第76話 初雪。ルビィは庭駆け回り、クーニアは付きまとう

 11月下旬。


 薬草園用の建物の立て直しは進んでいるが、夏の時のように急がせている訳でもないのでまだ未完成。

 作業の為に日々、職人や雇われた奴隷たちが拠点を出入りするのにもすっかり慣れた頃。


「雪だー!」


 すっかり冷え込んだ新大陸で初めての雪が降る。

 寝ている間に降ったらしく、薄っすらと庭の上が白くなってはいるものの、まだ降り積もるまではいかない程度の粉雪。


 けれどこどもがはしゃぐのには十分なようで、朝食を終えたルビィがさっそく庭で走り回る。


「ルビィ、作業の邪魔にならないように家のそばだけにしろよ」


「寒いからちゃんと上着と手袋もしましょうね」


 まあ、ノルとアイシャが付いているので問題ないだろう。


「こどもは元気でいいのにゃ~」


「貴様は雪なんて関係なくいつも寝ているだろう」


 ミミは暖炉そばに椅子を持っていって船を漕ぎ、フィーはいつの間にか趣味になっていたらしい裁縫をしている。

 ルビィたちが付けている手袋はアイシャと一緒に編んだらしい。


「せっかくの初雪だし、俺も外に出てこようかな。みんなはどうする?」


「雪なんてどうせこれから飽きるほど見るのにゃ。ミミはここで火の番をしてるのにゃ」


「私も編み物が半端だから中にいる……それからミミ、言ったからには薪と灰の管理はしっかりやるんだぞ」


「うぅ……余計なことを言ったにゃ」


 椅子の背もたれの隙間から尻尾を垂らしながらミミがやる気なさげに肩を落とす。


 二人には振られてしまったのでひとりで外に出るかと立ち上がったところで。


「ワタシも行く。雪、はじめてだから」


「はじめて?」


「うん」


 静かに詩集を読んでいたクーニアに服の裾を掴まれて呼び止められる。

 クーニアはあまり感情が顔に出ないけれど、歌っているときや話しているときの声音にはしっかりと意思を感じさせる。


 感情の表し方の基準が少しばかり人間と違うだけで、ちゃんと色んな物に興味を持っているし、仲間たちのことも大切に思っていてくれていることも、その声音が教えてくれる。


「それじゃあ一緒に行こうか。上着は?」


「必要ないわ。このドレスがあるもの」


 クーニアはいつも同じドレスを身に着けていて、他の恰好をしているところは見たことが無い。

 けれど、お風呂は使っているようだし、汚れているところも見たことがない。


 まさかドレスを着たままお風呂に入っている訳じゃないし……あのドレスはどうなっているんだろう。


「……何かえっちなことを考えているわね?」


「違うよ。誰からそんな言葉を教わったのさ」


 クーニアの言葉を否定しつつ、リビングに居る残り二人の方に視線をやるが、二人とも何かを察してか視線を逸らす。


 仲良くするのはいいけれど、わざわざそういうことを教えなくてもいいんだよ。


「どうしたの? ワタシ、何かいけないことを言ったのかしら?」


「あー……いや、それよりもクーニアに問題がないのなら外へ行ってみようか」


「うん!」


 クーニアは特殊な生まれから俺たち人間が知らないことをたくさん知っている。

 その知識は星火たちの記憶の欠片や、他のバンシーたちの記憶の断片なのだという。


 そうして世界の不思議なことを知っているバンシーだとしても、クーニアはアクシスでは人間社会のことはあまり知らない純粋な少女なのだ。


 そんなことを思考し、勝手に自分を納得させてクーニアとともに外に出る。


 風はそう強くないが、冷えた空気が肌をと刺激する。


 クーニアの様子を窺うも、特に気にした様子はないのであのドレスはあまり気温差などは関係ないのかもしれない。


「ゆーきー! つかまえたっ! あれぇ? ゆきないなったー」


 舞い散る雪の結晶を手づかみで捕まえたルビィだが、握った手のひらを開いてみれば既に雪の結晶は溶けて消えてしまっていたらしい。


 そんな微笑ましい姿を眺めながら上を見ながら庭を歩いていると。


「つかまえたわ」


 横を歩いていたクーニアがぴょこっと飛び跳ねて雪の結晶をひとつかみ。

 開いた手のひらの中には確かにいくつかの雪の結晶が溶けずに残っている。


「不思議な形ね。知っているのに、初めて見たわ」


 紅い瞳で一生懸命結晶の形を確かめているのが愛らしい。

 俺も自分の肩に落ちてきた雪を捕まえてみるが、あっと言う間に溶けてしまう。


「冬が来ることも、雪が降ることもワタシの胸の中では当たり前だと言っているのに……どうしてかしらね。なんだかとても楽しいの」


「知っていることと、実際に触れてみるということは違うからね。だから俺たち冒険者は知っていることが本当にそうなのか、当たり前のことさえ自分の目で確かめたくて冒険をする。クーニアにもそういう想いが強く残っているのかもね」


「……そう。それじゃあきっと、これはアナタの気持ちの一部なのね」


「それはどういうこと?」


「ワタシは一度消えた。そしてアナタの心を拠り所にまた生まれたの。ワタシとアナタはひとつなのよ」


 ……それはどういうこと?

 クーニアが俺の心――魔力――を元に再び妖精の姿を取り戻したとは聞いていたけれど、俺とクーニアがひとつ?


 なんだか疑問が余計に深まってしまった気がする。


 でもまあ、悪い気はしないし構わないか。


「クーニアがどこかに行かないってことならそれでいいよ」


「ええ。ワタシはもうずっとアナタのそばにいるからそんな心配はいらないわよ」


 それはいつものように、いつもと変わらない顔でさらりと言葉にされたけれど……クーニアは外見は同年代で、とんでもない美少女である。


「嬉しいんだけど、照れるなあ」


 クーニアはきっと人間の言葉遣いに詳しくないから思っていることをそのまま口に出しているだけだろうから、無闇に恥ずかしいからやめてと言ってしまう訳にもいかないし……。


「照れなくてもいいじゃない。アナタは大好きな人よ」


「あぁ……うん、はい。ありがとうございます」


 行き場のない羞恥の感情を表に出して悶えないように飲み込んで、何故か丁寧にお礼をしてしまう。


 そうしてその日は珍しく、クーニアと二人きりで会話を楽しんだのだが……直球なクーニアの感情を何度も何度もぶつけられ続ける。


 真っ赤になった顔をルビィに見られて「ちゃんとあったかくしないとダメだよ」と叱られたあと、みんなにくすりと笑われたのはご愛嬌ということで。

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