪の横っ面を殴り飛ばし、そこで手に戻って来た双剣で《スラッシュダンス》を繰り出す。

 しまった――鞘の毒を補充するのを忘れていた。あれ、一度燃えると毒の効果が無くなるんだった。つまり今濡れている双剣の刃に弛緩毒の作用は無い。


「ぬぅぁあっ!」

「おっとぉ!」


 弓を捨て、腰の鞘から抜いた直剣で剣戟に応じる灰色髪。振り抜かれた刃を上体を反らして避けた瞬間、右の脇腹に激しい衝撃が走り、オレの視界が左方向へとスライドする――どざりと土の上を転がって立ち上がれば、主を攻撃されてお怒りなのかエンプーサが肉薄しようとしていた。


「ギャアッ!」


 しかし空から回り込んでいたニコの《ソードダンス》を受けてたたらを踏むエンプーサ。後方からもリアナの狙い定められた銃撃が致命の一撃クリティカルを叩き出し大きく体制が崩れる。


「ぜぁああああああああ!!」


 低い体勢へと飛び込みながら斬り上げる交差の斬撃を見舞った直後に《デッドリーアサルト》――大きく後方へと振り抜かれた両腕が急速に前方へと突き出され、身体ごとぶつかる双剣の突撃はエンプーサの馬の胴体を斬り裂きながらその後方へと抜け出る。


「貴様らぁあああっ!」


 痛烈な斬撃を浴びてぐったりと硬直するエンプーサを庇うように前に出た灰色髪が直剣を振り上げ、その剣身が光に包まれる――頭上に浮かぶ文字列は何処かで見たことのある《レイブレード》。

 空を劈くように伸びる一条の光。しかしそれが振り下ろされる前に接敵したニコが怒涛のスキル連撃を繰り出した。


 オレの《デッドリーアサルト》のように斬り付けながら突撃する《ソードラッシュ》、灰色髪のスキルを無効化キャンセルさせながら双剣で同時に斬り上げる《ダブルスラッシュ》、《原型解放レネゲイドフォーム》で得た光の双翼の推進を利用して宙へと蹴り上げ、自らも空中に飛び上がって斬り付ける《エアリアルレイド》、そして最後は――


「《イサリッククロス》!」


 灰色髪が直剣に宿したのと桁違いな太さを誇る巨大な十字の剣閃が轟き、もはや物言わぬ灰色髪がどたりと土の上に一度跳ねて横たわった。


「《フルショット》!」


 片やエンプーサはリアナによる全弾放出の連続銃撃によって血肉を散らし、吸血種特有の生命力ヒットポイントを奪うスキル《ライフアブソーブ》を使う暇も無く絶命した。

 解放フォーム状態を解除し土の上に降り立ったニコは涼しい顔をしている。リアナも――こいつら、いい汗掻いたくらいにしか思ってないんじゃないか? 何だよ、蹴られたり土で汚れたのはオレだけかよ。


「恐らくだけど、レベル80未満だったんじゃないかな?」

「この男も三次職テルティアまでは行ってないみたいだしね」


 クソ――レベルもそうだが地力が違う。双剣の扱い方、戦況を見る眼、予測とそれを元に立てた対策を打つまでの動きの流れ、スキルの繋ぎ方……何もかもが、オレよりも遥か高みにいる。


「……勉強にはなったかな?」

「凄すぎて逆にならねぇよ」

「凄いと思ってもらえただけでも、君にはちゃんと実力が伴っているってことなんだけどね」

「嫌味かよ。性格悪ぃな」


 リアナが横で「それあんたが言う!?」なんてツッコみを入れているけど気にせずニコは吹き出し笑った。


「ちなみに、えげつない連撃だったけどちゃんと生きてるんだろうな?」

「ああ、多分大丈夫だと思うよ? 手心は加えたさ」


 アレのどの辺りに加わっているのだろうか。最後の《イサリッククロス》なんか馬鹿みたいなデカさだったけど。

 そんなことを思いながら嘆息しつつ、オレはゴーメンを出して毛並みから〈弛緩毒〉を取り出し、蓋を開けた小瓶から紫色に揺らめく液体を二滴ほど灰色髪のあんぐりと開いた口の中に垂らした。

 万が一にもこいつも冒険者だって可能性もある――ついさっき、ロアと同じスキルを使うところを見たからな。縛ったとしても舌を噛み切られれば死に戻られてしまう。だが弛緩毒ならその噛む力すらも奪うんだから、本当にヤバい毒が流通しているもんだと嫌になる。いや、ありがたいんだけどな。


「そういやニコ――お前、何で首謀者がなんちゃら侯爵だって判ったんだ? さっきのは誰からのメッセージだ?」

「ああ……そうだね、それについては話さないといけないけれど――ちょっと!」

「あ?」

「あれ……集落の方じゃない!?」


 振り返って見てみれば、夕暮れの空に湧き上がる黒い煙――オレたちがさっきまでいた、あのエルステン族の集落辺りで上がっているように見える。


「クソっ――ニコ、メッセージの話は後だ!」

「うん。しまったな……解放フォーム解いちゃったな」

「マジか……」


 リアナの〈魔動二輪マナバイク〉は大きいがあくまで二人乗りまでの仕様だ。先程はニコは《原型解放レネゲイドフォーム》で得た光の双翼の飛翔効果でここまで来た。

 必然的に、誰かがあぶれることになる――


「ニコ、バイクじゃなくて護符で移動しよう」

「でも僕は護符を持ってないし、」

「私が持ってる――あ、……二つしか無い」

「じゃあオレがバイクだな」

「え?」

「……いいのかい?」

「しょうがないだろ、この中でオレが一番弱いんだ。それに、この男を運ぶ必要だってある」


 そして〈魔動二輪マナバイク〉を置き去りにし、ニコとリアナの二人は先に〈転移の護符テレポート・アミュレット〉でセヴンたちのいる場所へと転移した。

 オレは光に包まれた彼らの残滓が霧散しきるのを見送って、そして毒によりだらしなく四肢を放り出している灰色髪の男へと近付く。


「……お前を殺すのはオレじゃ無い、悪いな」

「……ぁ、……ぇ、」


 ごつりと顔面をぶん殴り。ぴくぴくと痙攣して鼻血を出すそいつに唾を吐いたオレはその身体をバイクに乗せてロープで落ちないように縛り――その最中に、リアナが吹き飛ばしたっきり忘れ去られていた灰色髪の〈転移の護符テレポート・アミュレット〉を見つけ、大きく溜息を吐いた。


「――いや、いてるか」


 握り締め、その内に秘められた魔力を解放し――景色が、切り替わる。

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