094;七月七日.19(牛飼七月)

 初めて人を斬りたい、斬ってみたいと思ったのが何時のことだったのか、もう覚えていません。

 でも確かに僕は、手に馴染む軍刀で人を斬るとどうなるのだろうか、巧く斬ることが出来るのだろうかと考えることに夢中になることが多々ありました。


 だけど世は太平、戦争なんて起こっていません。

 人を斬るのには相当な理由が必要で、そしてそんな理由は世の中に一つとしてあってはならないのです。


 よく、解っています。

 僕が教わった牛飼流軍刀術とはもはや文化であり。

 誰かを斬るための手段、戦闘技法では無いのです。

 身を鍛え、心を鍛え、その技術を見せる戦と言う場を設けないための、抑制するための枷なのです。


 よく、解っているつもりでした。


 でもあの日、七華があの男たちに穢されたあの日。

 電話越しに泣きじゃくる七華から居場所を聞き出して、何があったのかを聞き出して。

 僕は迷わず、祖父の形見である軍刀を手に取りました。


 頭の片隅で、「理由が来た」と悦ぶ声が聞こえていました。聞こえない振りをしても全身に響き渡るその声は――きっと、僕の魂の、本能の叫びだったんだと思います。


『死にたい』


 全てを聞き出した後で七華はそう言いました。

 ちょうど、彼女を穢した一人の男が彼女の元に戻って来ていましたから、心のままに僕は僕を試しました。

 その軍刀の切れ味を。

 この身体に沁み込んだ軍刀術の凄惨さを。


 試し終えた後、僕は赤く塗れた刃を見て感じました。

 ああ、大丈夫だ。僕はちゃんと、教わった通りに人を斬ることが出来る。


『守れなくてごめん』


 ちゃんと、七華の復讐を遂げることが出来る。


『大好きだった』


 七華は受け入れてくれました。

 振り上げた軍刀は重く、重く、でも力いっぱい振り下ろしました。

 何度も斬り付けなくていいよう、一太刀で首を切断できるように。


 そしてその場で中身をぶち撒けてすっからかんにした彼女のリュックサックの中に、大事に大事にその首を詰めました。

 血が漏れると大変ですから、手拭いを底に敷きました。


『やめろぉ、やめろぉっ!』


 二人目も三人目も四人目も。五人目もそして六人目も。

 彼女の首を見せると漸く僕が本気だと解って、上擦った声で何度も謝罪と命乞いをしてきました。


『何でもする! だから、助けて、助けてくださいっ!』


 不思議と腹は立っていませんでした。至って僕は冷静でした。

 ただちょっと、未熟だったので一人目みたいに一太刀で殺し切ることは出来ませんでした。意外と、動く相手に真正面から斬りかかるというのは難しいのです。その、予想通りに動いてくれないので。

 一人目はほぼ不意打ちでしたから。でも、五人目になると流石に慣れてきて、六人目は一番気持ちよく斬ることが出来ました。


 もう、理由が無くなってしまいました。

 とても残念です。妹を穢した六人を斬り終えたことで、僕には誰かを斬ってもいいんだという大義名分が無くなったのです。

 でも罪は罪であるということは理解していましたから、速やかに自首しました。

 近場の警察署が何処にあるのか、交番の場所さえも探すのが億劫だったのですから、僕は六人目のスマートフォンから110番にかけ、警察の方に来てもらうことにしました。


 五分だったか、十分だったか。暇だった僕は、きっと最後になるでしょうから、七華の顔をずっと眺めて待っていました。

 夥しい血の匂いで、彼女の顔から湧き立つ匂いは気になりませんでした。断面には蛆が蠢いていましたが、構わずに抱き締めました。


 僕は冷静です。冷静に、自分のことをちゃんと客観的に見ることが出来ます。

 こんな風に人を冷静に斬ることの出来る、剰えその理由をずっと求めていたような人間は、もう人間じゃありません。

 七人もの人を、斬り殺してしまいました。後悔も反省もしていませんが、こんな人間が街中でのうのうと暮らしていいわけがありません。


 自分で死んでも良かったのですが、それでは

 ちゃんと裁かれて、ちゃんと死ぬべきだ、そう思いました。

 だから警察署に連行されて、拘留されて、裁判所に連れて行かれて、ちゃんと、全てを話しました。

 僕はこんな人間なんです、だから殺して然るべきですと、何度も何度も話しました。至って冷静に話しました。


 それでも本心では、また人を斬りたい、そんな機会が、場所が、理由が欲しいと相変わらず思っていました。


 異例の速さで裁判が進み、判決が下され、死刑が執行されることになりました。

 文明の進歩は怖ろしいと感じながらも、僕は感謝しました。

 死刑を待つ中、何度も検査を受けました。至って異常は無く、脳波や神経系も安定して平穏でした。僕自身の意思で、控訴はしないことを弁護士さんにお話しました。


 だって、死刑が妥当だと、僕も思うんです。

 こんな人間、野放しにしたら駄目ですよ。また理由を見つけて人を斬っちゃいます。

 まだ、そうしたいと思っているんですから。


 そして死刑執行の日が訪れました。

 身を清め、頭を剃り、真っ新に生まれ変わったような気持ちで独房を出ました。


 昔は絞首刑が一般的だったのだそうですが、今は機械が自動的にやってくれるガス刑が普通なのだそうです。

 室内の酸素が一気に無くなることにより、苦痛は殆どなく一瞬で気絶し死に至るのだそうです。

 でも出来ることなら僕がそうしたように、誰かに斬られて死にたいなぁなんて思いました。


 最期に思い残すことはあるか、と問われ、いいえと首を横に振りました。

 でも何故でしょうか――そう言えばと思い付き、いえ、結局何も言わなかったのですが。

 僕は、中学校の時に仲良くなり、卒業しても度々メールで連絡を取り合っていたちぃちゃんのことを思い出しました。

 七華の一件があってからずっと忘れていたのですが、何となく、彼女に会いたいなぁ、なんて思ったのです。

 でも、会わなくて良かったです。僕なんかが彼女の人生にこれ以上お邪魔したら、彼女の迷惑になりますから。




 そう、思っていたのに。




 どういうわけか迷い込んだ暗がりの中で、僕にはがあり、そしてがありました。

 このチュートリアルを経て自らの分身となるキャラクターを作り、そしてその世界で冒険者として生きていく、というものです。


 心が舞い上がるようでした。自分のことはさっぱりよく思い出せませんが、とにかくこの世界でなら人を斬るに値する理由がごまんとあるのですから。

 夢のようだと思いました。


 そしてその夢のような世界の中で僕は、ちぃちゃんと再会しました。

 中学校卒業以来でしたからちょっと気付きませんでしたが、近くで見れば彼女だとすぐに判ったのです。吃驚しました、突然の再会もそうですが、とても綺麗になっていたのですから。


 それから彼女と共にする冒険は、喜び以外の何物でもありませんでした。

 目に見る全ての風景が、耳に聴く全ての残響が、鼻に嗅ぐ全ての芳香が。

 とにかく全てが新鮮で、鮮明で、艶やかで、魅力的で――強く“生きているんだ”と思い知らせてくれました。

 これが生きることなんだと、強く打ちのめされました。


 途中で合流したアリデッドさんは最初、よく解らない人でした。でも共闘の果てに《原型解放レネゲイドフォーム》に飲まれてしまった僕を止めてくれて。

 今思えば、相当気持ち悪かったと思います、その時の僕は。僕だって客観的に見たらヤバいと思いますから。

 それでも僕を止めて、そして受け止めてくれました。この人はきっと信頼できる人だって、強く思いました。


 ユーリカさんも不思議な人でした。鍛冶に携わったのはこのゲームを始めてからだそうですが、彼女の打った武器はどれも輝いていて……きっと僕と同じように、このゲームの中だからこそ才能を発揮できる、稀有な存在です。


 アイナリィさんも不思議なコでした。関わり合いになりたくない見た目をしたコですが、でも関わって良かったなと思います。

 あんなに友達思いで、友達のためなら身を呈して援けてくれるなんて。セヴンは良い人と巡り合ったんだなぁ、って思います。


 ロアさんは――ああ、フレンドを勝手に解消したこと、ちゃんと謝らないといけないなぁ。

 今までに出逢った人の中で一番不思議な人でしたけど……でも、きっと一番、僕のことを理解してくれたのかも知れません。

 きっと、僕みたいに。

 こういうゲームの世界じゃないと、満足に生きることが出来ない人なんだと思います。


 何だか、考えていたら疲れました。

 綾城さんに無理強いされて何連戦もしたんです。そりゃあ疲れても仕方が無いってものです。


 ――セヴン。いや、ちぃちゃんに会いたいなぁ。

 ちぃちゃんと、二人きりで、また冒険がしたい。


 でも、もう駄目です。

 僕は知ってしまった。自らの過去を、真実を、思い出してしまった。


 死人は死人でいるべき――その通りです。彼はまだ僕たちは生きていると言っていましたが、僕は生きているべきじゃない。

 こんな生まれついての殺戮鬼ナチュラルボーン・スローターは、存在してはいけないのです。何処にも、いてはいけないのです。


 だって、ほら、こんな風に――――自分の大切な人までも、斬り付けてしまうんですから。




 え?

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