第23話 偽りの関係の終わり

 偶々行き着いたアオコの臭いが時々鼻を刺す宍道湖岸沿いの短い階段には、二人並んで座れる程度のスペースが運良く空いており、俺と姫岬揃って腰を下ろした。

 汗ばみながらもずっと繋いでいる手は不思議と不快感はおろか、寧ろ心地よく感じられ、正直離したくないという気持ちが強くなっている。これがドルヲタの気持ちかぁ……と、アイドルの握手会に通い詰めるヲタクの気持ちがなんとなくわかった気がした。

 時間は過ぎ去って、そろそろ折り返しか。と推知させる集中した花火が始まった頃に、姫岬がかき消されそうな声量でボソッと呟いた。

「私、言われるほど胸小さくないから」

 一瞬耳を疑ったが、一拍開けて恐る恐る訊き返す。

「まさか根に持ってる……?」

「当然よ」

 堀北に俺と姫岬が付き合っていると証明する為の一駒として「俺はケツも胸も小さい方が好きなんで、この女は百点満点なんですよ」と言ったことを恨めしく感じていたらしい。

 あんまんサイズが貧乳でないと必死に主張しているとなると、もの凄く可愛く思えてくる。

「脇腹つまんだ時のことだけど、あれって本物じゃなかったよな? 俺、逮捕されないよな?」

 姫岬は鼻でふっ、と小さく笑い、「私のお尻は小さいから心配ないわ」と自慢げに言う。

 ならもっと攻めてみてもよかったな。勿体無いことをしてしまったかもしれない。

「というかあなた、さっき闇雲に逃げてたわよね。あとちょっと頑張れとか、もう少し頑張れるかとか言ってたけど。全部バレバレだからね?」

 やっべ。全部バレてた。けど仕方ないだろ。他に励ます術がなかったんだから。

「いいじゃねーかよ別に。ほぼ無傷で逃げ切れたんだからさ。逆に感謝して欲しいくらいだ」

「そうね。ありがとう。あなたがいなければ無傷で済まなかったわ」

「お、おう……そりゃどうも」

 素直な姫岬に面食らってしまい、調子が狂う。

 話が区切りを迎え、お互いに口を噤んで五分くらい経ったところで、本題に切り出した。

「なあ姫岬──」

「ねえ皆月くん──」

「どうした? 先にいいぞ」

「私は後でいいわ。先にどうぞ」

「そうか。じゃあ」

 少々ごちゃっとしてしまったが、気を取り直して続ける。

「俺たちのこの関係だけど、今日で終わりにしないか?」

 右手を握る力が若干弱くなり、姫岬が顔をこちらに向ける。

「え? それはどういう意味で……」

「そのままの意味だ。かりそめの恋人関係をやめにして、明日からは有象無象に溢れたモブの最上位くらいに認識してもらえると嬉しい」

「そう……でもどうして?」

 今姫岬の方を向いてしまうと、吊り橋効果も相まって勘違いしそうな気がして、俺は色とりどりの花が咲き乱れる南の空を眺めたまま言葉を並べた。

「もうこれ以上お前の予定を割いてもらう訳にはいかない。結局毎週末図書館で勉強してた時間は意味を成さなかった。俺が一番仲良くしている伊織と浅川が俺とお前が付き合ってると知らなかったことが全てだよ。今日も危ない目に遭わせてしまったし、お前を守るのに力が足りなかった。悔しいけど堀北が言ってことは真実であって事実なんだよ。繋いでみろよって脅されて、初めて手を繋いだところで決定的に俺たちには覚悟が不足してたんだ。偽物の最高は、本物の最低にすら届かないって痛感したよ」

 世の中に恋人を演じている高校生がどれほどいるだろうか。

 慣れた者同士、恋のabcを一日でこなせてしまう人たちもいるかもしれない。けど俺と姫岬は純潔を保ったままであり、交際経験すらない。そんなaのキスは疎か、自然に手も繋げない子供同士がいくら取り繕ったところで軽々手を繋いでみせる本物には敵わないのだ。

「でも俺から言い始めたことだから、ちゃんと補償はさせてくれ。不良に絡まれた時連絡をくれたら出来る範囲で助けに入らせてもらうし、身代わりにでもなる。恋人ごっこは今日で終わりだ」

 飽くまでもフリ。重く考えて欲しくなくて、敢えて最後にジョークで締める。

「それでもお前がどうしても! どうしてもこのままの関係でいたいって言うのなら、もう一度考え直してやるけど、どうする?」

 姫岬はすぐには口を開かず、花火が三発打ち上がってから重たいため息を零した。

「その問いに私が辞めたくないって答えたら、あなたはなんて思う?」

「俺のこと好きなのかなって思う」

「でしょ? 卑怯なのよ、その訊き方」

「新手の告白ですかそれは」

「戯けッ!」

「痛い痛いっ!」

 恋人繋ぎをしている手の甲に、姫岬の尖った爪が刺さった。爪を刺された。

「でもあれは? 確か運命とやらが本物かを証明しようとしてたんじゃなかったかしら」

「ああそうだ。よく覚えてたな」

 意外といえば意外、当然といえば当然だが、姫岬は今こうして花火を見ることになった発端を忘れていなかった。

「最初は偉そうな口利いてたけどさ、俺も何一つ知らなかったんだよ。どうすれば良いとか、どう考えれば効率的とか。だから安直な気持ちでお前と長い期間を一緒にいれる付き合うって形をお願いしたんだ。毎度トップ10のお前ならわかるだろうけど、証明問題には大体答えが決まってるだろ? でもこの証明問題には最初から答えが定められてないんだ。今更かよって叱られても仕方ないが、そりゃ簡単には解けないさ。模試の証明問題は毎回満点の俺でもだ。で、この四ヶ月間で導き出した答えはこうなった。〝運命かもなあ……って感じるのはただの勘違いや気の迷いで、後から運命でしたって言うのはこじつけに過ぎない。運命なんて都合の悪い事をそれらしく正当化させるための便利な言葉でしかない〟。結局その考えは前と変わってないんだ。貴重な時間を割かせてしまって悪かったな」

「じゃあ入学式で私を見て、何かを感じたって言ってたのは勘違いだったってこと?」

 率直に意地悪だなぁ、って思った。そんなこと聞かれたら否定するしかない。肯定すれば勘違いで四ヶ月も無駄な日々を過ごさせたと言っているようなものではないか。

「勘違いは勘違いなんだろうけど、姫岬の顔がすごく可愛いくて俺好みだったからじゃないかな。口説いてる訳ではないんだぞ? お前は間違いなく学校で一番可愛いし、最近よくテレビで見るアイドルなんかよりずっと可愛い。多分大袈裟に考え過ぎてたんだよ」

「結婚した人たちが、この人が運命の相手でしたってよく言ってるじゃない? それって当然好きだから結婚してるわよね。そう考えるとあなたが私を好きだって感じたのも〝運命〟って言えると思うのだけど。あなたは、その人たちは嘘を吐いてるって言いたいの?」

「だから新手の告白なのそれ? ……ってイタイイタイッ!」

 二度目の爪が手の甲に食い込む。もう肉に突き刺さってるよこれ!

「『可愛いから好き』の式は成り立たないと思う。俺はお前を可愛くて好みの顔だとは言ったけど、好きとは言ってない。顔や性格、喋り方、体型、立ち振る舞いなんか全て込みにして好きだと言えるはずなんだ。だから可愛いくても必ずしも好きにはならない。逆に『好きだから可愛い』は人によるけど、ある程度は成り立つと思ってる」

「私は性格も喋り方も体型も立ち振る舞いも悪いってことよね? その言い方は」

「喋り方は特出して悪くはないはずだぞ。あと体型は最高だ。けど性格と立ち振る舞いは決して良くはないな。素直じゃないし女王様気質だし。でも悲観する必要はないから安心しろ。その顔があれば悪い性格も小さい胸もカバーできるはずだから、ってイタァァァァアッ!」

 三度目の一撃で絶対血出たわ。明日病院行くことが決まっちまったじゃねーか!

「真面目な話なんだけど……」

「悪い悪い。色々と言ってきたけど要は今までありがとう。そしてこれからもってことだ」

「とか言いながらさっきみたいな目に遭いたくないからなんでしょ」

「一、二割はな」

「意気地なし」

 その時、姫岬の左手と繋がれた右手が、ぎゅっと強く握られた気がした。


 訪れた九時手前、フィナーレを迎えた今年の水峡祭。

 母船からマシンガンの如く連続で発射される菊や牡丹のカラフルな打ち上げ花火が炸裂する。

 観客全員が口を噤み、さらに一段階高い空を見上げる。

 ピカッと一点が光り、ズッッッドーーーン、という爆音を伴って締めくくりの特大柳形花火がトライアングル状に輝いた。ジリジリジリ、と余韻の灯火が垂れ落ちてただの塵となり、周囲の観客が拍手や声をあげて一番の盛り上がりを見せる。

「もう少しで、世界一可愛い姫岬叶愛に惚れてしまうとこだった。危なかったよ」

「私こそ、世界一カッコいい皆月碧を好きになりかけたわ。良い頃合いね」

 俺たちが通してきたかりそめの関係には、くだらない冗談が合っている。

 その騒ぎの中で俺と姫岬は繋がれた手をそっと離し、四ヶ月のかりそめの関係を終わらせた。

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