四日目『星落ちて、なお』
「姐さん、星が流れたよ」
影響力のある人物や巷間で名の通った人間が没した場合、「巨星堕つ」と表現される。今作は、明治時代不世出の絵師「
暁斎は自らを「画鬼」と称し、風俗画に戯画や動物画から、果ては版画や引幕などあらゆる絵をこなす鬼才の画人であった。そのような大人物が亡くなったとなれば、その後に残された者の苦労は容易に想像できるだろう。
主人公であり暁斎の娘「とよ」は、その苦労を一身に引き受けた人物である。
父の遺した仕事。
二百人はくだらない弟子たちの世話。
養子に出され出戻った、腹違いの兄「周三郎」との確執。
そして家督の行方――。
特に、兄との問題は非常にとよの心をかき乱すものであった。
父より絵を教わったのは、兄弟の中でとよと周三郎の二人であるが、父の介護に伴い絵を手放したとよに対し、父の病状を知りつつも絵描きの道を邁進する兄。面と向かってとよに「大っ嫌いさ」と言い放ち、さらに周三郎は核心を突く。
「きっと親父どのは北斎同様、自分の片腕に使うために、おめえに絵を学ばせたのさ」と――。
その台詞を否定したいと思いつつも、反論が喉に詰まるとよ。
思い当たる節は、初めて絵を習った頃からあった。
初めて絵を習った五つのころ見た、父の横顔。
父が父でなくなったかのような、豹変した表情。
それらが示す、一つの事実。
そう。
父は私の才を認めたわけではない。
父は私を絵描きにしたかったわけでもない。
自分の絵を描く手伝いが欲しかったのだ。
葛飾北斎には三女の葛飾
それでも――。
それでも、絵を描いていくことを決めたとよ。
才がなくとも。
兄に蔑まれようとも。
父から教わった絵描きの道を歩むと決めたのだ。
そうして訪れる、新たな苦難。
絵を描くことの苦しみ。
理解のある夫にすら解ってもらえなかった表現の苦悩。
いずれ思い当たるのは、この苦悩を分かち合えるのは、兄周三郎以外にはいないのではないか、ということ。
そして新たな星は瞬き、落ちていく。
それでも、なお――。
この物語は、明治二十二年から始まり大正十二年で終わる、約五十年間の物語だ。その長き間に父の名声も消えてゆき、暁斎の名は一部の弟子たちの間でのみ意味を持つものとなっていく。それでも、その者たちは父から逃れられず囚われ続ける。
まるで、時間が経っても夜には必ず現れる星のように――手の届かないところから、見下ろしているのだ。
その呪縛から逃れる日が来る時こそ、本当の意味で星が落ちるときなのだろう。
死してなお存在感を発揮し続ける父暁斎に対し、とよが、周三郎がどのように想い、二人がどのように超えていくのかは、大きな見どころであった。細やかに描かれた心理描写は、思わず登場人物に寄り添いたくもなる。父と子供の愛憎劇とも言える作品ではある。
だが私がそれ以上に感じたのは、どれだけ憎もうが、恨もうが、愛そうが、苦しもうが、それでも、なお――、
残されたものは生きていくのだ。
――ということだった。
そのことに気付いたときに、私は父を亡くした時のことを思い出した。
悲しみに暮れた。
不意の涙に襲われることもあった。
大切な人のいない世界を憎んだこともあった。
それでも、なお――私は生きていくのだと決めた。
その決意ができた時に、初めて落ちた星の大きさを知ったのだ。
これは星が落ちる物語ではない。
落ちてからの
「姐さん、星が流れたよ」
そう告げられる日は、あなたにもきっと来る。
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