第58話 風物詩のはじまり

 その日、俺はアクシスの中心に高く聳え建つ巨大な建築物――冒険者ギルドの上階に用意された部屋でルビィとノルに本を読み聞かせて過ごしていた。


 静かな朝、冷たいが穏やかな風、窓から遠く覗く海は凪ぎ、空にはちらほらと白い雲がまばらに浮かぶいつもと何ら変わらない一日が始まり、時とともに上る太陽が少しばかり風の冷たさをごまかしてくれる。


 俺がそうして平和な時間を過ごしていると、部屋のドアがノックされる。


「どうぞ」


「おはよー! レイナですよー」


「あっ! レイナおねえちゃんだっ! 今日は何して遊ぶのっ!?」


 レイナが入室したのを見て、ぴょこっと飛び跳ねるように立ち上がったルビィがレイナに駆け寄って飛びつく。


「ごめんねルビィ。今日はちょっとまだ遊べないの。お仕事が終わるまで待っててくれる?」


「うーん……どうしよっかなぁ? なーんて! いいよっ! お仕事終わったら遊ぼうね!」


 レイナとルビィのやり取りを微笑ましく眺めていたいところだけれど……今日は仕事、か。


「こっちには向かってきている?」


 俺の言葉にアイシャとミミ、フィーは揃って僅かに緊張の浮かぶ表情でレイナへと視線を向ける。


「いいえ。北からまっすぐ南下してるそうですよ。恐らく何かと追いかけっこをしているのでしょう」


 こどもたちを下手に怖がらせないようにレイナは龍という言葉を使わなかったが、これは餌を追って北の山脈から龍が南下してきたということだ。


「わかった。アイシャ、俺はちょっと屋上で空を見てくる。本を読むのを変わってくれるかい? 何かあればミミかフィーに連絡を頼むよ」


「はい、ご主人様。それじゃあルビィ、続きは私が」


 アイシャに本を手渡し、ミミとフィーには互いに頷きを交わす。


「セレストさん……俺も」


 立ち上がり、席を外そうとした俺の服の裾をノルが掴む。

 そちらを振り向けば、ノルはミミやフィーのように真剣な顔でこくりと一度頷いてみせる。


「頼んだぞ」


 ミミとフィーとは違い、一言だけ付け足して頷き返す。

 それからルビィの頭をそっとひと撫でして、外套を手にしてレイナと共に部屋を後にした。



 ◇



 ギルド最上階――屋上。


 レイナとは廊下で別れて仕事に戻るのを見送り、俺は一人でギルドの屋上までやってきた。


「街の様子に変化なし……前哨基地の方は……さすがにわからないか」


 ギルドの最上階とは言え、どこまでも続く大樹に遮られた大森林の奥の様子を窺うことはできない。


「とりあえず飛龍の姿はなし。近くでの戦闘もなしって感じかな」


 森の奥は見えずとも、空ならば好きなだけ見上げられるが飛行している生物や魔物の様子はなし。

 鳥の一羽さえも飛んでいない。


 反対に、地上では情報を共有されたであろう冒険者たちが城壁やその外側で活発に動き回っている。


 バンズさんから最初に秋の風物詩について聞いた時も、龍の襲撃は運が悪ければと言っていたからなぁ。


 などと、少しばかり早く動き過ぎたかと杞憂したのが悪かったか。


 ――――――――絶対防御アブソリュート・シールドッ!!


 その炎は突然、大地を覆う大森林の緑色を吹き飛ばして舞い上がった。

 赤のような橙のような光と黒煙の爆発に思わず目を顰めていると、遅れてやってきた劈くような炸裂音に鼓膜が痙攣でもしているかのようにキンキンと頭の中で不協和音を鳴らす。


 脳内で響く悲鳴のような甲高い音に耐えながら咄嗟に街を覆うように広域に展開した絶対防御アブソリュート・シールドに暴風が衝突するのを感じる。


「鐘は……鳴っているのか?」


 周囲を見渡せば、街に衝撃波の被害は見られないので恐らくシールドの展開は間に合っている。

 だが、その光と音は誰の耳にも届いていたはずだろうに……アクシスの街は不思議と落ち着いている。


 いや、正確には数人の冒険者がギルドから飛び出して慌てて外をきょろきょろと伺っている姿は見えるが、外に居るベテランたちも城壁で警備をしている者たちも動じた様子はない。


 雷牙獣トニクルガルの必殺の攻撃をあきらかに超越した広範囲の爆炎が起こっているというのに、だ。


「オイッ! こりゃあ何だっ!? これが龍ってヤツなのか!? 俺たちゃどうすりゃいいんだッ!?」


 ようやく耳鳴りが収まった頃、視界のすぐ下から響く聞き覚えのある声。

 これは……ラデルか。


 ……そりゃ驚くよね。あんな爆発が起こったのに警戒の鐘が鳴らないどころか街の人たちでさえ、その殆どが「今年も始まったか」程度の話しかしていない。


「アクシスの人たちからしたらこの程度はまだまだ、当たり前の出来事なのか……ちょっとこれは想定よりも気を引き締めないといけないかもしれないな」


 実際、街の人々の態度を証明するように、その後すぐに大森林はいつもの静けさを取り戻し、俺のところにやってきたギルド職員は「中位種の炎龍による狩猟の余波」とだけ報告して去っていった。


 無意識に震える両手を外套の内側で強く握り締める。


「……楽しみだなんて不謹慎だね」


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