108;辺境を覆う暗雲.03(姫七夕)
微睡む筈の、重い筈の、頭と瞼は窓から差し込んでくる暖かな陽射しにすっきりと軽く。
歩き回ったり緊張したり夜更かししたりで疲れている身体も、それでも心持ちのせいか軽やかです。
目指す場所、方向性はとても大事なのです。
今は離れていたとしても、お互いが思い合えなかったとしても。
またそうできるように、寄り添えるように、今度はぼくの方から近付いていくんです。
そしてそのためには強くなくちゃいけません。強く、ならなければいけません。
だから〔武侠の試練〕を先ずは
よし、と意気込んでログインした午前10時2分――スーマンさんからのメッセージを受け取ったぼくは仰天し、部屋を飛び出ました。
何クエストに巻き込まれてるんですか!?
しかもそのクエスト、何やらぷんぷん匂うんですけど!?
「あ、セヴンちゃん……」
「あ、ジーナちゃん! おはようございます!」
ロビーにてギルドの看板娘ことジーナちゃんと遭遇したぼくは手をひらひらと振って元気に明るく挨拶をしました。ですがジーナちゃんのお顔は優れない様子。
「……ジュライ、何処に行っちゃったの?」
「ジュライ……え、もしかして……」
訊けば、一昨日の夜中にジュライはギルドに現れたようで、端的にギルドを抜ける用件だけ告げるとそそくさといなくなったのだそうです。
ジュライはぼくが紹介した、ヴァスリが始まって以来二人目となる登録冒険者。エンツィオさんもジーナちゃんも、非常に懇意にしてくれていたんです。ジュライもお二人のことはとても好ましく思っているようでした。
「もう、戻って来ないのかなぁ? うちより大きいギルドに乗り換えちゃうのかなぁ?」
にこりと微笑めば、ジーナちゃんはきょとんとした
「ジーナちゃん。詳しいことは言えないんですけど、でもジュライはまた必ず戻って来ます。ううん――ぼくが、連れ戻します」
「……でも、それって」
「大丈夫です。ジュライだって、離れたくて離れたわけじゃないんです。ちゃんと話し合って、気持ちを伝えて……必ず、取り戻します。だからジーナちゃんには、ジュライが帰って来た時に、いつもみたいな元気な様子で“おかえり”って言って欲しいです」
「……うん!」
もう一度にこりと微笑んで。そしてエンツィオさんによろしくと言伝をお願いして、ぼくは急ぎ足でギルドを出ました。
スーマンさんから貰ったメッセージに添付されてあった位置情報ではどんなに急いでも小一時間はかかります。ですからこんな時は金に物を言わせるに限ります。
大丈夫――レイドクエストでいただいた報酬はまだ全然手をつけられていません。ぼくは大通りの運送ギルドに駆け込むと、この街で一番足の速い馬と馬車をレンタルしました。
流石に一番は無理でしたが、五本の指に入ると言われる黒々とした毛並みの美しい屈強な馬を借りることが出来ました。馬車も、それなりにいいものです。御者さんも、その黒いお馬さん専門の方だそうです。
ちょっと準備に手間取った感はありますが、それでもこれで三十分は稼げた筈です。
ここ【ヴァンテスカの街】に限らず、【ダーラカ王国】は砂漠に建つ国家です。
ですが何も都市を一歩外に出たらすぐ砂漠、というわけではなく、郊外には荒野が広がり、その外に砂漠があるのです。湿地帯もあったりします。
スーマンさんが滞在している洞窟は砂漠までは行かない【砂塗れの荒野】という場所にあります。ですから
「お待たせしましたっ!」
「おお、セヴン……悪ぃ、サンキュな」
洞窟の奥の細い通路で壁を背に、地面に腰を落ち着けていたスーマンさんはとても眠そうです。そこに到るまでに見た五人分の裸の方々が、スーマンさん達を襲った賊なのだとか。
そして、案内されて踊り出た広い空間で膝を抱えている女の子が、襲われた子。
ぼくの顔を見るなりぶわっと泣き出し、そして「大丈夫ですか?」と声を掛けたぼくに覆い被さるように抱き着いて来ました。
きっと、きっときっと怖かったのでしょう。
ずっと、ずっとずっと不安だったのでしょう。
でも、もう大丈夫です。それを伝えると、張り詰めていた緊張が解けたのか、ぐったりと崩れるように女の子は眠りに就きました。
「取り敢えず一度ギルドに戻ろうと思います」
「ああ、オレもそれがいいと思う。風呂にも入れてやってくれ。あと着替えとか。そこそこいいとこのお嬢様なんだろうから、その辺全部お願いするわ」
「はい、分かりました」
スーマンさんも疲れているでしょう。何せ、寝ずに一晩彼女を守っていたのですから。
「スーマンさん」
「んー?」
「よく頑張りました」
「は?」
何だか、自分のことじゃないのに嬉しい気持ちが湧き上がってきます。ぼくの仲間は、こんなにも頼もしい人なんですから。ジュライには流石に劣りますけど。
ギルドへの帰り道は、あまり揺れないように丁寧に低速で、と御者さんにお願いしました。おかげで彼女を起こすこと無く、ギルドから出てきたエンツィオさんやジーナちゃんにも手伝ってもらいながら彼女を客室へと通します。
「エンツィオさん、衛視局への通報お願いできますか?」
スーマンさんはまだあの洞窟の中にいます。引ん剝かれた五人の賊と一緒に、彼らの仲間が回収に来るかもしれないと待っているのです。
ぼくも急いで洞窟に戻りたい気持ちは強かったですが、でもスーマンさんからはあの子についてやってくれ、と言われています。
彼は多くは語りませんでしたが、ぼくも彼女がどうされたのかは流石に解りました。だからスーマンさんの言う通り、彼女が目を覚ますまでジーナちゃんと一緒に傍にいることにします。
「……ん、」
お昼を回り、彼女は目を覚ましました。
「……ここ、何処?」
「おはようございます。ここは【砂海の人魚亭】――【ヴァンテスカの街】にある、とても素敵な冒険者ギルドですよ」
「あ……」
ぼくの顔を見て、女の子は自分が今どういう状況にあるかを思い出したようです。ですが追憶はそこまでに留まらず――眦が赤く、頬が赤く、鼻先が赤く染まっていきます。そしてまた、ぶわりと泣き出してしまいました。
だからぼくは、もう一度彼女を優しく抱き締めます。何度だって、こうして抱き締めてあげます。
「大丈夫です……もう、怖い人達はここにはいません」
そうして十分ほど泣き尽くして。
ジーナちゃんが持って来てくれた水差しから移したグラスの水を飲み干した彼女を、ぼくは手を引いて浴場へと連れて行きました――衣服も全部、ジーナちゃんが用意してくれました。
「セヴンちゃんセヴンちゃん?」
「はい!」
ドア越しにエンツィオさんの声。スーマンさんが事情聴取を終えて衛視局から戻って来たみたいです。
あ! そう言えばスーマンさんのことをエンツィオさんにもジーナちゃんにも話していませんでした! バタバタしていたとは言え、やらかしてしまいました……
「ああ、来た来た」
疲れ果てて呆れ顔のスーマンさん。ぼくは出会い頭速攻で頭を下げました。
「セヴンちゃんの知り合いってのは本当だったのか。てっきりあの子を狙う賊かと」
「いやまぁしっかりしたギルドで助かるよ。これから暫く世話になるしさ」
エンツィオさんの目がギラリと光り、人のいいおじさんの顔からギルドマスターの顔へと変わります。
そしてスーマンさんのぽつりとした呟きをどう聞きつけたのか、ジーナちゃんまでもがロビーへと現れました。
きょとんとするスーマンさんの両肩をがっしりと掴むエンツィオさん。その横に小走りでで駆け付けたジーナちゃん。
「あんた、」
「もしかして」
「「登録希望か!?」」
「え? あ、まぁ……そう、だ、け、ど?」
豹変した二人に圧倒されたスーマンさんは若干引き気味です。
「すみません、あの子のこともあって伝えられていなかったんですけど、こちらのスーマンさんはぼくの新しい仲間の一人で、この【砂海の人魚亭】に登録を移したいと思うんです」
顔を見合わせるエンツィオさんとジーナちゃん。鋭い顔付きが一気にぱぁっと明るくなりました。
「「宴だ!」」
んー……あの子のこともあるのであまり大袈裟に騒げないとは思うんですが……でも、温かく受け入れてもらえるのはありがたいことです。
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