第22話 絶体絶命のピンチ2
「堀北さん! 逃げました!」
ガサガサっと奴らの足元が鳴って、一人のモブの声が聞こえた。そして「追いかけろ!」と指示を出す堀北の声が届く。
運が良ければ完全に姿を消しておさらばしたかったが、こちらの姿を目視されてしまってはそうもいかない。こっちは浴衣姿で走り難そうな姫岬を抱えていて、あいつらは鍛えられたデカい体が高密度の中では障害となる。
「一体どこへ向かっているの!?」
「二人きりでイチャコイチャ出来そうな場所だ。奴らに見られながらだと落ち着かないからな」
早くも息切れを起こしている姫岬に、俺は柄でもないジョークを言ってはぐらかす。
好き勝手振り回しておきながら「特に決まってない。兎に角付いて来てくれ」なんて到底言えるはずがない。俺には彼女を守る義務があるし、弱みを見せるわけにはいかないのだ。
万が一にも姫岬が一生心と身体に傷を負うようなことをされてしまっては、姫岬に対しても親御さんに対しても責任が取れない。
露店が連なっているホットスポット内でずっと逃走する訳にもいかず、考えなしに人と人の間隙を縫って、一先ず堀北達から距離を取ることに専念する。歩行者天国となった湖岸沿いの国道を西へ突き進むと、徐々に人出が少なくなり、比例して露店の数もグッと少なくなった。
「どうだ、あいつらまだ追ってきてるか?」
「まだ、来てる……」
手を引く姫岬の額に汗が光る。
「もう少し頑張ってくれ」
うんうん。と答えたいのだろうが、姫岬は頭を上下させるだけで声を発さない。発さないというより発せないと捉える方が正確だろう。それほどに消耗しきっている。
さて、どうするか。
暗闇に乗じて細道に入ってもいいが、姫岬の下駄の足音でバレてしまう。だからと言って、小石が転がっている道路で脱いでくれとも頼めない。無鉄砲に突き進んだ弊害が生じてしまった。
「あ、あたし……そ、そろそろ限界……」
過呼吸気味の姫岬の言葉にも生気が乏しくなっている。
もう駄目かも知れない……。奴らに捕まって物陰に連れ込まれる。
俺は肋が陥没するまで殴り蹴りされて、姫岬は俺が挑発してしまったせいで好き放題レイプされるかも知れない……。考えたくもない最悪のシナリオが脳裏を過ぎった瞬間、ふと遠くで鉄と鉄が激しくぶつかり合う音が鋭く鼓膜に刺さった。
無傷で姫岬を帰すにはこれしかない。
一秒に満たない何気ない音が、俺には天のお告げのように感じられた。
「姫岬っ。あと五十メートル頑張れるか?」
顔を真っ赤にした姫岬は、力強く俺の右手首を掴む。
「よっしゃ! また今度パフェ奢ってやるから楽しみにしとけよ!」
甘い言葉で励まして、俺も姫岬の左手首をギュッと握り返す。
そして姫岬を強引にエスコートして、湖岸と反対側の線路を目指して舵を切った。
「こっちです! 堀北さん!」
小判鮫の声が周囲の響き、絶え間ない足音が後を追って近づいてくる。
精一杯線路沿いの道路に向かう俺たちとちょうど良く落ち合えるスピードで、出雲方面から温泉駅に向かう四両編成の電車が走ってきた。
しかもこちらにツキがあるようだ。普段は二両編成の車両が水峡祭のために増結している。奴らとの距離は二十メートル。追ってくる姿を確認して、建物と駐車している車の間を突っ切る。
「小賢しいぞガキコラァッ」
小賢しくて当たり前だ。お前達が授業サボってタバコや女遊びしてる間にこちとら脳みそフル回転させて勉強しとんのや。今楽しければ良い精神のお先真っ暗親不孝者に負けて堪んねーよアホ! 心の中で力一杯叫んで、気持ちを奮い立たせる。
建物と車の狭い隙間を抜けて単線の線路を拝む一本道に飛び出したタイミングで、オレンジの車両が正面を通り過ぎ、ガタンゴトンガタンッ、と線路の継ぎ目を車輪が通過する轟音が、辺り一体を支配した。騒がしい音で下駄の鳴る音は掻き消された反面、五人がどこまで迫っているか判別出来なくなったのは心配ではあるが、ここまで来れば大丈夫だと信じたい……。
あとは隠れるのみ。俺は姫岬の肩を掴んで、ビルとビルの間に体を滑り込ませた。
そこは人が一人通れる幅しかない狭い隙間で、上には排気口、壁には飛び出す分電盤と排水管が飛び出している真っ暗闇の空間だった。足元には室外機まであって奥に進めそうにない。見つかったら確実にお陀仏だろう。
頼むから通り過ぎるなり引き返すなりしてくれ……。
さすがに緊張で息を切らしながら、神経が千切れる思いで壁に身を預けた。
駅に入線するところで電車は低速運転を開始。未だにガタン、ゴトン、ガタンと、さっきより長いスパンに変わって鳴り響いている。車窓から溢れる温かい光が今だけは、「コイツらはここにいるぞ」と、俺たちの場所を示しているように感じられた。
西徳五人の声は届かない。耳に入るのは忙しい心臓の音と激しい息遣い。なぜだか女子がよく使っている柑橘系シャンプーの匂いが優しく鼻腔をくすぐっている。
実際三十秒くらいに感じられた秒針の速さは、三倍にも四倍にも錯覚させるほどに長く、ようやくプシュぅー、と電車がブレーキをかけた静寂にも胸騒ぎを起こすアクセントは加わらない。
それから十秒、二十秒、一分、三分と、あいつらの声はせず、排気口と室外機のスクリューだけが側で回っていた。
いい加減外に出てもいいだろう。あいつらは腐っている以前に脳筋だ。物音ひとつ立てずに待ち伏せできるお利口さんではないはず。俺は壁に手をついて、預けていた体を立て直した。
「ちょっと……痛い……」
「え、あっ、すまん!」
パニックになって、背後の壁まで後退りする。
「えーっとこれは違うんだ! 何というか、お前を守ろうとして……」
ヤバい、これはマジで洒落にならん!
西徳の不良からバレないよう気配を消すことに必死で、俺は壁と自分の体の間にか弱い女子を挟み込んでいたらしい。密着していたからシャンプーの匂いがしたんだと、ようやく気づく。
体力が尽きるまで好き放題連れ回した挙句、好きでもない男に身体を重ねられたとなれば出るとこ出られてもおかしくない。必死の出来事だとしても反論できず、信じてもらえるはずもない。姫岬の呼吸は肩で息をするほどに乱れていて、それほど強く圧迫していたと簡単にわかる。
顔は俺から背けられ、目を合わそうともしてくれない。
「不純な気持ちは一切ない! お前だけは守ろうとした結果がこれで……ほんとゴメン!」
誠心誠意謝りはするが、きっと意味をなさない。
勝手に手は繋ぐわ、脇腹をつまむわ、固い壁との板挟みにするわ。
かりそめの範疇を大きく逸脱した行為を、姫岬はきっと簡単に許してくれないだろう。
こうして俺が釈明している間も別の場所を向いてしまっている。
「ありがとう……でも、もう少し優しくしてよ。痛かったじゃない」
その瞬間、細く切り取った南の空に数輪の大花がドッカーンと咲き乱れた。
ビルとビルの間から差し込む赤と黄色の光は俺たちを鮮明に照らし、ほんの数秒だけ戻った視界には真っ赤な薔薇のように顔を火照らせた美少女が映る。
藍色の空に所狭しと咲き誇る様々な季節の花々。
すべてを踏み台とするように、一際てっぺんで可憐に咲き誇る一輪の薔薇の花。
まさにその薔薇こそが、姫岬叶愛だった。
薔薇には無数のトゲと綺麗な花弁がある。
姫岬にも悪い性格と、生意気なほどに整った顔を始めとした群を抜く容姿がある。
俺はその長所と短所、すべてを引っくるめて魅力的だと思ってしまった。
痛いところを突いてくる性根も、何かと奢らせようとする精神も、素直じゃない憎たらしさも。
今なら〝可愛い〟の一言で笑い飛ばせる気がする。
彼女に抱いてしまったこの気持ち、これが恋なのかもしれないと思った。
でも冷静に考えれば、それはきっと違う。
恐怖が生み出すドキドキを恋愛感情のドキドキと勘違いして認識している。
いわゆる吊り橋効果というものが、俺の心理で猛威を振るっていると考える方が最もらしい。
妙にはだけた浴衣が魅惑的で艶やかに見えるのも衝動的な感情によるもので、明日になれば「憎たらしい」と思うだろうし、「嫌な奴だ」と思うはずなのだ。
思うはずではなくて、思わなければならないんだ。
俺は壁に背を預けながら、はだけた浴衣を直す姫岬に声をかける。
「すまんっ……ほんとに大丈夫だったか?」
姫岬は目を逸らしたまま言葉を紡ぐ。
「どこも痛くないから多分大丈夫……。ちょっと手首がヒリヒリするけど」
押さえているのは左手首。俺が握っていたところだ。
「マジでごめん。俺も必死だったから力入れすぎたかも」
振り向いた姫岬は「本当よ……」と、俺をグイッと睨んだあと、今までさらけ出さなかった優しい笑顔を作った。その笑顔は俺の目に、純粋無垢な少女が作る素の表情のように見えた。
そして俺は、ある覚悟を決めて世界一可愛い少女にこう告げる。
「今度はちゃんと手を繋いで花火を見に行かないか? 一組の恋人として」
少女はこう答える。
「もちろん。だって恋人だから……かりそめだけど」
今度こそ合意の上で手を繋ぎ、明るく人が多い道を選んで賑やかな湖岸へと足を進めた。
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