第75話 セレストとレイナ

 夕食の後もクーニアとレイナを歓迎するパーティは続き、リビングで女性陣は歌をうたったり踊ったりと楽しんでいる。

 ついでにレイナから「この家には楽器とお酒が足りません」などと言われて苦笑しつつ、俺はルビィとノルを風呂に入れてアイシャの寝室へ。


 アイシャのベッドでルビィとノルに文字の読み方を教えながら物語を読む。

 やがて先にルビィが寝息をたて、勤勉なノルが少し頑張って付き合っているものの、パーティの準備で疲れていたのかルビィが寝てからさほど経たずに舟を漕ぐ。


「二人とも、おやすみ」


 しっかり寝入っているのを確認して二人に布団を掛け直してやってから部屋を出る。


 廊下に出れば女性陣の話声が漏れ聞こえるので盛り上がっているのであろう。

 まだ寝るには早いが男ひとりで今から参加するのも気まずい気がして、ノルが前にテントのことで言っていたことを思い出す。


 さて、どうするか。

 風呂に入ったので体を動かす気にもならないし、夜風にでも当たりながら勉強でもするか、と魔法書を手にベランダに出る。


 俺はまだまだ初歩的な魔法であっても魔法陣と詠唱が無ければ発動できないものばかりなので、将来的にエスティアを目指す旅の中で必要な魔法はしっかり身に着けておきたいところだ。


 ぺらり、ぺらりとページをめくろうとする悪戯な風と苦闘しながらベランダの柵に寄りかかり魔法書を読みながら頭の中で陣を構成する。


 そんな作業に集中してどれだけの時間が経ったか。


「随分難しい顔をしていますね。セレストさん」


「レイナ?」


「ノックはしたんですよ? 返事がないから入って来ちゃいましたけど」


 顔を上げればベランダと寝室を隔てる窓のそばに、湯上りなのか少し濡れた明るいブラウンの髪を撫で付けながら照れくさそうにしたレイナが立っていた。


「それはごめん。本に夢中になって気づかなかったみたいだ」


「勝手に入ったのは私なのでセレストさんに謝られるのは変な感じです」


 確かにそれもそうか。


「ところで、レイナの部屋は客室を準備して貰っておいたはずなんだけど……部屋が分からなかった訳……じゃないよね?」


「ちゃーんと部屋はアイシャから聞いてますよ。せっかくこうしてセレストさんが家に招いてくれて良くしてくれましたから、お礼が言いたかったんです。セレストさん、ありがとうございます」


「なんだか改まってレイナにそんなこと言われると変な感じだ」


「なーんですかその言い方ー」


 レイナの頬がぷくっと膨れる。

 いつものことなのだが、湿った髪が綺麗に撫でつけられて不思議と普段よりも魅力的に見えてしまう。


「俺はレイナに救われてこうして新大陸で暮らすことができているんだ。こんなことくらいじゃ返せない程のものをレイナから貰っている。だから、お礼を言わないといけないのは俺の方なんだよ」


「ふふっ。確かにあの時のセレストさんはぼろ切れみたいなくたびれた服を着た一文無しでしたもんね」


 あの港町で出会った日、2カ月に及ぶ徒歩の旅で確かに服はかなり傷んでいたけれど、ぼろ切れは言い過ぎだと思う。


「そんなセレストさんが今じゃ、アクシスの英雄さまですからねー。セレストさんをスカウトした私のお給料アップ間違いなしです!」


 ……やっぱりお給料が出ないってのは嘘じゃないか。


「まあ、それでレイナへの恩返しになればいいけどさ。っていうか、ずっと気になっていたんだけど……その英雄さまっていう話の出所はいったい何なの?」


 戦いのあと、意識を失っている間に広まっていたその呼び名のせいで、俺は街を歩くだけで注目を浴びてしまうので買い物に出るのにも頭からすっぽりフードを被って目立たないようにしているのだ。


「え? ご存じなかったんですか? クーニアさんや幽霊さんたちのことをごまかすために全部セレストさんがやったことだってパパがでっちあげたんですよ」


「さらりととんでもないこと言ったね?」


 そういうことはちゃんと説明しておくべきなんじゃないの?

 最初の龍狩りだってそもそも俺は戦ってすらいないし、今回だって俺はニーズヘッグを抑えていただけで、ニーズヘッグを倒したのは支部長とクーニアの放った極大魔法だ。


 なんだかどんどん俺自身とは関係のない功績が積み上がってしまっていっている気がする。


「仕方ありませんよ。亡くなった人が突然現れたり、あんな大きな龍を倒したり……よくわからないことが多すぎたんです。よくわからない出来事は恐怖になります。あんな龍の存在を知ってしまえば誰も立つことなどできなくなってしまいます。だから、この街には英雄が必要だったんです」


 レイナの言わんとすることはわからないわけでもない。

 街を統治する側として政治的な理由、街の人々を安心させるための象徴として利用するには、確かに俺は目立つし便利な駒だろう。


 もしこれがファビュラス侯爵領で起きた出来事であれば、似たような選択を俺……いや、ジェドも選択していたかもしれないし。


「クーニアさんのこと、あの幽霊さんたちのこと。私も最初にパパから聞いたときには驚きました。あの時、前線で戦っていた幽霊さんたちと私、会ったことがあるんだってパパは言っていました。私が覚えていないくらいずっと昔のことらしいんですけど」


 クーニアによって召喚されたアストラルタキオンたちは元は支部長とともにグランガリアから派遣された冒険者たちだと聞く。

 支部長の娘であるレイナのことを知っていても当然か。


「パパは戦いのあとずっと、あの幽霊さんたちを探していたそうです。何か約束をしたんだって、だけど誰にも会うことができなくて……それで、代わりなのか知らないですけど、あの花火大会の夜に教えてくれました。過去の龍災のこと、自分が守れなかったもの、守りたかったもの、切り捨ててきてしまった自分の罪。無念と後悔をずっと抱いてきたんだって」


「レイナ……」


 レイナの言葉に少しずつ嗚咽が混じり、俯いて明るいブラウンの髪に隠された目尻から雫が頬を伝っていることだけが、レイナの想いを伝えてくる。


「色んなことを諦めて、いろんなものから逃げてきて、それでもどうしても守りたいものがあって、自分はそれだけしか守れなかったって。それはほんの少しの仲間と、私とママのことだって……パパは、グランバリエに残った私とママの為にたった独りでずっと、ずっと……ぐすっ……私たちの立場が悪くならないようにって、我慢して、それで……そんなこと私は知らずに生きてきて、それで、私、パパにそんな想いをさせてまで守られるような価値なんかあるのかなって――――」


「レイナ」


「――――セレストさんっ!」


 無意識に、持っていた本を取り落として、涙を流すレイナを抱きしめていた。

 レイナの腕が背中に回り、ぎゅっときつく体を締め付けてくる。

 俺もまた、レイナの背中に手を回して、ゆっくりとその背を叩く。


「自分がどんなに危険で辛い目に会ったって家族を守ろうとするなんて立派なお父さんじゃないか。何もかもは守れなかったのかもしれない。けど、今ここにきみが無事でいることは何も間違ったことじゃないんだ。きみが俺をこの地に連れてきてくれた。きみの行動が支部長を前に進ませた。この街を守った。きみこそがこの街を守ったんだ」


 あの時、レイナが俺を選んでくれなければ、俺は新大陸への渡航を諦めて別の国へと流れていただろう。

 そうなっていれば俺は今年の龍災には参加していない。

 何が、どう、現在に繋がっていたのかなんてわからない。


 けど、俺を守ってくれた父さんがいて。

 レイナを守ってくれた支部長がいて。


「俺がいて、レイナがここにいる。そしてきみがもう泣かなくていいように……きみが必要としてくれるのならば、俺は英雄にだってなってみせるよ」


 レイナの涙が止まるのならば、その程度の面倒事くらいは引き受けよう。


「うぅ……セレストさん……セレストさんっ!! 大好きですぅっ!!」


 それからしばらく。

 レイナと出会った頃を振り返りながら他愛もない話をしている間に少し落ち着いた笑顔を浮かべたレイナが風邪を引かないように、中へ戻って窓を閉めた。

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