096;七月七日.21(牛飼七月)

 みんな、みんな消えて行く。

 アイナリィさんも、アリデッドさんも、そして、セヴンも。


 だって言うのに――僕はこの場に残されて、静寂の中で立ち尽くした。


 僕は、斬ってしまった。

 セヴンを、この手で、この赤く濡れた軍刀で、斬って――――


「大丈夫だぽよ?」


 この、声は……


 振り向くとそこには、黒い外套に身を包み、黒い半面マスクで顔の下半分を覆ったロアさんが立っている。


「ロア、さん……?」

「全く――吃驚したぴょん。気が付いたらフレンド一覧リストから君の名前が消えていたんだすふぁ。勘弁して欲しいっぽろんちょ」


 相変わらず、煩い語尾です。

 でもおかげで、少しだけ思考が鮮明クリアになりました。だから僕はその長身を前に正対し、頭を深く下げます。


「ロアさん、ごめんなさい」

「ぬん?」

「勝手にフレンドを解消したこと……本来であれば事情を説明して、納得と了解を頂いてからするべきなのに」

「……反省しているならいいぽよ。それにフレンドを解消したからと言って、またフレンドになれないとは限らないぴょん」


 ゆっくりと頭を上げると、ロアさんは穏やかな笑みを浮かべていました。

 目線だけで判る笑顔――それはとても恐ろしく、薄ら寒い笑顔です。


「大丈夫だぬん。思った通り、君は真実を知ってくれたすふぁ。それでいてこの世界に残り続けることを選択したっぽろんちょ。なら、あーしとずっと一緒にいられるすふぁ」

「どう、いう……?」

「あーしも君と同じだっぽろんちょ。誰かを殺したくて殺したくて堪らない――生まれついての殺戮鬼ナチュラルボーン・スローター。こんな世界でも無ければとても生きていけない……っぽろんちょ」

「ロアさん、も……?」


 こくりと頷くロアさん。

 そしてロアさんは蕩蕩と、自分の身の上話を語り出しました。とても甘美な声で、謳い上げるように紐解かれる、鷺田サギタ愛濾アロという一人の女性の物語。


 それは凄惨で、残忍で、でも他にどうしようも無い――僕と同じ、そういう人間に生まれついてしまった彼女の、悲惨な物語でした。



 ――



 ――――



 ――――――――



 ――――――――――――――――



「――そしてそんなあーしは当然、現実では生きていける筈も無く。頼れる誰かもいる筈も無く。だから自分で自分の人生を、確りと終わらせましたとさ。ちゃんちゃん……っぽろんちょ」

「自分で……」

「そうするしか無かったぴょん。でも後悔はしてないぽよ、おかげでこのゲームの中で悠々と生きていくことが出来ているすふぁ。君もそれは同じだぬん?」


 確かに、そうかもしれません。いや、きっとそうです。僕はこんな風に、誰かを斬っていい理由に溢れている世界を心待ちにしていました。

 死んでいる筈の僕がどうしてこの世界に一人の冒険者として、一人のPCプレイヤーキャラクターとして再臨したのかは判りません。ですが、僕はこの世界に二度目の生を受けて、存分に磨き上げた軍刀術を振るい、それが誰かのためになるのがとても嬉しかった。楽しかった。


「あーしたちは生きている。この世界に。なら、思う存分、好きに生きるのがいいと思うぽよ」

「好きに……生きる……」

「そしてそれが出来るのは――君にとって、セヴンじゃなくあーしの隣だすふぁ」

「セヴンじゃなく、ロアさんの……」

「だって君……彼女を斬ったんだぬん?」


 そうです。僕はこの手でセヴンを斬ってしまいました。

 アリデッドさんにも、アイナリィさんにも、軍刀を振るいました。

 傷を負わせ、怪我をさせました。一歩間違えば、この手で殺していたかもしれないのです。


「君がまた、今度は本当に殺してしまうかもしれないぬん? そんな人達と一緒にいれるぽよ? あーしだったら大丈夫すふぁ。何せ、君が暴走しても止められるっぽろんちょ。あーしはこの世界で一番強い冒険者なんだすふぁ」

「……そう、ですね」


 思わず振り返りました。でもそこに、もうセヴンの姿はありません。

 アリデッドさんも、アイナリィさんも――――


「待てよ」


 いえ。一人だけ、残っていました。

 ゆらりと揺らめくように立ち上がった、ぼさぼさでもっさりした暗い茶髪の、狂戦士。

 《原型変異レネゲイドシフト》に飲み込まれた僕を押し倒した、てんで素人の双剣使い。

 確か……スーマン、と言っていましたか。


「彼も、だぴょん?」

「分かりません……でも、この場に残っている、ってことは、そういうことなんですよね?」


 どういうわけか、みんなしてしまいました。それを逃れ、この場に居続けるということは、つまり現実ではもうすでに死んでいる、ということに他なりません。

 ログアウトし、意識が戻るが無いのです。どこにも、もう無いのです。


「……それで? ジュライを取り戻すんだぴょん?」


 睨み付ける、と言うよりは値踏みする、と言った方が正しい視線を投げるロアさん。スーマンさんは諦めたような溜息を吐き、両手を小さく挙げました。その手には短剣も握られてはいません。


「そうする、って言ったらあんたとバトるんだろ? 流石にオレもあんたのことは知ってるよ、このゲームの全PCプレイヤーキャラクターの中で最もレベルの高いソロプレイヤー、ロア。はっきり言って、オレなんかが相手になるわけが無ぇだろ……」

「賢明な選択だぽよ」

「はぁ……この場は、あんたのその変梃へんてこりんな語尾を聞けた戦果だけで我慢するわ。流石にオレも、どう足掻いたって勝てそうな相手とはぇよ。まぁ――それも、一人なら、の話だけどさ」


 スーマンさんの目が僕に向きました。その視線は問いているんだと思います。

 このまま彼女に着いて行っていいのか、と。

 セヴンの元に、戻らなくていいのか、と。


 そんなこと、分かりきっています。今更どの面を下げて元に戻れって言うんですか。僕はこの手で、この軍刀で彼女を斬ったんです。

 そして、元に戻れたとしても――きっとまた、飲み込まれて彼女を斬るんです。そんなの、もう二度と御免です。


 僕は確かに、人を斬りたい類の人間です。でも……彼女を斬りたく無い僕もいるんです。

 あの時、七華を斬っていなければ。死にたいと告げた彼女を傍で励まし続け、寄り添い続け、生き続けることを選択していれば。そう、出来なかった人間が僕です。斬りたいという欲求に負けた人間が僕なのです。どうせまた負けるのです。そんなの、もう二度と御免です。


「……僕はロアさんと一緒に行きます。そして、僕という人間の生きる風に生きていきます」

「……だ、そうだぬん」

「……はぁ。解りきったこと聞いて悪いな。で? 退いたら見逃してくれるんだよな?」

「お前が命が要らないって言うんなら話は別だぴょん」

「いや。命は欲しいよ。そら、交渉成立だ。何ならオレの方からどっか去ろうか? 背中見せるのは不安で堪らないか?」

「別に斬りつけて来てもいいぽよ。後悔するのはお前だぽよ」

「ああ、悪い悪い。煽ってるつもりは無ぇんだ――じゃあな」


 そしてスーマンさんは踵を返し、歩き出しました。でも直ぐに立ち止まり、振り返らないまま言い捨てます。


「……でもよ、諦めるつもりは無ぇからな。お前がどんな人間かは知らないけどよ、……あんなに可愛い子、泣かしたままってのは違うと思うぜ?」

「さっさといなくなるぴょん。仲間にして欲しいのなら話は別だぬんが。これが最後の警告だぬん」

「それは魅力的なお誘いだけど遠慮しとくわ」


 ひらひらと手を振って。そして、スーマンさんは何もかもが止まってしまった世界の中で、建物の影へと消えて行きました。


「これから、どうするんですか?」

「やることは山積みだぬん。ジュライはギルドからの通達は受けたぽよ?」

「通達?」


 そう言えば、エンツィオさんからメッセージが来ていたことを思い出しました。ギルドに帰って来たら、大事な話があるって。


「その様子じゃまだみたいだっぽろんちょ。でももう、今までいたギルドには戻れないぽよ」

「そうなんですか?」

「ギルドに戻るってことは、セヴンの元に戻るってことだぬん」


 ああ、確かに。


「大丈夫だぽよ。うちのに来るといいぴょん」

「クラン?」

「ギルドと並ぶ、冒険者による冒険者のための組織。プレイヤーが管理し運営する、醍醐味の一つだっぽろんちょ。も揃い始めたぽよ、そろそろ始めようと思ってたんだぬん」


 聞けば、ギルド同様にクエストを受注でき、所属している冒険者パーティーが活躍することでクランもまた名声を得られ、どんどんと大きくなっていくのだそうです。

 つまり、プレイヤー自らが運営する冒険者ギルドのことを、クランと言うのだそうです。


「まだ作ってはいないから大きくするのは大変だと思うぽよ、その分やり甲斐や楽しさは一入ひとしおだぴょん」

「確かに、楽しそうですね」

「何だか生返事だぴょん。でもきっと、君も気にいると思うぽよ。何せ所属する仲間は、あーし自らが直々にスカウトした、あーしらと仲間だぬん」

「同じ……」


 つまりは、僕やロアさんみたいな、生まれついての殺戮鬼ナチュラルボーン・スローター、ってことでしょうか?


「みんなみんな、現実で生き辛い想いを重ねて来た悲しい仲間だぴょん。仲良くしてくれると嬉しいぽよ。とは言っても、君も含めまだ七人しかいないぽよけど」

「クランの名前はもう決まっているんですか?」

「――【七刀ナナツガタナ】」

「ナナツガタナ……」


 見上げると、ロアさんはまた妖しく嗤っていました。

 でも僕にはもう、ここにしか居場所は無いんです。

 だから身を委ねることにします。


 七月七日は、僕にはもう訪れない。

 そこは、僕の居るべき場所なんかじゃ無く、僕の居ていい場所なんかでは無いのです。

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