第3話 小さくて可愛い女の子

「おっすあおい。今日はちゃんと遅刻せずに来たようだな」

 入学式翌日、教室に入ると先に来てきた伊織いおりが駄弁っていた集団から抜け出して、俺の方に近づいきた。その集団の中には知らない顔も数人おり、伊織のコミュ力の高さが窺える。

「当たり前だ。俺は授業中は堂々と寝るが、遅刻は絶対にしない」

「確かに遅刻してるところは見たことないな。けどなるべく授業中も寝ない方がいいと思うぞ」

 俺の不真面目さに呆れたのか、伊織が若干苦笑いを浮かべている。伊織は部活をバリバリしてるくせに、居眠りはしないしノートはしっかり取るしで、意外と真面目な性格をしている。

「そんなことより伊織。昨日新入生代表挨拶してた姫岬叶愛きみさきかなえってどんな子か知らないか?」

 伊織は不意を突かれたように一瞬固まった。

「姫岬叶愛さん? もしかしてお前彼女のこと狙ってるのか?」

 大体そんなところと伝えると徐に伊織は腕を組み、目を細めて「ほ〜ん」と二回ほど唸った。

「碧にしては珍しいな。今まで聞いたことなかったからそっち系には興味ないと思ってた」

「別に興味がない訳じゃないけど、いいなぁって憧れられる人がいなかっただけの話」

 確かに伊織の言う通りで、俺は過去に「あの子が気になる」とか、「あの子が好き」とか好意を抱いている異性のことを誰にも話したことがなかった。

「でもお前がわざわざ聞いてきたと言うことはマジなんだな」

 納得したように強く頷き、「それにしても選りに選って姫岬さんかぁ……」と呟くが、徐々に声が細くなっていく。何か引っかかる事でもあるのだろうか。あるのだとしたら是非とも教えて欲しいし、どんな些細なことでも貴重な情報に変わりはない。

「何か気掛かりでもあるのか?」と問うと、伊織は少し躊躇いながらも口を開いた。

「あの子めちゃめちゃモテるらしいぞ」

 拍子抜けな誰でもわかるような情報ではあるが、容姿端麗、頭脳明晰の彼女なら多方からそういう誘いは多いはずだ。高校に入学したばかりではあるが、既に彼氏ができていてもおかしくはないし、中学から付き合っている人だっているかも知れない。

「ハードルは高いだろうけど、まあなんと言うか……頑張れよ」

 俺を気遣ってくれたのだろう、最後に伊織は真剣な眼差しを向けた。


 あの後も姫岬叶愛の情報を得るため、業間中席が近い奴らに聞き込みをしてみたのだが、残念ながら誰も知らないようだった。初日のリサーチはこの辺で終わらせて、ソフトテニス部の部室に向かうため席を立とうとすると、前方から俺の名を呼ぶ声がした。

「もしかして皆月くん?」

 顔を上げるとパッチリ二重の色白で、セミロングの髪を後ろで結んでいるポニーテールが印象的な小柄な女子が立っていた。見たことがない顔だけど、同じクラスの人なのだろうか。

「ごめんねいきなり話しかけちゃって。今大丈夫?」

 その子は胸の前で手を合わせて申し訳なさそうにしている。

「俺の名前知ってるんだ。時間は大丈夫だけど……誰かな?」

 そう問いかけると、その子は打って変わって驚いたように目を見開いた。

「あっ、そうだよね。私一応同じクラスの浅川胡跳あさかわこはねって言います。よろしくね」

「同じクラスだったんだ。俺こそごめん。まだクラスの人の顔覚えてなくて」

 流れでごめんって言ってしまったけど、まだ入学して二日目だし周りの人しか覚えられていないのは、ある程度仕方がない。一生懸命覚えようとすれば出来たかも知れないが、今日はそれどころではなかった。二日目でクラスメイトを把握している方が、間違いなくマイノリティーだ。

「まだ二日目だし無理もないよ」

 またしても浅川さんは、申し訳なさそうな控え目な口調で言う。

「でね、特にこれっていう用事はないんだけど、ちょっと聞きたいことがあって声を掛けたんだ。ひょっとしてだけど、皆月くんって中学の頃ソフトテニスしてなかった?」

「え、あ、うん。してたけど……。それがどうかした?」

 どうして俺の中学時代を知っているんだろうか、この子もソフトテニスしてたのか? 部活くらいじゃないと他の中学の子に知られる機会なんてないはずだけど……。

 でもやっぱり違う。屋外の運動部にしては肌が白すぎる。幾ら日焼け止めを念入りに塗っていたとしても、モデルや芸能人のような肌の白さをキープ出来るはずがない。

「やっぱりそうだった! 昨日からそうなんじゃないかなぁ〜って思ってたの!」

 どうしてだろう。ものの数ラリーなのに、いきなり馴れ馴れしくなった。

「なんでそう思ったんだ? 肘の形とか? テニス肘とは言われたことないけどな」

「あー違う違う! 実は私も中学でソフトテニスしてて、大会で皆月くんっぽい人見かけたような記憶があって、もしかしたらって思ったの」 

 まさかの同じ競技経験者だった。まあそうじゃないと俺のことなんて覚えているはずないか。

 大会で何回か見ていたことで、無意識のうちに自然と記憶に残ったということだろう。

 でもその肌の白さは違和感でしかない。文化系の妹と同じくらいに白い肌を保っている。

「それにしては肌の色白いね。俺男だけど、正直羨ましい」

「ホント!? そう言われると努力した甲斐があるよ。私絶対日焼けしたくなくってさ。夏は日焼け止めの上に黒のアームカバーしてたんだ〜。もちろん脚もね」

 そう言って浅川さんは誇らしげに短いスカートをちょっとだけ上げて見せる。

 確かに屋外の部活に所属していたとは思えないくらい白く、吹奏楽部などの文化系の部活の人と比べても遜色ない。

「そこまで焼けたくないんだったら、屋外の部活に入らなかった方がよかったんじゃ……」

 結構鋭いことを指摘すると、浅川さんは唐突に吹き出した。

「やっぱりそうだよね! それみんなに言われる」

 百人に聞いたら九十五人は同じことを考えるはずだ。

「でも親が絶対に外で活動する運動部に入れって言うから仕方なくやってたの。中学入った頃は帰宅部でいいかなぁ〜なんて思ってたんだけどね。うちの親めんどくさいでしょ?」

 そう言いつつも表情はにこやかで、本当は結構楽しくやっていたのだろう。

「まあ女子でも運動部に入ったほうがいいかもしれないな。さすがに外までとは言わないけど」

「ほんと〜? でも確かにやってる間は楽しかったかなあ〜。全然上手くなれなかったけどね」

「俺は行けてもベスト16だった。しかも一回だけだからまぐれだったな」

 自分で自分を分析するのは多少憚られるが、スポーツは大体なんでも球技に限らずそこそこ出来ると自負している。まぐれだったけど、実績として表彰状が家のタンスに眠っている。

「すごいじゃん! 私なんか行けても二回戦だよ。だから午後はいつも暇になるんだよね」

「俺も何回か初戦で負けたことあるからなんとなくわかる」

「仲間だね〜。私の友達も弱かったから、負けた後はみんなでガールズトークしてたんだよ」

「それって部って感じじゃなくてサークルって感じだな。あと一緒にしないでもらえる?」

浅川さんは「ごめんごめん! 本気にしないで!」と、愛想良く笑う。

 今更だけど本当に中学でソフトテニスをしてたっぽい。ちらちらラケットを振る仕草をしてたけど、フォームはそれなりに様になっていた。

「それで皆月くんは高校でもソフテ続けるの?」

「一応ね。やりたいスポーツもないし、続けるつもりではいるかな」

「そうなんだ……。なら私も続けようかな!」

「ならってどういう意味だよ。それだと俺がやるからするみたいに聞こえるぞ」

「へへへ。冗談冗談! 私もやりたいスポーツないから仕方なくって感じだから。あ、そうそう! 私今から部活の見学行こうと思うんだけど、どうせなら一緒に行かない?」

 この子の中では、ほんの数分で一緒に行かないかと誘えるくらいまで距離が縮まったらしい。

「別にいいけど、周りから誤解されない程度にな」

「勘違いされても良いと思うんだけど。じゃあ鞄取ってくるね。皆月くんも用意して待ってて!」

 浅川さんは教室の右端へと小走りで進んでいった。『あさかわ』だから出席番号一番なのか。クラス替えで自分の席を探すのに苦労しなくて良さそうで、少し羨ましい。

 数分待ってようやく「おっまたせーっ!」と、浅川さんがやって来る。背負っている赤色のリュックサックにはディズニーキャラの人形がぶら下げられていて、女子力の高さが垣間見えた。

 アディダスのロゴがでかでかとプリントしてあるリュックサックは、イケてる女の子の模範的チョイスだしな。さぞかし中学ではモテたはずだ。

「浅川さんって中学の頃とか結構モテたんじゃないの?」

「自分で言うのもあれだけど、かなりモテてたんじゃないかな。毎月告られてたし」

「毎月はすごいな。余裕で校内一位だったんじゃない?」

「残念ながら上には上がいるもので、週一で告られてるって噂が立つほどの子がいたんだよ」

 浅川さんは呆れたような苦笑いを浮かべて当時を振り返る。

「そんな子いたんだな。浅川さんよりモテてたって相当な美少女なんだろうな……」

 同じ市内なのにそんな噂は耳にしたことがなく、どれほど可愛かったのか是非とも見てみたかった。浅川さんを完封するレベルなら、芸能人並みの容姿だったに違いない。

「ちょっとそれどういうこと!? なんか私はそうでもないみたいに聞こえるんだけど!」

 反射的に顔を睨みつけられたことで脊髄反射を起こし、キュイッと上体が反る。

「それとっ、さん付けしなくていいから! 普通に呼び捨てでお願い!」

「わ、わかりました。浅川って呼びます……」

 本気で怒ってはいなかったようで、頬をプクーと膨らませている。

さっきの顔は普通に怖かったし、常に可愛く振る舞っているようではないらしい。

「その子のことそんなに気になるの?」

「まあ気になりはするかな〜。俺だって男だから」

 そう答えると浅川は「はあ……」と、ため息を一つ零した。

「その子同じ高校だよ。昨日ステージでスピーチしてた子がそう。まさか入試で一位取るほど頭いいとは知らなかったよ。あの子にはなんでも勝てないね」

「それって姫岬さん?」

「そうそう! よく知ってるね!」

 偶然にも浅川の話していた週一で告られていた女子生徒とは、姫岬叶愛のことだった。

 でも大抵同じ学校内で人気が高い者同士は仲が悪いって相場が決まっているので、深追いは控えることにして、そのまま校庭のテニスコートへ向かうことにした。

「あれじゃない? テニスコート」

 浅川が指さした先は校庭の端。人が手を伸ばせば届く程度の高さのフェンスに囲まれた二面のテニスコートがある。女子は練習を始めているが男子はまだ誰もコートで練習しておらず、敷地の隅に生えた幹がやけに長い桜の木の下に置いてあるベンチに数名が集まって話をしていた。

「女子だけ真面目に練習してるっぽいな」

「あの人達は三中の先輩ではないかなあ。教室で言ったけど、私たちみんな弱かったから」

 浅川が三中ってことは、姫岬も三中ってことになる。

 今日は姫岬が三中だったとわかっただけでも十分過ぎる成果と言えるだろう。

「先輩たちによろしくだけでも言っとくか」

 サッカー部の練習を邪魔しないように校庭の外側を通り、テニスコートの方へ歩を進める。

 その道中で有象無象のサッカー部員の中から「あおいー。しねー」と俺に暴言を吐く愚か者の声がした。大勢いるから身バレしないと判断したのだろうが、声色でバレバレだ。

 浅川は小さくクスクス笑い、「死ねだってさ。椿くんと仲良いの?」と俺の顔を覗き込む。

「仲良いよ。同じ中学同じクラスだったから。てかもう名前覚えたの? さすがに早すぎない?」

 頭の後ろに手をやって、えっへへーと、浅川は随分得意げだ。

「初対面の人でもすぐ覚えられるのが唯一の私の特技なの」

「就職したら特に役立ちそう」

 二人で笑い合い、後日伊織に制裁を加えると誓う。そのまま校庭の土と帰せ伊織……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る