第12話 月とトンボ

 卑怯な手で心拍数勝負に負けた俺は一人会計を済ませて、先に退店していた姫岬と合流する。

 十二時過ぎに昼食兼デザートを食べ終え、七時間休憩なしで勉強を続けた。

 お互いさすがの集中力で勉強中ほとんど言葉を交わすことはなく、唯一覚えているやりとりが「消しゴム借りるぞ」と「いいわよ」だけなのは、偽カップルだとしてもどうなのだろう。

一般的な恋人でいうところの停滞期だとしても、少な過ぎやしないだろうか。

 そうしている間に陽は完全に沈みきり、目の前の国道を走る車から発せられるLEDライトと旧型車の黄色いライトの共演で、田舎臭がより一層際立つ時間になった。

 二人合わせて四千円弱、これまでの出費はかなり痛い。

「ご馳走さま。勉強もできたしスイーツも食べれたし、今日は充実した一日になったわ」

 月光の下、店前のベンチに腰掛けている姫岬が、蠱惑的なオーラを放つ脚を組んで俺を迎える。

「言葉と態度が伴ってないんですが。そりゃあ勉強もできてタダでスイーツ食べれたんだし気持ちはわかるけど、そこは嘘でも誠意見せとけ」

「ありがとうございました。帰りのバス代もいただけませんか」

 ベンチから立ち上がり、膝に手を付いて形だけ感謝を示す。少しは学習したみたいだ。

「売れ行きの悪いキャバクラ店のキャバ嬢かお前。てかバスで来たのかよ」

 偶に昇降口まで一緒に降りるが、いつも姫岬は自転車置き場の方に向かって歩いていた。

 このカフェは三中校区から紅山高校への通学路途中にあるし、バスで来る理由はないはず。

「私服なのに汗かくのは嫌だからね。片道二百円だから安いのよ」

 ツンデレ語に訳すと「折角のデートだから最高のコンディションの自分を見せたかったのよ。二百円を取るか最高の私を見せるか言うまでもないでしょ!」になるはずだが、姫岬に限ってそれはないだろう。シンプルに二百円で涼しさと快適さを選んだだけだ。

「今日はここでお開きね。バス停まで送りなさい」

 ったく可愛くねえ……。もっと男心をくすぐる言い方は出来ないものか。

「元からそのつもりだよッ」

 カフェから数十メートル離れた県道沿いにあるバス停まで恋人らしく並んで歩く。

 呆れて天を仰いで空を見上げると、真っ黒に塗りつぶされたキャンバスに白いスプレーを吹きかけたような無作為な夜空が広がっていた。シャーペンの芯程度の無数に散らばった星の中に、コンパスを用いて描いた円の如くまん丸な満月が、神々しい光を放って堂々と浮かんでいる。

「なあ姫岬。月とトンボが似てるって考えたことないか?」

 俺は昔を懐かしんで、ふとそんなことを口走ってしまっていた。

「月は別の星だから当たり前だけど、昔はトンボだって追いかけ続けても捕まえられなかっただろ? この歳ではせこい手段で捕まえられても、子供の頃は知識もないし無理だったよな。外で遊ぶときはずっと網持ってたから、月を見るとよく思い出すんだよ」

 幼い頃住んでいた同じ市内のアパートは草や木が茂る自然が比較的多い環境で、同年代のガキ共と一日中外で遊びまわる日常だった。主な遊びは鬼ごっこや隠れん坊、虫取りでセミやバッタ、トンボなどを網を持って追っかけてたっけ……。

 今はそれくらいしか覚えてないが、多分その頃子供ながらに感じたんだろう。

「ん? どうかしたか?」

 横を歩く姫岬が俺を見つめたまま、ポカーンとした表情を一切変えない。

「まさかお前、高校生のくせに昔を懐かしんでんじゃねーよって思ってないだろうな」

 姫岬はハッとして「あ、バレてました?」と笑みを浮かべ、再び前へ向き直る。

 別になんと言われたって良い。当時は何するにも自由で一番楽しかった。

 朝早くから太陽が沈むまで昼ご飯も食べずに好きな遊びを好きな奴らとひたすら満喫する。

 就学してしまってからは一生体験できないプライスレスな思い出だ。

「あなたって昔どこに住んでたの? 北海道とか沖縄?」

「どうしてそんなに極端なんだよ。どっちかと言えば沖縄が好きだけど、悲しいことに生まれてから今日までずっとこの街だ。大学では絶対関西に出るって決めてんだよ」

 身近な都会が広島や大阪で、バスや特急を用いないと行けない距離だから都会への憧れは尋常じゃない。修学旅行なんて都会に行く為にあると考えているくらいだ。

「そうなの……。私も生まれも育ちもこの街だから、珍しくあなたに同感だわ」

 姫岬の調子はどこか悲し気で、憂鬱そうに呟いた。

「こればっかりは仕方ないよな。子供は生まれる場所を選べないから」

 心底田舎に生まれた子供は不憫だと思う。何をするにも都会に出る必要があり、別途交通費が掛かって、趣味のイベントやプロスポーツは数年に一回開催されれば良い方だ。

 田舎に住むメリットを強いて言うのであれば、犯罪が少ないことや受験の倍率が低いことくらい。高校入試なんて定員割れをするのが普通になっている。

 民放のチャンネル数だって少ないからチャンネル選びに苦労しない。リモコンの取り合いになることも少ない。……おっと、つい悪口になってしまった。この辺りで止めておこう。

「おっ、グッドタイミング。駅行きのバスが来たぞ」

 バス停の時刻表を確認しようとしたら『北循環線外回り 松江駅行き』と表示された青色のバスが信号に止まっているのが目に入った。夜は本数が少ないから超ラッキー。

 バスが来るまで姫岬の子守をする必要がなくなったのは、俺にとっても有難い。

 屋根下に設置されたベンチに腰掛ける間も無くバスがやって来て、姫岬が乗り込んだ。

「えーっと、パフェとコーヒーご馳走さま。また明後日学校で会いましょう」

「楽しみにしてる。夜だから用心して帰れよ」 

 今日初めてカップルっぽい会話を交わし、バスに乗り込む姫岬を見送った後にカフェの自転車置き場まで引き返す。なんだかんだ楽しかったから、一人夜道を帰宅することが寂しく感じられる。姫岬のやつ、俺の思い出話で笑いやがって。俺は根に持つタイプだからな!

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