089;七月七日.14(姫七夕/須磨静山)

「セヴン!」

「お兄様!?」


 アリデッドさんの声がします。アイナリィちゃんの声はでも、甘ったるくはありません。


「お前、見たな?」


 答えられません。だって、答えようにも、涙と嗚咽で息が出来ないんです。泣き喚くしか今のぼくは出来ないんです。

 だって、ナツキ君は――


「だがジュライ――七月ナツキはこの世界にいただろ?」

「アリデッド、オレと似た奴って、もしかして、あのなのか?」


 誰、でしょうか? 聴き覚えの無い声です。


「あんた、スーマン!?」

「ごめんだけど今は緊急事態だ、少し静かにしてくれ」

「……確かにそうやけどもさ」

「えっと、セヴン、だっけ? オレはスーマン・サーセンを名乗らせてもらってる、須磨静山っていうプレイヤーなんだけど……」


 ああ、この方が、スーマンさんなんですね。


「牛飼七月なのか? その、ジュライってキャラクターの、中の人は」

「そうだよ」


 ぼくの代わりに、アリデッドさんが答えてくれました。


「そうか……オレもあの事件のことは知ってる。そしてその牛飼七月の操るジュライはきっと、オレと一緒だ」


 一緒? 何が一緒なんでしょうか?


「……スーマンの最終ログインは五日前だった。なのにこいつは今こうして、俺たちと行動を共にしている。セヴン、ジュライはどうだった?」


 固唾を飲む声が方々から聞こえました。

 溢れ続けていた涙も嗚咽もどうにか少しだけ勢いを弱め、ぼくに十分な息継ぎをする時間をくれました。

 アイナリィちゃんの手を借りてぼくは起き上がり――立ち上がれは、流石にまだ出来ませんでしたが――アリデッドさんの沈痛そうな表情を仰ぎ見ます。

 まだ、視界はびっしよりと滲んでいますが。


「……二週間前でした」

「……そうか」


 アリデッドさん以外、誰も何も言いませんでした。

 もう、それだけで分かってしまったんだと思います。


 ナツキ君が、このゲームを始めたその時には、もう亡くなっているんだ、ってことを。


「ジュライはどこにいる?」


 ふるふると首を横に振る気力すらありません。

 ここにはいない、どこにいるかわからない、という言葉を吐こうとしただけで――、ってことを認めてしまう気がして、それはとても怖くて――


「おらへんみたいやな」

「メッセージ、若しくはスクリーンチャットを試せ。まだあいつはレベル50に届いていない――まだ間に合うかもしれない」


 間に合う? 何の、ことですか?


「セヴン、レベル50になったら牛飼七月も俺と同じように、自分の真実に気付く。そうしたら、きっとオレと同じように


 飲み込まれる? スーマンさんは飲み込まれたんですか? 何に?


「オレは運が良かった。アリデッドがいてくれたからな。倒されて、正気に立ち返ることが出来た。でもジュライは、もしかしたら倒せないかもしれない」


 アリデッドさん、また何をしたんですか? でもきっと、アリデッドさんのことですから……そのスーマンさんを、助けたんですよね?


「とにかくジュライを探そう。セヴン、メッセージ、送ってくれるか?」


 ……とても、出来そうにはありません。

 死刑囚がゲームをしているという事実――それを解き明かす、という命題なら何とか踏ん張れたんです。

 もしかしたら本当に、死刑囚もVRゲームに興じることが出来る時代なんだなぁ、なんて……


 でも、もう


 死人は、ゲームなんて出来るはずが――


「セヴン。オレもその、牛飼七月と同じなんだよ。アリデッドに確認してもらったら、最終ログインが五日前だった」


 ――え?


「今考えてるのはこうだろう? 死人がゲームなんて出来る筈が無い、って。その前提が違っているとしたら? どういう理屈なのかは解らないし、どうしてそうなっているのかも解らないよ? もしかしてゲームをやっている間に死んだらそのままゲーム内には生き続けるのかもしれないし、全然違うのかもしれない。でも、オレは確かに今こうしてここに立って、スーマン・サーセンというキャラクターとして動いている。ゲームをしているんだ。だから牛飼七月も、死んでいるかもしれないけれど……この世界で生きているのは確かなんだ。それは、オレと同じなんだ」

「……スーマンさんは、どうして、亡くなられたんですか?」

「脳腫瘍。五年前に発症した。殆ど碌に生活できなくなったけど、VRゲームの中なら発症する前と同じ自由を得られたんだ。快復後のリハビリにもいいって聞いてたし」

「……セヴン。こいつ、スーマン――須磨静山が亡くなったってのは本当だ。さっきログアウトしてこいつが入院していた病院のデータを漁ってたらカルテを発見した。享年18歳だそうだ」

「……自分でも不思議だよ。こんなにピンピンしてるのに」

「お前の辛い気持ちは、完全じゃないだろうけれど解るつもりだ。俺だって――探すべき兄がいる。スーマンが真実を打ち明けてくれたおかげで俺は一歩前に進めた。いなくなった兄が、果たして生きているのかそれとも死んでいるのか、それを確かめるまで立ち止まれないんだ。お前は……牛飼七月の真実を、解き明かさないでいられるのか?」


 ぼくは――――


「……セヴンちゃん、」


 ぎゅっと、アイナリィちゃんがぼくの手を握ります。未だに滲む視界を向けた真ん中に、ぼくと同じくらい泣き腫らしているアイナリィちゃんの紅潮した顔が見えました。


 好きな人に再会できたのに。

 本当は嬉しい筈なのに。

 こんな風に、ぼくのせいで悲しい気持ちにさせてしまっています。

 それでも今のぼくは、彼女を思いやって彼女の感情のためにどうにかしようなんて気にはなれませんでした。

 そして。

 アリデッドさんのお兄さんに対する気持ちと、ぼくのジュライに対する気持ちは同一ではありません。

 スーマンさんが抱いているこの世界で生きているという希望は、ぼくにとっては希望ですらありません。


 ああ、駄目打目です――――皆さんのぼくを案じて掛けてくれる言葉に、何一つぼくは共感出来ず、何一つ勇気に転換させることが出来ません。


 嫌だ。こんな自分が、大事なところで一歩踏み出せない自分が、ずっとずっと嫌でした、大嫌いでした。

 中学の時もそう、台湾に帰るんだって分かってたのに……ううん、分かってるから、自分の気持ちを伝えもせずに、後悔して……


 ああ、だから、ナツキ君からメールが届いた時には本当に嬉しかった。

 物理的な距離と関係性の距離は合致しないんだ、まだ想っていてもいいんだって許された気がして――まだ、好きでいていいのかな、なんて。


 事件のことを知った時も。

 だってナツキ君は悪くない。悪いのは、ナノカちゃんを――だからナツキ君は悪くなくて、ぼくはだからナツキ君を、ナツキ君のことを、ずっと、まだ――――


 ああ、頭の中がぐちゃぐちゃです。


 もう、いいですか? 諦めてもいいですか?

 もう、好きでいいですか? 赦してくれますか?



   ◆



「――っ!?」


 大きな爆発音――それはこの宿の表から聞こえてきた。

 ビクッと身体を震わせて音の聞こえた方に目を向けると、すでにアリデッドは駆け出していた。


 ジュライ――牛飼七月か?


「スーマン、あんな? うち……ここにおってもええ?」


 アイナリィは未だ立ち上がれないでいるセヴンの隣に跪いてきゅっと手を握っている。

 こいつがあのアリデッドのことを好いていることはオレも知っている。何せあの洞窟に、こいつはあいつを助けるために単身乗り込んで来たんだ。


「……、」


 セヴンはまだだんまりと塞ぎ込んで、頷きも首を横に振ることもしない――でもそれを責められる人間は

 この子と牛飼七月がどんな関係だったかは知らないし、知ったところでこの子の心が分かるわけじゃない。

 それでも一言では語れないような深い関係なんだろうってことは、アリデッドとの遣り取りやこの子のその姿でよく解った。


 強く何かを想う、あるいは何かを心に秘める相手がもう死んでいるなんて、そりゃあ何も出来なくなるってもんさ。

 自暴自棄になって取り乱すのと変わらない――心が内に向かうか、外に向かうかの違いってだけ。オレは外だった。彼女は内なんだろう。


 塞ぎ込むほど悲しいよな? 動けなくなるほど辛いよな?

 それを、責められる人間なんて――――


 でもスーマン、? 相手の迷惑とか感情とか知るかよって――そうやって自由にしてきた。そして、これからもそうしていくんだろう?


「いや、駄目だ。アイナリィ、お前も行くんだ」

「はぁ!?」


 怒相を見せるアイナリィを無視して、がし、とセヴンの手を掴み奪う。そうしたことで握っていたアイナリィの手が外れた。


「セヴン。あんたも行くんだ」

「……っ、」

「スーマン! セヴンちゃんが今どないな気持ちで」

「知ったことかよ、オレが好きで連れて行くんだ! 梃子てこでも動かねぇってんなら担いで行くぞ!?」

「おまっ、――」

「戻れ無いかも知れないんだ! オレは牛飼七月がどんな人間かは知らねぇけどよ、オレと同じだってんならログアウトすることは無ぇ。つまりこの夜の時間も、自由に動き回ってぶっ続けでレベリング出来るんだよ! うっかりレベル50に届いちまったら、牛飼七月は、オレと違って本当に飲み込まれるかも知れねぇ! セヴン、あんたはもう二度と牛飼七月と会えなくていいのか? ここで引き留められなかったら、この世界でも会えなくなるかも知れないぞ、現実ではもう二度と会え無ぇんだぞ!」

「――っ!」

「そんなの駄目だろ、認めてたまるかよ! そんな暴挙、赦してやらねぇってんだ! あんたが行っても行かなくても、そんなこと関係なく結果は変わらないかも知れないけどよぉ、だったら尚更行かなきゃいけねぇだろうが! 違うか!?」

「……っ、……ぅ」

「走るぞ。それとも本当に、担いでやろうか!?」


 漸く、力無いが首を横に振ってくれた。そして、ひとつ頷いてくれた。

 ああ、もう――――こんな遣り取りしてる時間だって惜しいってのに。はぁ、悪役なんて本当はガラじゃないんだよ……それでも今は、スーマン。


「行くぞっ!」


 他の宿泊客も異音に部屋を出てきて溢れ返る廊下を、人を乱暴に押し退けながらセヴンの小さく柔らかい手を引きながら走る。遅れて着いて来るアイナリィはすぐに追いつき、そして先行して人混みをオレたちが走りやすいように掻き分けてくれる。


 絶望にはまだ遠い。だってオレはこの世界でスーマン・サーセンとして生きている。

 生きているからには楽しむべき――そうだったよな、アリデッド。だったらこの綺麗で可愛い子こそ、こんなオレなんかよりたくさん笑うべきだろ?

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