第19話 不思議な偶然
空はすっかり夕暮れ。午後七時を知らせる町内放送の物寂しいメロディーが、まともに会話もできない騒ぎの中でも微かに耳に届く。花火の打ち上げ予定時刻まで六十分を切って、湖岸に座り込む見物客が一段と増え始める区切りの時節。国道四三一号線沿いの旅館やホテルの各室に明かりが灯り、もうそろそろだ、という雰囲気が何回も来ている市民の間では強くなる。
「わあっ」
幼い子供の声がして、膝辺りにソフトな衝撃が走った。
足元に視線を落とすと小さな男の子がフラつきながら、頬の辺りを手で摩っている。
「大丈夫? 怪我はないか?」
膝を屈めて男の子と目線を合わせる。
「大丈夫。前見てなかった。お兄ちゃんこそ痛くない?」
「痛かったら崩れ落ちてるって。大人を甘く見てもらっちゃ困るぞ?」
冗談めかせて笑い掛けると、男の子も無邪気に笑い返す。
「どうしたの。パパとママは? 一緒じゃないのか」
途端に男の子の表情が曇り、「パパとママ嫌い」と重たく零した。
「どうして? お兄ちゃんはお父さんもお母さんも妹も大好きなのに」
「だって何回頼んでも綿飴買ってくれないんだもん。あんなパパとママいらない」
なんとも子供らしい衝動的な理由。だが断じて手放しに可愛いとは言えるものではない。
「そんなこと言ったらダメだぞ? 代わりにお姉ちゃんの食べかけなら食べていいから」
「そうなの? いぇーい!」
隣で同じように腰を落としていた姫岬の綿菓子を無断でひとつまみして少年に差し出すと、一口で完食して再び笑顔が戻った。
「ありがとうお姉ちゃん!」
「いいわよ。別に」
硬い不自然な笑みを少年に向けた姫岬は、流れでキュイッと俺を睨みつける。
俺の金で買ったものだから、恨まれる筋合いはないはずだぞ守銭奴め。
「あおいー早く帰って来なさーい」
「パパとママだっ! またねお兄ちゃんとお姉ちゃん!」
先で若い男女が手招きをして、何事もなかったかのように少年は走って行く。
「行かなくていいの? 碧くん」
「絶対言うと思った。ドケチのお姉ちゃん」
「あなたって意外と優しいのね。もっと冷酷に『退けよッ』って蹴散らすかとばかり」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ? これでも子供から好かれやすいんだぞ」
「不思議なこともあるのね。でもどうしてあんなことしたのよ。家の方針に背いてたら逆効果よ」
子供に、駄々をこねたら欲しいものが買って貰えると思わせないように、厳しめの教育している家庭も多いらしいから、易々と綿菓子をあげたのは間違っている。と姫岬は危惧しているのだろうけど、「パパとママ嫌い」なんて言われては、黙ってあげてしまう。お父さんと手を繋いで俺たちに手を振る少年を見送りつつ、あの少年と近しい歳だった頃を振り返る。
「まあそうかもしれんが、昔真逆の事を言う奴がいてな。俺が小学生になるより前に一時期仲良くしてた女の子がいたんだ。俺の父さんと母さんを見る度に『パパとママがいるっていいね』って執念いくらいに言ってきて、どうしてか理由を聞くとその子は『ずっと前からいないんだー』って下手な作り笑いをしてたんだよ。確かにその子の親を見たことがなかったし『遠くで暮らしてんのかなあ』って俺は思ってたけど、母さんに聞いてみると少し前に両親二人とも亡くなったって言っててな。そんなことがあって、俺は家族がいるって幸せな事だって感じるようになったんだよ。それから俺かあの子、どっちが先に引っ越したか覚えてないけど、一年に一回くらい頭に浮かんで、元気にしてるかなぁって回想したりするんだ」
十年以上も前の懐かしい記憶だ。また次思い出す頃は来年の今頃だろう。
あの子も極度に暇だったのか、鬼ごっこや虫取りに不定期で参加する子が多い中でも皆勤賞だったような気がする。十何年も昔の話で、顔や名前すらまともに浮かんでこない。
「そう……元気にしてるといいわね。その子も」
「もしかしたらすれ違ったりしてるかもな。きっととんでもない美少女になってるはずだよ」
「未練タラタラね……良い話なのに、少し引いてしまったわ。ごめんなさい」
「あの子がお前じゃなくて良かった。それを知れただけでも来た意味は充分にあった」
少年の姿が見えなくなって、俺と姫岬はほっこりした気分で祭り見物を再開した。
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