010;キャラクターメイキング.08(牛飼七月)

「ありがとうございます!」

「あ、……いえ」


 二つのおさげをはためかせて下げられた頭を再び起こした時――その可愛らしい顔が、あんぐりと歪みました。あんぐり。Not angry.


「え……君!?」


 語頭にアクセントの置かれたその独特なイントネーションで僕もまた思い出しました。確かに僕は、この子と会っていたんです。


「……ちゃん?」

「わ、やっぱりナツキ君だ! え? 何で?」


 僕は雪原を歩く少し前のキャラクターメイキングで、自分のアバターを一切弄っていませんでした。だから僕の中学時代のクラスメイトだった彼女には一目で僕だと判ったのでしょう。

 そして僕もまた、彼女のことを思い出しました。あの頃は眼鏡をかけていたし、目の前の彼女の髪と目の色が全然違っていたので直ぐには気付けませんでしたが、あの頃の彼女が少し大人になった彼女が、今ここにいるのです。


 ジィ 七夕チィシィ――台湾の父と日本人の母を持つ二重国籍者デュアルシティズンで、確か小学校四年生から中学校卒業までの六年間を日本で過ごしていたと記憶しています。

 僕は中学校入学の時に同じクラスになったことで彼女と出会い、それから三年の間ずっと同じクラスだったこともあって――お互いに唯一です――他の女子、それから男子よりもずっと深い間柄だったと覚えています。


「……お久しぶりです」

「うん。すごく、久し振り……」


 ですが彼女の顔は、四年ぶりに果たした旧友との再会を心から喜んでいる、と言うには少し歪でした。

 どちらかと言うとそれは、予想だにしなかったを通り越して在り得ないとすら思えた事象に出くわした者の、驚愕と茫然とがないまぜになった表情に思えました。

 でも無理はありません。僕だってそういった表情の筈です。


「元気、でしたか?」

「え? う、うん。元気でした」

「なら良かったです」

「ナツキ君は……」

「僕ですか? 僕もきっと、元気だったと思います」

「そうですよね。元気じゃないと、ゲームとかも出来ないですもんね」

「そうですよ。特に、このゲームは身体を動かしますから」


 僕たちは互いに笑い合いました。幼いままの彼女の顔は、しかし僕の知らない大人びた表情を点しています。

 僕の知らない、彼女の一面です。

 どうしてでしょうか、ほんの少し、寂しいに似た気分になったのは。


「あ、大丈夫でした?」

「ああ……一応峰打ち程度に済ませましたし、深く斬り込みはしなかったので命に別状は無いと思います」

「あの、そうじゃなくて……お腹」

「お腹? ああ、空いています」

「ぷっ」


 また、彼女が吹き出しました。続けて僕は「喉も渇いているんです」と言いました。彼女はまたくすくすと笑いました。

 僕は笑われているのでしょうか。でも、全然嫌な気持ちはしませんでした。


「あっ」

「え?」


 彼女は小さく声を上げると、思い出したように畏まった表情をしました。


「そうだ、お仕事の途中でした。もう少し先に行った所にあるお家の方に、手紙を届けるだけなんですけどね」


 お仕事――そう聞いて僕は、ぴっかりと閃きました。


「わっ!?」


 閃いた瞬間に僕は、またも脊髄反射で彼女のやわらかく細い手を握り締めていました。考えて行ったわけでは無いので、その奇行には自分でもびっくりしました。

 だから気が付いた瞬間にその手を離して、あたふたと何の役にも断たない身振り手振りを交えて弁明しようとしましたが、巧い言葉は出て来てくれません。

 そんな僕の様子を、彼女はやはりくすくすと笑って見ているんです。何だか僕は、僕が馬鹿らしく思えました。でも不思議と、全然嫌な気にはなりません。


「……あの、」

「はい、何ですか?」

「ちぃちゃんは、このゲームのプレイヤーなのですから、勿論冒険者ですよね?」

「え? うん、そうですけど……でも、ナツキ君も」

「実は僕はまだキャラクターメイキングの途中なんです。これから冒険者ギルドに登録に行く予定だったんですけど……色々とありまして」


 彼女が目をぱちくりとさせました。その後で眉を寄せたかと思うと、物凄い表情を見せました。

 何と表現すればいいのでしょう……信じられないものを見た時の、訝しむ感情を顔面全体で表現したような……とにかく凄い顔でした。


「え、待って? え、え、え??」

「ま、待ちます」

「ううん、あの……その……え? ナツキ君、冒険者登録、なの?」

「え? はい、……まだ、です……」


 そう答えると、彼女はまた物凄い表情――何と言えばいいのでしょうか、こう……眉尻の下がり切った般若面、という様な――をして、しばらく天を仰いでおりました。


「え、だって……キャラメ終わってないのに戦闘とか出来たっけ? あれ? そういう仕様に変更された?」


 何かをブツブツ言っていますが、僕にはさっぱり、珍紛漢紛ちんぷんかんぷんです。

 ただ僕にも分かることと言えば、そんな表情をしているのにも関わらず彼女の愛らしさは一切失われていないのだということだけです。これって凄いことだと思います。だって、本当に凄い表情なんですから。


「あの、」

「はいっ」


 普通の表情に戻った彼女が僕に向き直りました。僕はいきなり対面したことでどぎまぎとしましたが、なるべく意識して首から下を見ないように努めます。

 ……胸元は、肌色を避けた服装にしていただけるとありがたいです。切なる願いです。


「取り乱しちゃってごめんなさい。冒険者ギルド、案内します」

「いいんですか?」

「うん、勿論。だって、助けてくれたし」

「ありがとうございます」

「ううん、こちらこそ。あ、でも……ぼく、今クエスト中だから、それが終わってからになるんですけど……いいですか?」

「それは勿論、構わないです。願ったり叶ったりですから」


 告げて僕がにこりと微笑むと、彼女もまたにこりと微笑みました。何だろう、とても可愛いです。可愛くて、直視できません。


「じゃあ、行きましょうか」

「はい。……どこにでしょうか?」


 彼女が再びきょとんとして、僕は小首を傾げました。


「あ、どうせなら、一緒に行って、クエスト終わらせて、一緒にギルドに、って思ったんですけど……」

「あ、成程。確かにその方がいいと思います」


 そして僕は、彼女に着いていくことにしました。

 並んで歩く僕たち――サンダルを履く彼女と、軍靴を履く僕の身長はほぼ同じで、あの頃からそれは変わっていませんでした。だから僕は、時折一緒にバス停まで並んで帰った時のことを思い出しました。

 当時からどんなに親しくても丁寧な言葉遣いを貫くところや、自分のことを「ぼく」と呼ぶ不可思議な一人称もそのままで――だから表情は少し大人びていますが、彼女は僕の知る彼女そのもので、先程感じた寂しさのようなものはどこかへと消えていきました。

 

「あ、名前」

「名前ですか?」

「うん、キャラクターの名前。ぼくは“セヴン”にしてますけど、ナツキ君は?」

「あ、僕は……“ジュライ”、になりました」

「ぷぷっ。だからでしょ?」

「あー……多分、そうかもしれません。“セヴン”って確か、ちぃちゃんのイングリッシュネーム、でしたっけ?」

「正解! よく覚えてましたね」


 台湾にはそういう、割と自由気ままで大雑把なクリスチャンネーム的なものがある、というのは当時教えてもらっていました。

 日本には無い文化ですから、面白いと思って覚えていたんです。


 やがて緩やかな傾斜の下り坂を抜けた先で、彼女の配達先の家に着きました。


「はい、またお伺いすることもあると思いますので……」


 丁寧に頭を下げて、差し出した羊皮紙に受領のサインを貰い、彼女は踵を返して僕の待つ方へとぱたぱたと小走りでやって来ます。


「お待たせしました」


 びし、と、挙手敬礼を決めますが、僕に言わせれば手首がやや反り気味です。でも、可愛らしいので言及はしないことにしました。


「お疲れ様でした」

「じゃあ、ギルドに向けて出発!」


 勢いよく拳を天に突き上げる彼女は、穏やかさと快活さ、天真爛漫さの象徴のようです。何かをするごとに向けてくるにこりとした微笑みは、僕の心をほんわりとさせます。


 情けないことに彼女に切符を買って貰って乗った列車——ちょっとした飲み物や食べ物もいただきました。

 遺跡群方面へと三駅移動して、彼女に導かれるがままに冒険者ギルド【砂海の人魚亭】へと辿り着きました。


「たっだいま~!」

「セヴンちゃんおかえり……って誰!?」


 赤い髪の女の子が駆け寄って来ては、僕をまじまじと見詰めて期待と怪訝の半々の表情を灯しています。


「朗報ですよ朗報! 新しく、このギルドの冒険者になってくれる人です!」

「あの……よろしく、お願いします」


 にこり――赤髪の女の子は仰天しています。やっぱり僕の笑顔は、何かが間違っているのでしょうか?


「お、お、お、お父さぁぁぁあああん!」

「ごめんね、ここ、いつもこうなんです」

「成程」


 でも、賑やかで楽しそうだと思いました。

 本当に楽しそうで――――どうにか僕も、この喧騒の中にうまく交じれるよう、努力をしなければと思いました。

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