第7話 重いお弁当
「碧、早く食っちまえよ」
「そうだよ皆月くん、置いて行っちゃうよ!」
「今着いたばっかりなんだからそんな急かすな」
今日は一年間で有数の、勉強に関することを脳内から排除できる遠足の日である。
定例行事である遠足は、毎年一学期が始まってすぐに設けられている。
一年生は鳥取県の植物園と島根県内の美術館、二年生は片道二時間半を要する県内の水族館、三年生は大学受験合格祈願の為に出雲大社へ丸一日使って出向く。
クラスに知り合いが元々関わりが薄い柚木さんしかいなかった俺は、木になった林檎が地面に落ちるくらい当然の摂理の如くボッチになってしまい、幸い集合場所のバス乗り場で鉢合わせた伊織と浅川と一緒に行動することになった。
たった今の会話からわかるように、二人と別々のバスに乗っていた俺だけ弁当を食べる時間に遅れてしまったんだが、俺だけ置いて水族館に行こうなんて酷過ぎる。
俺は「それにしても絶景だな」と、目の前に広がる大海原を眺めながら感慨に浸る。
「そうでもねーよ。うるさいだけだろ」
俺たちが弁当を食べている水族館近くの公園は高台になっていて、国道を挟んだ反対側には深青色の日本海と爽やかな天色の空が広がっている。
空には一部散り散りになったすじ雲が浮かび、海では砂浜に寄せては返す白波が不規則に揺れていて、地鳴りのような轟音を響かせて俺たちに襲いかかる。
観光産業は若者を捨て、お年寄りや心を都会で擦り減らしたビジネスマンだけをターゲットにするべきだ。十六年しか生きてない俺にもそう思わせるほどに、この光景は素晴らしい。
「皆月くんはどんなお弁当なの?」
「いつも通りだぞ。今日は母さんが一人で作ってたはずだから、冷凍食品と残り物のオンパレードだろうけど。今日は地味にツイてない日だ」
母さんには悪いが、楽をしたがる性格についての前置きをして蓋を開ける。
「な? 特に珍しいものなんて入ってないし普通だって……」
お、おい。なんだこれは……。蓋を開けた途端、俺の表情筋は引き攣った。
おかずには卵焼きにミートボール、タコさんウインナー、唐揚げに六分の一のお好み焼き、野菜枠として俺の大好きなマカロニサラダまで詰められているとても豪華なラインナップ。
有り難いことに今日の弁当はものすごく食欲をそそる。だが問題は艶やかな白米の上だった。
海苔を切り取った文字で『お に い さ ん ♡』と書いてある。
「えーと、個性的なお弁当だね……。妹さんと仲がいいのは……素敵なことなんじゃないかな」
浅川は戸惑った様子で弁当の感想を述べる。
「食べ終わるまで待っててくれる? ずっと友達でいてくれる?」
二人は大きく頷いてくれた。優しい友達で良かった。覚えとけよ七海、絶対許さねぇ。
水族館に入館して順路を進む。エスカレーターで登った先の三階は世界の水棲生物コーナーになっているようで、色鮮やかな熱帯魚がお出迎えをしてくれる。
綺麗な魚たちに目を奪われていると、オウムガイの水槽の前に人が固まっているのが目に入った。がたいのいい男子二人が髪の長い女子と向かい合って何かを話している。
同じ学校の生徒内でナンパするなんて、後先考えず勇気があるものだ。
「──同じ学校なんだからLINEくらい教えてくれてもいいじゃん?」
「──そうそう。減るもんでもないでしょ?」
「──だから嫌だって言ってるでしょ!? あなたたちみたいな筋肉のことしか頭にない脳筋男には興味ないのよ! お願いだからそこどいてもらえないかしら!?」
離れていても口調で判別できる。壁際に追い込まれてナンパされているのは姫岬だった。
噂で、「姫岬叶愛はモテる」と最も耳にしていたが、遠足先でも口説かれているとは予想外だ。男に関しては選び放題くせして彼氏を作る気がないなんて、皮肉でしかない。
俺はここ一週間宣言通りに放課後毎日告白をしてきたが、見事な全敗を決めていた。
「──随分と偉そうなんだね? 身の程弁えてる?」
「──俺たちと楽しいことして遊ばない?」
見てみぬフリをする伊織と浅川が並んで前を歩いて、その二、三歩後ろを追って俺が歩く。
「──あんた達ホント執念いわよ!」
「──執念いのはお前の方だろクソアマ!」
「──アマでも何でもいいから早く逃しなさい! 先生に言いつけるわよ!」
可愛いって大変だ。興味のない相手の好意を上手いこと片付けないといけないんだから。
俺は片耳だけは後ろのナンパ現場に傾けて、我関せずの態度と精神を貫き続けた。
でも毎日告白している女子が執念く口説かれているのは、男として気になってしまうもの。
薄情かもしれないと思いながらも、俺はそのまま歩を進める。そして順路突き当たりの角を曲がる一瞬だけ首を捻らせると、俺の左目は弱々しく覇気がない姫岬を捉えた。
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