第17話 浴衣の破壊力
たった三週間しかない夏休みの貴重な一週間が経過して、暑さも人も最高潮に盛り上がる八月に突入した。勉強や昼寝をしているだけで簡単に日々は過ぎ去って、なんら通常の土日と変わらないダラけた時間の使い方をした結果、軽度な自責の念に苛まれている。
そして山陰地方最大級の花火大会である水峡祭が、今年は八月第一日曜日であるまさに今日開催される。台風の進路を予測するAIがあるように、人の数時間後の未来を予測するAIがあったなら、恐らく九割以上の予測機が『今年の水峡祭は、皆月碧にとって十六年間で最悪の水峡祭になる』と予測するだろう。
その理由はAIに頼るまでもない単純なもので、先々週末に訪れた天神さんのお祭り中、偶然遭遇した旧友のエッチな姿に俺が鼻を伸ばした……もとい、旧友との話に夢中になり過ぎたことで彼女がいるという設定を放棄して、姫岬を不快な気持ちにさせてしまったことにある。
以降謝罪のLINEを送っても既読が付くだけで返信は来ない日々が続き、軽い感じで交わしてしまった水峡祭に行くという約束が、この日を迎えて最大のネックになってしまった。
その約束さえなければ普通の夏祭り。嫌でも夏休み明けに学校で会うことになり、なし崩し的な和解も望めたのだが、考えるだけ無駄なたらればの話で今更どうにもしようがない。
返信が来ない中でも祭りに行くか行かないか、俺はどうするべきか考えてみたところ、姫岬の意思を確認する事が出来ないまま独自の判断で約束を放棄した場合、万が一にも姫岬が来てしまったら火に油を注ぐことになると考えうる最大のリスクを考慮して、昨晩姫岬に意思を確認する旨のLINEを送っておいた。
『明日夕方六時温泉駅の前で待ってます。直接謝る機会を頂けると幸いです。花火が終わるまではいるはずなので、気が向いたら来て下さい』
そろそろ約束の午後六時になろうとしているのに、既読すらついていない。
駅前を集合場所に指定してしまったせいで、ここにきて電車やバスが到着する度に暑苦しいほどの人が駅から流れ出てくる。小さな子供がいる親子ずれや中学生くらいの学生グループ、そして一番目につくのは仲睦まじいカップルの姿。
二人きりの世界に入り込んで、周りの人間なんて自分達を引き立てる為のエッセンスとしか考えていなのだろう。リア充爆発しろ……とまでは言わないが、リア充もう少し慎ましく生きろとは思う。寂しさとか虚しさを過敏に感じてしまうから。
「──花火どこで見るー?」「──綿菓子買って〜」
「──よっしゃあッ買いに行くか!」「──あーっ! 今他の子見てた〜」
「……はあ」
こんな会話ばかり聞こえてしまうのも全て二週間前の愚行のせいであり、何もなく外面は一般的なカップルとして過ごせていれば、今頃俺も思われる側の立場になっていた。
仕方ない。少なくとも九千発の花火が打ち終わるまでの三時間、俺は温泉駅の前で一時間に一回足湯に浸かりつつ渋谷の忠犬ハチ公の如くアオ公となって、祭りを行き交う人々の無事と幸せを祈るシンボル的存在になってやろうじゃないか。
「ごめんなさい……待たせたかしら」
暇を極めた暇潰しとして目の前を通過する人の靴のサイズを予想する遊びをしていたら、バス停のある方向から二週間振りの彼女の声が聞こえてきた。
濃い紫ベースの生地に桜や紫陽花、椿の花を華やかにあしらった浴衣に身を包み、嘘みたいに細い腰を臙脂色の帯で締めた、一際存在感を放つめちゃくちゃ可愛い姫岬叶愛が少し気まずそうに、そこには立っていた。艶々の髪にあしらわれた髪飾りもとても良く似合っている。
それに生地の紫と浴衣から出る真っ白な四肢に首以上が魅惑的な相乗効果を生み出している。
足元の黒い下駄は、スニーカー至上主義の俺から見ても特例と言わざるを得ない。
「まさか、来てくれるとは思ってなかったよ」
高鳴る鼓動を抑えつつ、平静を装って声を掛ける。
「だって約束しちゃったから。ドタキャンするような人間にはなりたくないわ」
約束だから仕方なく、というニュアンスも姫岬らしい。
「嫌だったなら『明日のはやっぱりなしで』とか連絡くれれば良かったのに。最悪スタンプの一つでも。本当に難儀な性格してるのな」
「うるさいわね。あなたも九時まで暇しなくて良くなったんだから感謝しなさいよ」
「はいはい。ありがとう。ついでにこの前は悪かった。俺から提案しときながら軽率だったよ」
「ついでって……、本物の恋人なら破局ものよ。けどまあいいわ。今日は奢ってもらうから」
「はーーー。それ目当てかよお嬢さん」
浴衣を着ているため、お姫様よりお嬢様の方が似つかわしい。
「そんなことより浴衣については何も言わないのね」
心なしか浴衣の袖を上げたような姫岬は、恨めしそうな眼差しで俺を見た。
「そうだな……。なんと言うべきか、今日見てきた女子の中で一番可愛いだろうな」
耳にたこができるほど何回も言ってきたことではあるが、姫岬の容姿はお世辞抜きで周りよりずば抜けている。平均より高い身長にスラっとした体のライン。脚の長さも日本人にしては長い方に間違いなく入るだろう。
そんな大和撫子が鮮やかな浴衣を身に纏って可愛くならないはずがない。あんまん級の小さな胸も浴衣を着ればさらし要らずの利点となり、雪見だいふくをぺちゃんこに潰した残念な膨らみが浴衣の上から認識出来る。
「本物の彼女でもない相手によくそんなこと言えるわね。本当に惚れたらどうしてくれるのよ」
三十度を超える猛暑のせいか、姫岬の頬が赤みを帯びる。
「お望みなら本当に付き合いしょうか? まあお前のことだからジョークなんだろうけど」
「正解。百点満点の答えね」
憎たらしく口角をキュイッとあげる。
恥ずかしながら一瞬俺の乙女心がグラついてしまった。乙女の気持ちを弄んだ罪は重いぞ。
「雪見だいふく食べたくなったからコンビニ行かないか? ついでに涼みたい」
口が裂けても「お前のペッタンを見てたら食いたくなった」なんて言えやしない。
「まあいいけど。お祭りに来て最初に食べる物が雪見だいふくって風情の欠片もないわね」
「じゃあお前は食べないってことだな」
「いや、タダで貰えるなら貰っとくわ」
「やっぱりか。じゃないとお前らしくないしな」
温泉駅から花火が上がる宍道湖とは逆方向に城山西通りを進み、二百メートル先にあるローソンで雪見だいふくを購入した後に元来た道を戻りながら、二人揃ってアイスを食べた。
主に雄だけで行動している輩から刺すような視線を感じたが、きっと俺もリア充の一人として捉えられているのだろう。
その度に、悪くないな。と、満更でもない感想を抱いてしまったのは、決して口にはできない。
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