023;遺跡の奥に眠る夢.10(牛飼七月)

「お時間いただきます!」


 セヴンは大声でそう言い放つと、手に持った〈初級詠唱教本〉は閉じたままで大きく息を吸い込み、集中した顔つきで詠唱を始めます。

 いけません! 先程の《戦ぐ衝撃ルインバースト》で彼女の存在を認識したゾンビメイカーが顔を彼女に向けています。


「そらそう来るよなぁっ!」


 しかし跳び上がったアリデッドさんが手に握る槍を払いました。薙がれた一閃は上半身の付け根を強襲し、紫がかった血飛沫を散らします。


「GIYAO!!」

「おらおら、余所見してっと直ぐにお陀仏だぜ!?」


 空中を踏み付けて《ダブルジャンプ》を見せるアリデッドさんは、憤怒の形相で射出されたゾンビメイカーの舌――《強酸の毒針》を《ラテラルスラスト》で躱すと、着地と同時に駆け出して肉薄し、蠢く幾つもの腕に狙いを定めます。


「しぃっ!」


 その穂先が生えた腕の一本を斬り落とした頃、その反対側に回った僕もまた、その巨体を支える人間の腕目掛けて軍刀を振り抜きました。

 胴体を守る甲殻は堅くとも、その側面に生えた夥しい数の腕は柔らかい皮膚と萎びた筋繊維に守られていて、《原型解放レネゲイドフォーム》状態の僕の一閃は難なく二本を一気に斬り飛ばしました。


「GYUUUUUUH!」


 僕が振るう軍刀の刀身が、僕が幻視する光景に段々と近付いていきます。赤赤と濡れ、血みどろが目の前に広がります。

 ああ、頭がぼんやりとしています。脳漿が心地よい微睡みに挿げ替えられたようです。

 それなのに僕は、目の前の未だ夥しく蠢く十数本の腕を斬り捨てることに執着しています。鼻腔に漂う空気を、あの腕の断面から漂う腐った気持ち悪い臭いでいっぱいにしたいと考えています。


 ぞわりと、全身が身震いしました。

 不思議なことは沢山あります。そもそもどうして、僕たちはこのバケモノを殺さなければならないのでしょうか。

 ゲームはとんとやって来なかった人生でしたが、僕もその概要くらいは承知しています。敵が現れたのですから、倒さなければ前に進めないのです。

 でもそれはどうしてでしょうか。そもそもこのバケモノに先に手を出したのは僕たちです。いくら相手が気持ち悪く、そして死体を舌先の針で刺して蘇らせたところで、僕たちにこのバケモノを討つ正当な理由があるとは思えません。クエストの目的とも乖離しています。


 ああ、でも、そんなことはです。斬りたい。速く斬りたい、もっと斬りたい。

 何かに憑りつかれたように――いえ、きっとこれは、いやこれこそが、僕の本性です。目の前にある部分的な人体を斬って斬って斬り落として、そしてあの本体とも言える上半身を、可能な限り斬り続けたい。斬り離して解体したい。この軍刀で斬り屠りたい。


 だから僕は腕を振るいました。この手の軍刀は柄が短く片手用ですから、帰ったら柄を長くするか、柄の長いものに新調しようと思います。

 だって片手で振るうよりも、両手で振るった方が、断然斬れるのですから。


「Pierce!!」


 舌先を射出しようと顔が僕を向いたと同時に、跳躍から《ラテラルスラスト》で肉薄するアリデッドさんの一撃が深く左脇腹に突き刺さりました。


「Twist!!」


 その刺さった穂先をぐるりと抉るように回転させ、無理矢理に引き抜きます。もはや文字にしようの無い盛大な雄叫びを上げて、ゾンビメイカーは僕ではなくアリデッドさんに舌先を伸ばして迎撃しようとします。


「――怒り誹り罵り嘲り

   収束する怨嗟の鎖と呪詛の群れ

   災い纏いて濁流となり

   噴き上がって大地を浸せ――」


 最終節が聞こえます。そして、轟くように魔術の名が放たれました。


「《濁竜の叫クエレブレ》!」


 瞬間、周囲の明度が落ちた気がしました。それは本当に瞬間的な出来事で、明るさが元に戻るとびりびりとした微振動が場内に拡がりました。

 余震は冷めやらぬまま、寧ろ地響きは段々と強まっていき、敵影の輪郭がぶれて見えます。その反対側にいるアリデッドさんの輪郭ですら、やはりぶれています。


 そしてゾンビメイカーの足元の地面から、巨大な水柱が天を衝きました。あの巨体を飛ばし上げる程の威力です、どれだけの水量がどれほどの水圧で放たれたのでしょうか。

 水柱は一発だけでは終わりません。初めに中心から噴き上がり、次いでその周囲に全くランダムに噴き上がります。空間そのものを破裂させるような轟音が、もはや鼓膜ではなく全身を震わせています。


「うまく避けてくださいっ!」


 セヴンがギャラリーから何かを叫びましたがよく聞き取れませんでした。とにかく近くにいたら巻き込まれると勘付いた僕は、咄嗟に壁際まで後退しました。良かった、どうやらこの辺りはギリギリ効果範囲から脱しているようです。


 水柱は倒れ伏したぶよぶよでさえバラバラに吹き飛ばし、千切れた遺体の一部が天井にびたんと打ち付けられるほどです。

 しかしアリデッドさんは自らその水柱へと突っ込んでいきます。そして派手に噴き上がった逆向きの瀑布に打ち上げられると――何と、その水流の中を華麗に泳いでゾンビメイカーへと接近しました!


 おそらくあれが、アリデッドさんの《原型解放レネゲイドフォーム》の真骨頂なのでしょう。行使されたのが《大渦の顎メルシュトレェム》だったのなら、きっとアリデッドさんの独壇場になっていたに違いありません。


「Splaaaaaaaaaaaash!!」


 そうして薙がれた槍の一閃は濁流すらをも纏い、先程の噴き上げで罅の入った甲殻に新たな亀裂を生んでいきます。

 下からは新たな水柱の噴出が衝き、上からは濁流を纏う槍が叩き付けられ――空中で展開される挟撃はサーカスのようです。


 ビギィ、ガギィ、ギャンッ、ドガギッ――四度振るわれた槍撃は全てが致命の一撃クリティカルとなり、そして《ダブルジャンプ》で水柱よりも高く跳び上がってからの《ヴァーティカルスラスト》による墜落の尖撃が、バキバキに罅割れた甲殻の中心に深く深く突き立てられました。


「Fxxxxxxxxk!!」


 ああ、何と言葉の悪い……その一撃とともに地面へと叩きつけられたゾンビメイカー――完全に破砕した甲殻の破片が弾け飛び、絶叫してぐったりと倒れ込みます。


 しかしまだ終わってはいないようです。水柱も全て噴き上がったようですし、上半身を尾ごと持ち上げたゾンビメイカーが立ち上がる前に、踏ん張るあの腕の群れを斬りまくりましょう!


 ずばりずばり、ずんばらりんと僕は一心不乱に軍刀を振るい、踏ん張る腕を斬り離していきます。

 その最中、アリデッドさんは甲殻の剥がれた胴体に着地し、未だ甲殻の剥がれ切っていない尾に向けて槍を突き出し、あるいは薙ぎ払います。


 しゅびっ――射出された舌の毒針でさえ、その速度は見違えるほど遅くなっています。事切れる寸前なのでしょう、それでも僕たちは勢いを弱めません。手負いの獣ほど怖いものは無いのですから当然です。


「次、木属性――雷、行けるかぁっ!?」

「分かりましたっ!」


 セヴンが次の詠唱に入りました。顔がギャラリーを向きますが、させじと十二本目の腕を斬り落とした時、遂に踏ん張り切れずゾンビメイカーが右方にずずんと倒れ込みます。


「ジュライっ! 登って来い!」

「はいっ!」


 地に伏した胴体へと跳び上がった僕は、空へと舞い上がったアリデッドさんの代わりに尾の甲殻を滅多打ちにします。

 こんな堅くて太いものを斬った経験はありません。ですが亀裂が入っている以上、そこが弱点ウィークポイントなのは百も承知です。ですから、斜め上から斜め下に無限のマークを描くように滅多滅多に斬り付けて差し上げました。


「Crush!!」


 空中で放たれたアリデッドさんの突きが上半身の右胸に突き刺さります。

 ゾンビメイカーの叫びが場内に反響します。

 そして浮上ポップアップする、アリデッドさんの《ヴァーティカルスラスト》の文字列。


「ジュライっ、退がれっ!」


 言われるまでも無く跳び退きました。五点倒地で着地の衝撃を無かったことにして僕はそのままゾンビメイカーと距離を置きます。


 ぞぶり――紫色の血飛沫が上がり、胴体に深々と槍が突き刺さりました!


「――天より墜ちて地に響き

   大気に兆す万雷の音

   旋律は戦慄へと転化せよ

   昏迷に轟け霹靂の鐘――


 《劈く雷鳴サンダークラップ》!」


「Shxx!! タイミング考えろや!」


 慌てて《ラテラルスラスト》で退避したアリデッドさんの手に槍はありませんでした。きっと引き抜くには深く突き刺さり過ぎたのでしょう。


 そして周囲にパリパリと蒼い電流が迸ったかと思うと、それらはゾンビメイカーの上半身を中心点として真っ直ぐに伸びては突き刺さり、透明色の波動が周囲に放たれたかと思うと、落雷の轟音めいた強震が辺りを揺るがしながら幾条もの雷流が辺りに波濤しました!


 衝撃が収まった頃、ぶすぶすと黒い煙を上げながら肉の焼け付いた嫌な臭いを漂わせるゾンビメイカーは、ゆっくりとゆっくりと、確かに崩れ落ちました。そしてもう動きません。

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