069;灰色の戦線.01(牛飼七月)

 だから、目を開けて瞳孔に飛び込んできた灰色の世界が、夢なんだってことは直ぐに分かりました。


 見渡す限り灰色の――どこかの町。

 道や建物を形成するのは直線で象られた立方体キューブの積み重ねです。質感はどれものっぺりとしていて、しかし意匠だけがこと細かに掘り上がっています。


 触れると、ざらりともつるりともしていなく、そして温かくも無ければ冷たくも無い、とても不思議な感触でした。

 僕が佇んでいる道の石畳も、ただ感触だけがそこにあり、硬いとも柔らかいとも感じません。ですがきっと硬いのでしょう、建物や石畳は僕が触れたり乗ったりしても、形を変えないのですから。


 ひどく静かな場所でした。歩いても歩いても聞こえてくるのは自分の息遣いだけ。靴音も風の音すらしない、きっと命の過ぎ去った後の風景――いや、命が宿る前の世界、と言えば一番近いでしょうか。


 そんな中で唯一色彩いろを帯びている僕は、ただただ目の前に真っ直ぐ伸びる石畳の道を行きます。

 見上げる空もやはりのっぺりとしたテクスチャで、そこに雲は浮かんではいません。まるで天蓋のようです。

 街路樹は全て同じ形をしています。枝の数、伸びる方向、曲がり具合――どれをとっても同一で、注視していると頭が痛くなりそうだったので気にしないことにしました。


 そんな中、もう五分は歩き続けていたでしょうか。

 前方にある十字路の、建物の影から誰かが出て来ました。


 帯びる色彩は鮮烈な赤、雪のような白、そしてそれらを覆う漆黒――


 通りの中央にまで歩んだが僕の方へと向き直ります。

 まるで立ち塞がるかのように佇む、佇まいさえもが美麗な、ロアさん。

 半面マスクで半ば隠れていてもその表情が笑んでいることは直ぐに判りました。


「……こんばんは」


 ちょっと、どう接していいのか判らないので普通に挨拶をすることにします。夜の時勢の挨拶でいいか少し迷いましたが――と言うのも、この灰色の世界では昼夜の区別が全くつかないのです――頭を下げると、ロアさんも僕同様にぺこりと小さくお辞儀しました。


「また会ったぴょん」

「そうですね」


 いかにも偶然、と言いたげですが、何となく僕にはロアさんはここで待ち伏せをしていたんじゃないかと思ってしまいます。寧ろ僕の夢ですから、ロアさんに会いたかったのは僕の方でしょうか? 確かに、列車では中途半端に話が終わったせいで大事なところを聞きそびれてしまっていますが……どうせ叶うのだったら、僕はセヴンに会いたかったです。


「ここなら誰にも気兼ねなくゆっくり話が出来るすふぁ」

「そうかもしれませんね、誰一人、ここにはいなそうですし」


 こくこくと頷くロアさん。


「《原型変異レネゲイドシフト》について、教えてもらえるんですか?」


 その問いにも一つ頷いたロアさんは、しかし少し斜め上に視線を投じて固まると、今度は首を横にふるふると振りました。しかしやはり少し斜め上に視線を投げ、最後に僕を真っ直ぐに見据えて首を傾げたのです。


 頷きは肯定。斜め上への視線は逡巡。首を横に振ったのは否定。首を傾げたのは……判らない、という意思表示でしょうか。

 流石普段から全然喋らない人です……一つ一つの動作が確実に意思・意図を伝えてきます。

 ジェスチャーとかボディランゲージの大会とかあったら優勝をかっさらうダークホースになっていそうです。


「教えるつもりは無いぬんけど、君が学びたいなら勝手に学べばいいぽよ」

「え?」


 何だか、不穏な空気が漂い始めました。

 白藍色の淡い虹彩に妖しい輝きが灯り、そして呪詛の如き黒い瘴気がロアさんの足元から立ち昇ります!


「――《原型解放レネゲイドフォーム》!?」


 僕は咄嗟に跳び退いて距離を取り、腰に下げた軍刀に手を伸ばして――気付きました。

 僕の軍刀は先のレイドクエストの最中に折れてになってしまっていたのでした。借りた太刀も用意してくれた【流星の輝き亭】に返していますし、つまり今の僕は振るうべき武器を、得物を持ち合わせていないのです!


「のんのんのん――」


 立てた人差し指を左右に倒す仕草と同時に首を横に振るロアさん。その人差し指が僕の左腰を指すと、無いはずの鞘がそこにはあり――――どうして、それがここに在るのか。


 変色した柄巻、汚れたままの鍔。

 抜き放つ刀身は見事に赤く濡れていて、むわりと血の匂いが立ち昇ります。


 これは、この軍刀は、僕が――――


「ちなみにこれが、《原型変異レネゲイドシフト》だぴょん」


 見開いたままの目を向けると、渦巻く瘴気はロアさんの身体へと飛び込んでいき、融けた途端にその肉体を変貌させていきました。

 そこまで、見た目は変わらないのですが――目を見張るのは、黒ずんだ肌の色と、そして額から伸びる二本の角――凡そ“鬼”と聞いて思い浮かべるような双角がそこには生えていたのです。


 鮮血のように真っ赤だった髪色は光を纏ったように白く輝き、逆に白藍色の双眸は剥き出しの濡れた臓腑のような粘膜色。白目も反転して黒く染まっています。


 アニマから溢れる力を纏って戦闘力を向上するのが《原型解放レネゲイドフォーム》なら。

 《原型変異レネゲイドシフト》とは、アニマが最も力を発揮する形へと肉体を変貌する、そんなイメージを抱きました。


「何を……するつもりですか?」

「何って……得物に手をかけたすふぁ。じゃあもう判ってるぽよ」


 5メートル程の距離を取った僕に、鬼人と化したロアさんが歩み寄ります。

 たった一歩の接近で、これほどまでに総毛だったことはありません。それほどまでに今の彼女は、恐怖の象徴でした。


「あーしは、見せつけて自慢したいだけだぬん。そして君にも、あーしと同じようにこの力を受け入れて欲しいんだっぽろんちょ」


 歩みながら手を胸に当てて〈ブラックウィドウ〉を取り出したロアさんは、剣の形態のそれを高く振り上げると、刀身から劇的な白い光を迸らせました。


 《レイブレード》


 夢の中だって言うのに、ちゃんとスキル名も浮上ポップアップしてくれます。


「行くぴょん――」


 狂戦士的な破顔で放たれた、まさしく地を割る一撃。

 光輝くマナの粒子が迸る刀身は巨大なレーザービームです。後退バックステップではとても躱せませんから、咄嗟に僕は左に跳びました。


 久方ぶりに握る形見の軍刀はじっとりと手に馴染み、どうしてか赤く濡れている刀身から滴る血潮が僕の右手を侵蝕します。


 ですから自然と、僕は肘を折り曲げて切っ先をロアさんへと向けるになり、切っ先を包むように左手を伸ばして添えました。


 《戦型:月華》


 力と共に、どうしようも無いほどに赤い欲求が湧き上がって堪りません。

 ああ、やっぱり僕は、そうなんだ――こんなにも人の形をしたモノを、斬って斬って斬り尽くしたくて――――


「……そうだぴょん。あーしらは同族――生まれついての殺戮鬼ナチュラルボーン・スローターなんだぬん」


 眼前の彼女はヒトではなくオニですが、それがヒトとそれほど変わらない形をしていることは明白です。

 だってひとつの頭、その前面に横並びに目が二つ、中心に鼻がひとつ、鼻と顎の輪郭の間に横に避けた口がひとつ――ああ、ロアさんの口許は半面マスクのせいで見えませんが、無いと言うことは無いでしょう。

 それに側面には耳、頭と胴体は首で繋がっていて、二本の腕と二本の脚があり、尻尾の類は生えていません。

 角は生えていますが、些細な誤差としましょう。うん、完璧な人型です。ならばこれはヒトと呼んで差支えはありませんし、であれば僕の斬りたい衝動をぶつける相手として申し分はありません。


 ああ、頭の中が真っ赤に染まっていきます。

 灰色の筈の世界が、真っ赤に滲んでいきます。


「をををををををををををを!!」


 突出してきたロアさんの胸を突き上げるように《初太刀・月》を放ちました。しかし横薙ぎにそれを斬り払ったロアさんは、回転する身体の勢いを載せた渾身の蹴りを僕のに放ち、喉仏を強襲された僕は当然後方へと大きく弾かれます。

 ですが肩を介して行う無手の後転で素早く復帰した僕は、やはり咄嗟に横に大きく転がるように跳び退きました。


 ロアさんの手に握られている〈ブラックウィドウ〉が、弓の形状に変化していたからです。


 《エーテルストライク》


 光の矢が放たれた途端に四つに分かれ、それぞれ別の軌道を描いて飛来します。

 何ですか、武器形状の切り替えが在り得ないくらい早いんですけど!?

 僕は咄嗟にいつもなら使わない《戦型:旋舞》に構え、《初太刀・円閃》で以て四つのうち二つを斬り落とします。《旋舞》は攻撃よりも、こういった斬り払い・斬り落としという防御的側面の強い戦型なのです。


 しかし残り二本の光の矢がそれぞれ右肩と左脇腹に突き刺さり爆発しました。真っ赤だった視界は白く染め上げられ、一瞬にして体温が激しく奪われました。

 でも、ロアさんの戦闘意欲はまだ尽きていないみたいです。


 《スプレディンググリッター》


 今度はあの邪竜人グルンヴルドをすら停滞させた、十二本の光の矢を放つ上位スキルです。一撃一撃の威力はおそらく劣るのでしょうが、爆発も含めた攻撃範囲・規模は先程の比ではありません。


 逃げ場が、見出せません――ですから僕は覚悟を決め、自らの内側に意識を注ぎます。


「そうだぴょん――――君の深淵を、見せるすふぁ」


 《原型解放レネゲイドフォーム》!

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