第6話 ファーストコンタクト

 遂に、〝運命の人〟かもしれない人に告白する時が訪れる。

 無事に春休み課題の中から問題が出される課題テストが終わり、テストと始業式だけの初日は午後から放課後になる。部室で部員と弁当を食べてそのまま部活を始める、教室で弁当を食べてから部活に向かう、終礼後すぐに下校して家で昼食をとる、さまざまな選択肢が考えられる。

 既に終礼が終わってから一時間が経過して、弁当を食べるために残っていた生徒はもうどこかへ行ってしまい、二年七組の教室に残っているのは俺と姫岬だけになってしまった。

 しまった。という言い方だとネガティブに聞こえるが、むしろ絶好の機会だ。

 姫岬は南窓から二列目の最前列にずっと着席している。

 背筋は程よく伸ばされていて極端に姿勢が正しいと感じることはなく、かえって猫背のようにも見えない。言葉にするのは難しいが、兎に角ちょうどよく女の子らしい。今日もいつも通りの長い髪を後ろに結んだスタイルで、学年が変わっても姫岬のスタンスは変わることはない。

 柚木さんに姫岬の髪型の名前を訊いたら、三つ編みハーフアップだと言っていた。

 こうして離れた位置からではあるが、姫岬をじっと見ていると、不思議な高揚感に胸が高鳴るような感覚が徐々に押し寄せてくる。去年入学式で初めて彼女を見てからというもの、体育の授業や廊下で見かけることはあっても、同じ教室内でゆっくりと観察できる機会はなかった。

 特別授業では一回も同じグループにはならなかったし、いつも同じ校舎内にいるのに一回も話したこともない。目で追うだけの近いようで遠い存在。そんな確実に遠かった存在が、物理的に近くにいるという実感が、きっと心を躍らせている。

「姫岬叶愛さん初めまして、今年から同じクラスになった皆月碧と言います」

 姫岬の机の正面に立ち、礼儀正しく丁寧に挨拶と自己紹介を済ませると、小説を読んでいた姫岬は静かに栞を本に挟んだ。

「わざわざ個人的な自己紹介をありがとう。私は姫岬叶愛です。少なくとも一年間はよろしく」

「こちらこそよろしく」

 なんだろう、初めて話してみて冷たい印象を受けた。特に、少なくとも一年という言い方。

 ニュアンス通り、ハイクラは毎年入れ替わりがあるから一年のみのクラスメイトになる可能性は普通にあるが、敢えて来年はいないだろうけど、と前置きをする必要はないと思う。

 去年の段階で姫岬の情報を少しは耳にしていたが、良くも悪くも聞いていた通りだった。

「早速だけど、姫岬さんって彼氏とかいる?」

 まず俺は愚直に、一番気になっていたことを聞いて見ることにした。

 当然のリアクションというべきか、姫岬は「はい?」と目を丸くする。

「ごめんごめん! いきなり過ぎだった。でも先延ばしにしたくないから言わせてもらいます。姫岬さん、俺と付き合ってもらえませんか」

 軽く時間が止まった。

俺ではなく姫岬叶愛の時間が。まるで彼女だけが、ゆっくり進む世界から取り残されたように。

 透き通った瞳から綺麗に整えられた前髪まで、髪の毛一本たりと微塵も動いていない。

「えっーとそれは先生から頼まれ事でもされてるって、こと……? よね?」

 ありがちな間違いではある。教員から大量のノートを教室まで運んで欲しいと頼まれたことで、楽するため誰かに助けを求める。今回俺はその類の生徒だと認識されているらしい。

「違うよ。恋愛関係の付き合うの方」

 姫岬は片手をついて頭を抱える。さすがの彼女でもこんなシチュエーションは不慣れだった。

「えーっとごめんなさい、どうして私なのかしら」

「君しかいないからだよ」

「皆月くん。と言うことは、あなたは私のことが好きなの?」

「嫌いではないんだけど、特別好きでもないかな。曖昧な説明でごめんね」

「まったく話の流れが掴めないわ……。一回話を整理させてもらってもいい?」

 姫岬はもう一度手をついて、反対の指で机をなぞる。

「確認だけど、皆月くんと私は初対面よね?」

「そうだね。俺は入学式から姫岬さんを知ってるけど直接は話したのは今日が初めてになるね」

「そうよね? 初対面にも関わらず皆月君は私に告白してきたのよね?」

 俺は「うん」と答える。

「それでもあなたは、私のことが好きではないと?」

「その通り。特別好きって感情はない」

 数秒の間があいて、秒針の動く音だけが教室内を支配する。

「……ならどうして? 好きでもない人に告白はしないと思うんだけど」

 姫岬の主張は全面的に正しい。俺もそう思う。初対面で告白するだけでもイレギュラーなのに、罰ゲーム以外で好きでもない人に告白することはまずないだろう。

 人を好きになった経験がない俺でさえもわかる。普通なら誰だってこんなことしない。

 けど仕方がないんだ。一年前の入学式で、君に〝運命〟を感じてしまったんだから。

「難しいお願いなのは百も承知だけど、四の五の言わずに付き合ってもらえないかな? どうしても姫岬叶愛さん、君じゃなきゃダメなんだ」

「四の五の言わずにって、私が駄々こねてるみたいに言わないでもらえるかしら。特別私を好きって訳じゃないなら別の子でも良いじゃない。名前は知らないけど、バスケ部の子とか」

 好き嫌いや、可愛い可愛くないだけならそれでもいい。

 けど違う。姫岬叶愛、君でないといけない理由は他にある。

「君が俺の〝運命の人〟かもしれないからだよ姫岬叶愛さん。だから俺と付き合ってください」

 言葉では真面目であることをこれ以上表現できないので、精一杯頭を下げる。

 すると姫岬は、バンっと机を叩いて立ち上がった。


「ふざけるのも良い加減にしてもらえるかしらっ! 真面目に取り合ってたのが馬鹿らしいわ。好きでもない人が運命だなんてあるはずがないじゃない!」


 理解してもらえるとは思っていなかったけど、話が平行線をたどり続けると腹が立ってくる。

「だからふざけてないって! 俺は至って大真面目だ!」

「そもそも私が〝運命の人〟だとしたなら、あなたはどうするつもりなの!?」

「自分の思いに素直になることが出来る。ずっとモヤモヤさせてきたこの気持ちに」

「はぁ? 何言ってるのあなた?」

「まあお前にはわかんないことさ。でもなんとかお願いできないか……」

 深々と頭を下げ続ける。どうせ俺が抱く〝運命〟を説明したところで理解はしてもらえない。

そのせいで、ひたすらに頭を下げ続けるしかできないんだ。

「だから一体なんなの!? どういった思考から告白するに至ったのか、説明の一つもないしに押し付けられても困るのよ! 話をするだけならタダでしょ!?」

 俺の誠意に押されたのか、姫岬のガードが若干ではあるものの緩くなった。せっかく訪れたチャンスだ。「理解できないだろうからやめとく」なんて言ってられない。

「まず最初に、俺は運命なんて言葉は大っ嫌いだ。子供の頃に嫌な思い出があって、死んでも恨み続けるくらいに嫌ってる。でも去年の入学式でお前を見た時に、それっぽいものを感じちゃったんだよ。感覚的な話になるからうまく説明できないけど、身体中が痺れる感覚に近い。だから俺はあの時感じた運命が、今までずっと考えてきた運命だったのか証明したいって思ってる」

 結局〝運命〟が、都合の良いだけの便利な言葉だとわかればそれでもいい。

 けど俺は、ほぼ決めつけている中でも微かな違う可能性にも期待している。もし姫岬叶愛との証明の末に、もし〝運命〟の持つ別の意味、もしくは本当の意味を認められたなら、俺は背負ってきた罪悪感を払拭でき、幼馴染だった彼女は救われた。と、自分を許すことができる。

 どの道俺の自己満足に過ぎないが、もう会えないであろう彼女に直接確かめることは叶わないのだから、自己満足でケジメをつけるしか方法はない。

 まあ姫岬叶愛が付き合ってくれなければ、それすらも叶っこないのだが。

 その姫岬は机に引っ掛けていたリュックを掴んで、自席から立ち上がった。

「なるほどね……そういう事。証明するためだから好き嫌いは関係ないと。もっと簡単な協力の仕方だったら良かったけど、さすがに私も好きではない人とは付き合えないわ。ごめんなさい」

 姫岬の口調は、俺の意味不明な熱弁を理解してくれたような優しいものだった。

 イライラに感情を支配された荒々しいものではなく、黙って受け入れてくれそうな。

「好きでもないやつと付き合おうとは普通思わないよな。俺だって、きっとそうだ」

 中学の頃から俺自身も何度か告白された経験はあるが、どの子も特別な好意を抱く相手ではなかったので、その都度お断りしてきた。誰かと付き合うという行為は、好きな異性を独占できるなど、お互いにメリットがあるからこその関係であり、俺は姫岬に何一つも与えてやることが出来ない。姫岬の方は何も求めてはいないだろうが、俺から何か与えられないだろうか。

 リュックを背負って帰り支度を済ませた姫岬は、教室のドアに手を掛けて振り返った。

「ではお先に。あなたはそこそこ顔がいいから、誰かしら付き合ってくれる子はいるはずよ」

 そこそこ顔がいい、かぁ……。

「だったらさ、普通に付き合わない? 俺も君の顔は可愛いと思ってるし」

 姫岬は同じ姿勢のままドアを半分開き、俺の顔を見てふわっとした笑みを浮かべた。

「慰めてあげただけなのに、男って単純な生き物なのね。あなたこそ可愛いわ」

 まんまとはめられた恥ずかしさと、姫岬の透かした笑顔に腹が立って言い放った。

「これで終わったわけじゃないからな! 俺の気が済むまで告白してやるから覚悟しとけ!」

 依然として腹立たしい笑みを浮かべる姫岬。

「ご勝手にどうぞ。何回でも何回でもゲシュタルト崩壊するまで振って差し上げるわ」

 華麗に教室を後にした憎たらしい背中を見送り、翌日から毎日告白してやると心に決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る