070;灰色の戦線.02(牛飼七月)

 《原型解放レネゲイドフォーム》!


 立ち昇る呪詛が黒い瘴気となって僕の身体に纏わりつきます。

 《修羅ソウラのアニマ》による《原型解放レネゲイドフォーム》は、使用者の俊敏・強靭を強化し、かつ魔術ダメージに対する耐性を得ます。

 ですからロアさんに向かって特攻すれば、《スプレディンググリッター》の十二本の矢のうち確実に喰らうのは二本程度――それなら耐えられる筈です!


「《月》!」


 推進力を得るためにスキルを使用します。素早く弓から剣へと変形させた〈ブラックウィドウ〉の刃と、僕が握る形見の軍刀の刃が交差して激しく打ち合いました。

 背後で起きた白い爆発もまた、ダメージとともに勢いを僕にくれました。ですから、この鍔迫り合いを制したのは僕の方です。

 ロアさんは押されて後方へと短く跳躍し、その頭上にスキル名の表示が浮上ポップアップしたのを僕は見逃しません。


 《レイブレード》


 横薙ぎに繰り出されたレーザー光線の一閃を跳び躱し、僕もまた渾身の《三の太刀・望月》を繰り出します。

 戦型によるスキル連携のルールは、初太刀の次は二の太刀、三の太刀、という風にひとつずつ繋げていかなければいけません。別に繋ぎ自体はスムーズに行えるのですが、連携による威力の補正はこのルールに則らなければ発生しないのです。


 元よりレベル差も激しい僕たちです。ですから繰り出した渾身の一撃はロアさんに深い手傷を与えるに至らず、その黒く変色した顔を浅く斬り付けただけに終わりました。


 しかしその一閃は、ずっとロアさんの口許を覆っていた半面マスクを断ったのです。

 革と硬質素材、そして金属部品がずるりと別たれて落ちました。斬り付けられた口許には縦の赤いラインが上唇から顎にかけて走り、赤く照り返す雫を生んでいます。


「――ずっと覆っているから、口でも裂けているのかと思いましたけど」

「言うぴょん」


 横に広い印象の口がにやりと嗤い、悪魔めいた繊月の形となってより一層狂戦士感が増しました。

 四つ、刃と刃を打合せます。流石にレベル差のせいでスキルを用いない通常攻撃同士では部を譲らざるを得ません。


 ですが得物の扱いに関しては僕の方が何枚も上手です。

 当然です。僕は牛飼流軍刀術の正式な後継者として育てられ、異なる得物を持つ武術や武道と何度も他流試合を重ねて来ました。月に一回ならばそれは少ない方です。


 印象に残っているのは、高校一年生の時に剣を交えたドイツ剣術を学んでいる大学生でした。彼はとても強く、彼がホームステイで日本にいる期間中何度も試合いましたが、常にどちらが勝つかは不明瞭でした。


 ロアさんの膂力や動きの速度は確かにレベル差から来る能力値ステータスの開きで僕よりも断然上ですが、体捌きや運足、攻撃の技術ははっきり言って素人同然です。

 それでも、その動き自体は彼に似ているような気がしました。時折弓に持ち替えて矢を放ってくるので、完全に一緒とは言えませんが。


 剣と刀では、基本的な斬り付け方が違います。

 剣は刃を押して斬るのに対し、刀というのは刃を引いて斬ります。

 ですから西洋剣術というのは振り回したり、体重を掛けるような捌き方になりがちです。逆に刀による斬撃は得物自体の重量と鋭さを利用した、遠間から近間へと引き寄せる感覚。


 その違いすらも解っていないような人の連撃は、もはや崩す以外の筋道がありません。


 振り下ろされる刃には横から突き入れるようにして軌道を変えて。

 突き出された切先は半身になって躱し。

 薙がれた一閃は側面に軍刀を添えるだけで事足ります。


 攻撃を防ぐことで相手の律動リズムを崩し、そうすることで次の攻撃はより防ぎやすくなります。

 状況は完全に僕が後の先を握っていて、予備動作の大きな洗練されていない攻撃の起こりに合わせて軍刀の切先を突き入れたり、関節部分を浅く薙いだり。


 しかしロアさんの《原型変異レネゲイドシフト》も中々に厄介なもので、効果持続中は恐らく[再生]が付与されているのでしょう、与えた手傷は徐々に自動で塞がっていくのです。


 そして近接戦闘では僕も拮抗できますが、尋常じゃない機動で距離を置かれ矢を放たれ出すと途端に戦況が逆転し、追い詰められた僕も決死の表情を取らざるを得なくなります。


 段々と僕たちの交戦はどちらが優位な距離を取れるか――ロアさんは逃げ、僕は追い縋る――という勝負になりつつありました。


 《スプレディンググリッター》


 咄嗟に建物の影に身を隠し、光の爆発から逃れます。

 凄まじい音と共に立方体キューブたちが細かく分解されて崩れ落ち、粉塵に似た光の粒子が舞い上がります。


 僕は瓦礫を化した手頃な大きさの立方体キューブを取って投げつけながら、その隙に影から飛び出しては肉薄を狙います。


 弓は剣や刀に比べて工数の多い武器です。狙いを定め、弦を引き絞り、放つ。対して剣や刀は、ただ身体の前にあるだけで――その切先が相手を向いていれば、前進するだけで“突き”が完成します。


 突きは、躱されても相手の移動した位置に応じて刃を翻すことで次の斬撃に繋げられる優秀な攻撃手段です。

 しかし戦場では深く突き刺し過ぎると抜けなくなる障害が発生しやすいことから敬遠されてきました。ですが牛飼流は敢えて攻撃の主要手段に突きを採用し、研鑽を重ねてきたのです。


 《初太刀・月》


 切先は左肩を捉えました。しかし同時に僕の脇腹に、剣の形態となった〈ブラックウィドウ〉の鋭い刃が沈みます。

 赤く染まり切った視界が段々とぼやけ始め、張り詰めていた緊張と漲っていた力が解かれていく感触が広がります。


 ああ、負けたのですか。

 魔物モンスター相手に結構なレベル差を覆して来たと思ったんですが、やっぱり冒険者相手ではそうはいかないんですね。いくら自分がトリックスターと言えども、流石に倍以上の格上が相手ではそうそう覆すことは出来ないようです。加えて、相手は[再生]持ちですし。


 ふらりと身体が泳ぎ、僕は右の膝を石畳につけました。世界は灰色に戻っていきます。僕が纏う黒い瘴気も気勢を削がれ、段々と収まっていきます。

 負けると、自動的に解除されるんですね、《原型解放レネゲイドフォーム》。


「やっぱり君は強いぴょん」

「……勝った人が言う台詞じゃ無いですよ」

「いや。もう少し後だったら判らなかったすふぁ」

「勝敗の結果が、ですか?」

「ぬん――目が覚めた頃にはヴァスリ運営がレイドクエストのランキングを発表して、それに応じた経験値を配布するすふぁ。君は結構活躍していたから、レベルもきっと沢山上がるっぽろんちょ。今のレベル差でもこれくらい拮抗するんだぬん、レベル差が縮まれば本当に判らないぽよ」


 そしてロアさんも《原型変異レネゲイドシフト》を解きました。黒く染まり上がった肌が白く、髪の毛と目の色も元通りになっていきます。


「いい戦いだったぴょん。またいつか、《決闘》しに来るぴょん」

「《決闘》――」


 ああ、そうでした。このゲーム、フレンド同士での一対一のバトルや冒険者パーティ同士でのチームバトルが出来るんでした。なるほど、この夢だと思っていた場所は宛がわれた交戦空間で――だとするなら、この軍刀は?


「細かいことは気にするなぽよ」


 役目を終えたと悟ったのか、形見の軍刀はその身をマナの粒子へと変換させてさらさらと砂のように零れ去っていきます。


「レベル50――君はきっと、あーしと同じ《原型変異レネゲイドシフト》を選ぶぴょん。断言するぽよ」

「……判らないじゃ無いですか」


 セヴンと話し合って決めたい僕は、やはりその期待をすんなりとは飲み込めません。


「いーや、絶対にそうなるすふぁ。だって――《原型解放レネゲイドフォーム》よりも《原型変異レネゲイドシフト》の方が、長く、より多く、ヒトを斬れるぽよよ?」


 片膝をついた低さから見上げたロアさんの顔は、やはり悪魔のように嗤っていました。


「あーしと君は、同族。生まれついての殺戮者ナチュラルボーン・スローター。君は斬って斬って斬りたくて堪らない、あーしは殺して殺して殺したくて堪らない――っぽろんちょ」


 今、語尾付け足しませんでしたか? 本当は普通に喋れるんじゃ無いんですか?


「納得行かない、って顔だぴょん。じゃあ、選びたくなるようにもう一つだけ教えてあげるぽよ」

「もう一つ?」

「……君は、《原型変異レネゲイドシフト》を選ぶことで自らの真実を知ることになるすふぁ」

「っ――!」


 僕の、真実?


「あーしもそうだったぽよ。煩わしいシステムの干渉を排して真実を知りたいんだったら、《原型変異レネゲイドシフト》一択だっぽろんちょ」


 そしてロアさんは踵を返して背を向けました。同時に、この交戦空間が先程の僕の手から無くなった軍刀のように光の粒子に分解されていきます。


「待って下さい!」

「じゃあね、バイバイ――ぴょん」


 制止する声を無視して、手を振ってロアさんは消えていきます。

 色彩は灰色に失われ、輪郭もまた空間同様に光の粒子へと分解され霧散します。

 僕の身体も同様です。僕の、意識もまた、靄がかって、混濁し、眠気が――――




 真実。

 真実って、何でしょうか。

 どうして僕の真実は、隠されているんでしょうか。

 このゲームは僕に、それを突きつけたいのか、それとも隠し通したいのか。



 セヴン――ちぃちゃん。ちぃちゃんに、とても会いたい。会いたい――――

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