106;辺境を覆う暗雲.01(須磨静山)
翡翠色に淡く発光する苔の
外の砂漠の乾いた風とは対照的な、じっとりと水分を多分に含んだ空気を押し遣りながら、やがてオレは奥にまだ通路の続く少し開けた場所でその女の子に遭遇した。
「ひ、ひぃっ!」
オレを見るなりくぐもった悲鳴を上げ、壁を背に身を竦めながら怯える少女。見た感じの歳は15歳くらいだろうか――お嬢様然とした華やかながらも落ち着いた衣服は汚れ、そして破れている。
長い黒髪も振り乱され、砂埃を
靴は履いていない。足の裏は流石に見えないけれど、指先や側面にまで血が付着しているあたり――あと、赤い足跡が続いていたのもあって――皮がズル剥けて血でびっしょりだろう。
だけど一番印象的に目に付いたのは、焦げた色のロングスカート。びりっびりに破かれて出来た前方のスリットから覗く太腿は赤く濡れていて――それ、血、だよな?
「怪我してるのか?」
「い、嫌ぁっ!」
わたわたと忙しなく四肢をばたつかせながら、着いた尻餅のままで壁に沿って奥の通路へと這い逃げようとする少女。取り付く島もない。
「来な、来ない、で……」
駄目だ、完全に怯えてる――だからオレは背負っていた
ポメラニアン型の
「ゴーメン、〈ライフポーション〉」
「きゃんっ!」
ふるふると全身を振り、
「はっはっはっはっはっはっ」
「よーしよし、ゴーメンお前はいい子だ」
「きゃんっ!」
小さな頭を撫でてやると、ゴーメンは嬉しそうにオレの周りを飛び跳ねて鳴く。
ああ、昔飼っていたポポを思い出すな……こんな風に白くて可愛いポメラニアンだった。
「よし。ゴーメン、このポーションをあの子に届けてくれるか?」
「きゃんっ!」
コルクキャップをロックしている金具を咥えたゴーメンは
ゴーメンは脳味噌小さい割には賢い。いや、
そしてそうさせることは、少女に〈ライフポーション〉を届ける以上の役割がある。
別に渡すだけならオレの足元に置いて、オレは通路を引き返せばいい。何せオレが近寄ると少女は怯えるし、罠かもしれないとか思われそうだからな。
でもゴーメンがよちよち歩きをして渡しに行くのはきっと違う。こんな可愛らしい生物がこんな可愛らしい動作で来るんだ。ちょっとは心も癒されるだろう。そうでなくても、素直に受け取ってもらえればそれでいい。
後は――――
「ゴーメン、傍にいて差し上げろ。オレはこの先の通路にいる。あー、悪いけどオレはお呼びじゃ無いようだし、ぶっちゃけここで見捨ててどっか行くって選択肢もあるんだけどさ。オレも朝まで暇だし、勝手に守らせてもらうわ。朝になったらオレの仲間――ああ、女の子ね。そいつを呼んで、その子に君のことを預ける。同じ女の子なら怖くないだろ?」
ぴこん
◆]クエスト
〔辺境を覆う暗雲〕
に巻き込まれました[◆
え、これクエストなの? まぁ確かにそれっぽい
「――ってことなんで、じゃ」
告げてオレは踵を返し、そそくさと通路へと戻った。そして十メートルほど進んだ括れた所に腰を下ろし、入口方向から誰かの来る気配を伺いながら臨戦態勢を整える。
あの身なりからしていいとこのお嬢様だ。そして巻き込まれたクエスト名……そこから察するに、あのお嬢様はこの国の辺境伯か何かの令嬢で、辺境を狙う賊やらが襲い掛かった、ってとこだろう。
エルフやドワーフ、オークと言った亜人種族の中にも悪党になる奴らはいるが、往々にしてそういうことをしでかすのは人間と相場が決まっている。なら、逃げ出した彼女を追って一団がそろそろこの洞窟に着いてもおかしくは無い。
あと、たぶんその賊ってのは男なんだろうな。んできっと、あの子の足には足の裏以外の傷なんて無いんだろう。
『はぁ? じゃあこいつを捧げた後で年頃の乙女を連れ攫って来ればいいだろう。っていうか、乙女じゃなきゃ駄目なのか? お楽しみとか、そういうチャンスは無いのか?』
過去、自分が発した言葉が鮮明に浮かび上がる――モヤモヤとした後ろめたい感情を伴って脳裏を埋め尽くしたそれは、だけど後悔の狭間にちょっとした安堵感をオレに齎した。
オレは、辛うじて踏み止まれた。いや、自分でそうしたんじゃなくて……アリデッドやアイナリィに邪魔されたことで結果的に助かったんだ。
罪を、誰かを犯すことなく今ここにいられている。
ザリ、ザリ――――お出でなすった。
オレは立ち上がり、腰の鞘から二振りの短剣を抜き放つ。
毒、補充しておかなきゃな――そんなことを考えていると、折れ曲がった先の通路の壁が不意に陰った。その先で誰かが光源を遮る位置に着いたってことだ。
沸々と怒りが込み上げてくる――でも後ろめたい感情は隠れてはくれない。
ここから先、現れるのはオレが辿らなかった未来のオレだ。
ひとつのボタンのかけ違いで、もしかしたらそっちに行ってしまっていた――あんな可愛い子を平気でキズモノに出来てしまうケダモノに成り果てたオレそのものだ。
断ち切れ。オレは悪であってもクズにはなりたくない筈だろ?
「……お前誰だ」
現れたのは六人。一番先頭を歩くいい歳こいたガタイのいい叔父さんがきっと後ろの五人を取り纏めているこの一団のリーダーだろう。
灰色の髪を全て後ろに流して香油で固めているのとその身なり・恰好は何処となく身分の良さを感じる。だが目付きが良くない、鋭さが狡猾さと無慈悲さを物語っている。
「オレが誰だって? ――お前らみたいなクズに成り損なった小悪党だよ」
リーダー格どころか六人全員の顔付きが豹変する。隠そうともしない殺気がばちばちに火花を上げているようだ。
でも。
「悪ぃけどこっから先には行かせねぇ――オレの八つ当たりに付き合ってもらうぜ?」
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