090;七月七日.15(牛飼七月/綾城ミシェル)

「こんばんは」


 自分の深淵を覗いて混乱する僕の前に現れたその女性は、涼しい風に長い金色の髪を靡かせながら妖艶さを月明かりの下でくゆらせていました。

 先程まであんなに動き回って汗だくになっていた身体はすっかり冷えてしまっていて、それだと言うのに彼女を目の当たりにした瞬間に僕の身体はまたどばりと汗を噴き出します。


「あ――――」


 。僕は彼女を、知っています。


「久しぶりね、元気にしているようで何よりだわ」


 胸元から煙草を一本取り出すと、紅い唇で挟んで咥えます。そして入れ違いに取り出したマッチ箱からマッチを一本摘まんでは火を点け、煙草の先端が仄かに赤く燃えて煙を纏います。


 ふぅ――――吐き出した煙は、かつて嗅いだあの匂いとは別物でしたが、それでも鮮明に思い出せます。確か、あの銘柄はセヴンスター……


「……綾城さん」

「ミカ。ジュライ君、この世界でのマナー、教えてもらってないの? プレイヤーの本名で呼ぶのは行儀悪いのよ?」

「どうして……どうして、この世界に?」

「それ、なんだけど?」


 指で挟んだ煙草が纏う煙と同じ煙を吐き出す綾城さん――いえ、この世界では“ミカ”さん。

 彼女を操るプレイヤー、綾城ミシェルさんとは顔馴染みです。僕がまだ幼い頃から、彼女とは何度も手合わせをしてきました。

 初めて手合わせをしたのは確か、僕が十歳の時だったでしょうか。そして彼女は十八歳で、でもそれよりも前から、彼女がまだの生徒だった頃から僕は彼女と、彼女は僕と会っています。

 だから僕は彼女が卒業後に防衛大学に入学したことも知っていますし、そのまま自衛官となり、幹部自衛官として着実に経験キャリアを重ねていったことも。


 そして、同じ牛飼流を身に叩き込んだ、僕よりも遥かに卓越した軍刀の使い手だという事も。

 そうでありながら、彼女の使う牛飼流は軍刀術では無く、である事も。


「随分と探し回ったよ。リリースから五日遅れで参加して、君をずっと探した。所属するギルドを突き止め、自分自身の所属もそっちに変えたってのに君とはすれ違ってばかり。ただ、お友達と仲睦まじくやってるって聞いた時は嬉しかったなぁ……君、友達全然いなかったからさ。だから、ゲームの中じゃ友達作れて良かったよね」


 長丈の外套ロングコートの腰の帯革ベルトには軍刀を納めた鞘が見当たりません。

 しかし背中からはみ出した幅広の鞘と思われる直方体から両手で握れるほど長い柄が覗いており……あれはどのような得物なのでしょうか。

 それは彼女の内面同様に、僕には窺い知れません。


「……僕に会いに来た、ってわけじゃ無いですよね?」

「ふぅ――――本当はそれだけが良かったんだけどさ……君、そう言ってらんない事情を抱えているでしょ? 自覚してる?」

「事情……自覚、ですか?」


 きっとそれは、僕が死刑囚だ、ってことだけじゃ無いと思います。

 そして僕は、もう少しでその“だけじゃ無い”事情を掴み取れるところまで来て、そんな気がするのです。


 ぷい、と吸い切った煙草を足元に落とし、それをにじり消す所作――当時から、好きにはなれなかった唯一の彼女のです。


「ジュライ君、レベルは?」

「……48です」

「ならもうちょっとか。君にはさっさとレベル50になってもらいたいんだ。だから――こいつと戦ってよ」


 告げて、懐から取り出したのは――掌に納まる大きさの、薄く平べったい……宝石、でしょうか? 淡い紫色のそれは水晶のような輝きを放っています。

 それを、綾城さん――ミカさんは握り潰しました。茶色の革手袋の内側できらきらと細かな破片が舞い散り、大きめの破片はぱらぱらと落ちていきます。


 そして――空中に、魔術円が現れました。まるでギルドで使い魔ファミリアを召喚した時のような。


「最後に手合わせしたのは君が高校生になったばかりの時だったっけ? その頃より強くなっているのかそれとも弱くなっているのか――見せてよ」

「……っ!?」


 そして魔術円は輝きを増すと同時に大きく拡がり――落ちて地面に張り付くとその上に巨大な魔物モンスターを浮かび上がらせました。

 身の丈は3メートル、いや4メートルはあるでしょうか。巨躯に見合ったごつごつとした筋肉の鎧を纏い、顔面の中心に一つだけある大きな眼。


 単眼巨人サイクロプス


「くっ!?」


 睨み上げた僕の視線と一つだけの視線が交差し、明確な敵意、いえ、殺意が僕に突き刺さります。

 僕は咄嗟に腰の鞘から〈七七式軍刀〉を抜き放ち、《戦型:月華》に構えます。


「へぇ……使。君ならそんなのに頼らず牛飼流軍刀術一本で渡り合ってると思っていたのに」


 何故でしょうか、綾城さんの言葉がぐさりと突き刺さります。その声音に何処か落胆の響きが潜んでいたからでしょうか。

 それでも、この世界で強く生きていくためにスキルは必要でした。大切な人に悲しい想いをさせないためにスキルは有用でした。だから突き刺さった言葉は身体を動かして抜き去り、僕は《初太刀・月》を単眼巨人サイクロプスの腰元へと――


「ゴアァッ!」

「っ!?」


 《雷条の邪眼》――巨人の最たる特徴である一つ眼から雷条が迸り、スキルの挙動に入っていた僕は避けることが出来ず夥しい電流をこの全身で受け止めてしまいます。

 衝撃が全身を駆け抜け、次いで熱、そして痛みが暴れ回り――僕の身体は後方へと大きく吹き飛びます。

 痺れて上手く着地出来ずに背中から跳ねて落ちた僕は白い煙をぶすぶすと上げ、急速に力を失いました。それでもどうにか立ち上がり、前を向くと――巨人はたすき掛けになった太い鎖で負っていた大剣を構えます。


 段平だんびらをそのまま大きくしたような無骨な剣ですが、大きさ故の重量は厄介さそのものです。受け止めたら軍刀の方が折れてしまい兼ねません。


「弱くなったね、ジュライ。スキルになんて頼るからそうなる」

「……ここからです」

「戦場でそんなことを言ってると命を落とす。そんなことも忘れたの?」


 やはり綾城さんの言葉は痛烈です。でも呆れるほどに正論で――そうです、本来は命の遣り取りである筈の戦場において、今のような失態は避けるべきでしかありません。

 基本に立ち返れ、牛飼七月――あくまでスキルは道具、手段。頼るべき相棒じゃない。


 ――――使



   ◆



 ――ったく、心が弱い奴は短絡的に楽に走る。

 牛飼七月があの事件を起こした時、世界で一番落胆したのは自分自身だという自負がある。同時に、そんな場面で頼られることの無かった自分をも恥じた。


 もし私が彼にとって、頼るべき一人の大人であったのなら――そう思うと、今でも胸が締め付けられる。


 だが、過去は過去だ。

 死者が生き返ったりしないように、過去を変えることは誰にも出来ない。

 そう、その過ちの上に今があり、それを繰り返さないように人は今を生きる。

 ならばその過去は変えるべきではなく――死者もまた、死者のままであるべきだ。


『ミカ♪』


 スクリーンチャットの画面が開く。相変わらずダルクはツヤテカ筋肉髭達磨だ。


『僥倖よぉん。何と、スーマンちゃんが現れたわぁ♪』

「ほぉ……なら、ここで始末しておくに越したことは無いな」

『そうよねぇん♪ よぉし、頑張っちゃうわよぉ!』


 スクリーンチャット画面が閉じる。たったそれだけかと呆れで溜息が出る。

 一番厄介だと思われていたアリデッドを圧倒できたダルクだ、スーマンがどうしてこの場に現れたのかは理解できないが、こちらとしても早めに片付けられるのはありがたい。


 まだ、片付けなくてはいけない奴は多い――最たる障害はこのゲームのトップランカー、ロア。彼女だけは、総力戦を挑まなければ摘めない芽だ。ただ、いつまでも看過するわけにはいかない。


「ジュライ――――どうしてお前がこの世界に現れたのかは知らないし、知ろうとも思わない。だからさっさとレベル50になれ……その時、この手で引導を渡してやる」


 シュボッ――ジジッ――ふぅ――――


 ああ、煙草はやっぱりセヴンスターが一番美味いな。七月は好きじゃないと言っていたけれど。

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