第8話 契約
「てかさっきのナンパヤバくなかった?」
「それなあ。男子の顔は見えなかったけど女子は
「中学から凄いモテてたから慣れたものじゃないのかなあ? 心配ないって」
「なんつーか、突き放すような言い方だな。なあ、
二人の会話をまともに聞き入れず「あぁ……」と、曖昧な空返事で応える。
あの後順路通りにペンギンコーナーまでやって来たが、道中脳裏ではずっとさっきの光景がリフレインしていた。姫岬は無事に逃げ出せただろうか、怪我はしてないだろうか、ヒートアップしすぎて、より酷い状況になっていないだろうか、そんなことばかり考えてしまう。
もし姫岬のポジションが面識すらない我が強くて顔が良いだけの女子だったとしたら、可愛いって良い事ばかりじゃないんだなぁ、とその場限りの同情で済ませていたはずだ。並よりも美しく生まれてきてしまった弊害としてはしょうがない。甘んじて受け入れるべきだ、と。
しかし俺にとってあの女は、もはや客観的に可愛いだけの女ではなくなってしまっていた。
八年間頑なに〝運命〟を嫌い続けていた中で現れた、何かを変えてくれる可能性を秘めた唯一無二の同級生。ちっとも好きにはなれない、見た目だけが優れている強情なクラスメイト。
俺は自問自答を繰り返した。返り討ちに遭う覚悟で紛争地帯に突っ込むか、このままモヤモヤした気持ちのまま
様々な択を天秤にかけてみること、ものの三歩。その答えは如何にも俺らしい形に収まった。
よし、今すぐに助けに行こう。そして今回のような機会に乗じて、姫岬の心理に重くのしかかるほどの恩を着せてやる。姫岬が迷惑を被っている現場に割り込み、強引にでも場を収めることで還元したくなる気持ちを芽生えさせ、仕方なくでも付き合ってあげようという気持ちへ誘導する。姫岬だって心のある人間……のはずだ。きっと一年の間に作戦は成功する。
ギネス記録に登録されるまでに、厚く重たく図々しく、恩という服の重ね着を強要してやろう。
けど一応平和的な交渉も忘れずに。あの女が優秀な外交官であることを信じて……。
「トイレ行きたいから戻るわ。先行っててくれ!」
二人の背中に一方的にそう吐いて、反応を待たずして来た道へ引き返す。
「え、皆月君!? トイレならこっちが近いよー!」
「ほっといてやれ浅川。食い物に好き嫌いがあるように、トイレにも好き嫌いがあるんだろうよ」
「トイレの好き嫌いって何!?」
伊織の頓珍漢な発言と、浅川の真っ当なツッコミが通路に反響して聞こえてくる。
趣旨は解せないが、浅川を留めておいた功績を賞して、明日にでも購買でパンを奢ってやる。
踏み出す歩幅をいつもより広げ、全力疾走で駆け戻った現場では、依然として執念いナンパが続いていた。数分前より増して、姫岬と迫る男二人の間が狭くなっている。
「──ちょっと返しなさい! そんなことして何が楽しいって言うのよ!」
萎縮して手が出せない姫岬の前で、黄色いストラップが下がったスマホを触っている脳筋共。
「すいませーーん! 失礼します!」
俺は勢いのまま三人の間に飛び込んだ。すると脳筋男どもが後退りして、距離が開いた。
「危ねーなっ! 誰だお前! 館内は走るなって書いてあっただろ」
おっとビックリ。見た目とは裏腹に、こいつらの根は真面目なのかもしれない。
「申し訳ない。僕の大切な彼女がナンパされてるように見えたので」
「「「はあ!?」」」
姫岬を含めた三人が一斉に声を上げる。
「お前この女の彼氏かよッ」と、俺に問う脳筋A。
「彼氏いないって言ってたじゃねーか」と、姫岬に問う脳筋B。
「あなた何言ってるの!?」と、俺に問う姫岬。
「うちの娘が自慢の靴でも踏んじゃいましたか? お詫びとして拭かせていただきます」
周囲の言葉を聞き入れずに俺は自分のリュックからティッシュを取り出して、スマホを持っている脳筋Aの靴を磨こうと膝を屈める。
「やめろ気持ち悪い!」
黄ばみまみれのハイカットを履いた脳筋Aは足を引っ込めた。
「お前男の趣味悪いわ。なんか冷めた。ほれ、返してやるよ」
捨て台詞と共に脳筋Aは手に掴むスマホを投げ捨て、落下寸前で掴み取ることに成功した。
「ほぉ……。物騒な奴らだったな」
脳筋二人の姿が見えなくなって自然と肩の力が抜ける。
「ちょっと、私が大切な彼女ってどういうことよ。告白を受け入れた覚えはないのだけど」
「すまんすまん。これしか方法なくてな。はいこれ、お前のだろ」
スマホを差し出すと、鮭を取る熊のような素早いモーションで俺の手から奪い返した。
勢いでスマホケースの黄色いストラップが大きく揺れる。何だこれ、趣味の悪い毬藻か?
「どういうつもりなの? 嫌がらせ?」
奴ら二人に抑えつけられていた鬱憤を晴らそうとしているのだろうか、腕も脚も組んでべらぼうに態度が悪い。一応助けてやったんだし、恩人扱いしてくれてもバチは当たらないのに。
「それはないだろお前さん。お前は家が火事になって、消防士の方々が火を消してくれても『どういうつもりなの? 嫌がらせ?』って言うのかよ」
姫岬は眉を寄せ、「はあ? いきなり何?」と露骨に迷惑そうにする。
「だってお前さっき炎上してただろ。炎上させられたんだろうけど」
「わざわざそんなくどい言い方やめてくれる? ありがとうって言って欲しいならストレートに言いなさいよ。あなたはカーブしか投げられないの?」
「残念ながら俺は野球部じゃないんだ。でも少しだけ曲がるしょんべんカーブなら投げれるぞ」
「それって風に流されただけじゃないの? 風の強い日なら、きっと私でも投げられるわ」
その喧嘩買った。週末野球場でピッチング対決をしようじゃねーか。容赦なくボコってやる。
……じゃなくてっ、姫岬に言いたいことがあったんだった。
「それはさておきだ。助けてやった代わりではないんだが、ちょっとした交渉がある」
踵を返していた姫岬は首を捻らせて俺を睨む。
「お前さあ、さっきみたいなことよくあるのか?」
「さっきって男たちに絡まれてたこと? それなら嫌味でも少ないとは言えないわね」
「だよな。なら取引をしないか? 俺にもお前にも等しくメリットがある」
「怪しい匂いが漏れてきてるけど、私にもメリットがあると言うなら聞いてあげなくもないわ」
俺は不気味に口角を上向かせて「俺と付き合わないか?」と、またまた告白をした。
姫岬は、またかと言いた気に顔を歪める。それでも俺は続ける。
「飽くまでフリという前提で、だけどな」
「いやよ。お断り」
えぇ……フリでも振られるのかよ。まだ一つも本題に触れてないんだけどなぁ……。
話の骨を折られ、ゴホンと咳払いをして気を取り直す。
「お前は興味のない輩から好意を寄せられて困っている。俺はお前と付き合って運命を確かめたいけど、お前が拒むから困っている。そこで俺とお前が付き合えば利害が一致すると思わないか? お前に付き合ってる人がいるとわかれば告白してくる人数もグッと少なくなるだろうし、俺は望み通りお前と付き合える。重要だから何回でも言う。飽くまでもフリだ」
始めは怪訝そうな表情を浮かべていた姫岬だが、徐々に目線を落として悩ましい表情に変わった。腕を組んで俯きがちに悩んでいる姿は、誰もが目を奪われる高級絵画になっていて、均等に編まれた三つ編みや、照明を浴びた純白の肌が眩しく映えている。
整った容姿に見惚れていると、姫岬は組んでいた腕をゆっくりと解いた。
「なるほど、それなら悪くないかも。飽くまでもフリと言うのなら」
姫岬の緊張した硬い表情は薄くなって、俺が見たことがない柔らかな表情を見せた。
「そう、フリ。とは言っても最低限の振る舞いは必須だ。そうしないと周りから疑われるからな」
「最低限と言うと?」
「偶にどこかに出かけるとか、他の生徒より親し気にするとか? 詳しくは考えてない」
腕を組んで唸る姫岬。これでもかなり妥協した方なんだけど、まだ厳しいと言うのか。
「これだけは答えて。どうしてあなたは付き合うことに固執するの? 前に訊いたらわからないって言っていたけど、何か答えて。絶対」
固執する理由に関しては前回同様明確な答えどころか、霞んだ輪郭すら認識出来ていなのが現状だ。ここ二週間近く毎日振られ続けているせいか、姫岬のことをミリも好きになれていないし、知りたいとも思っていない。でも空っぽになった歯磨きチューブから最後の一回分の歯磨き粉を絞り出すように力尽くで言葉を紡ぐなら、こうが限界だ。
「近くにいれば何かわかるかもしれない。だから付き合って欲しい」
「……ふーん。なるほど」
姫岬は熱帯魚が自由に泳いでいる水槽を眺める。カラフルなメダカのような小魚や、尾鰭が長くてヒラヒラさせている小魚が縦横無尽に行き交う様子は、自然と気持ちが穏やかになる。
「じゃああなた! 今日から私は肩書き上あなたの彼女なんだから、しっかり守りなさいよ!」
唐突に姫岬が俺を指さし、ハキハキと大声を上げた。
「お、おう! もちろんだっ。お前こそ彼女らしく可愛く振る舞うことだな!」
恩の重ね着のギネス記録は夢に終わってしまったが、平和的に片付いたので結果オーライだ。
そして軽い談笑を交わして俺は伊織と浅川のところへ、姫岬はさっきの二人に会いたくないってことでバスに戻った。やはり見てくれが良いと、それ相応のハンデがあるようだ。
まあ安心しろ。これからは可能な限り寄ってくる害虫は退治するし、虫除けスプレーの役割を果たしてやる。鋼鉄製の大型戦艦に乗った気でいるが良いぞ我が彼女よ。
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