二日目『高瀬庄左衛門御留書』レビュー

 時代小説――。


 普段は好んで手には取らないジャンルの作品である。しかしそんな作品と触れ合う機会を得られるのも、文学賞のいいところだろう。

 余談だが、


 史実に即した人物や事件を取り扱って描いた小説を「歴史小説」

 過去に実在した場所を素材として、架空の話を描いた小説を「時代小説」


という。

 そして今作は、江戸時代を舞台にした架空の話であるため、「時代小説」ということになるのである。

 

 さて。

 先日は『テスカトリポカ』なる現代社会の闇と人間の欲望にまみれた作品を読了したばかりで、何か心が安らぐ作品が読みたいと思っていた。ちなみに読む順番は帯文を見て決めたので、意図的に心が洗われるような作品を二作目に決めた――のだが。

 洗われるどころではなかった。

 まるで漂白でもされたかのような読後感であった。


 主人公の高瀬庄左衛門は、神山藩の検地役である郡方こおりがたを務める武士である。

 齢は五十を超え、妻に先立たれた挙句、先日は事故で息子まで亡くしてしまうという少々不幸な身の上の人物だった。

 息子には妻がいたが子供はなく、あらぬ噂を避けるために彼女は郷里くにへ返した。世話役の人間もいたのだが、その者ともお互いに思うところがあり、いとまを出してしまう。


 そして庄左衛門は独りとなった。


 慣れぬ飯炊きにも苦労する日々。

 仕事の傍らで思い出される、息子を失ったことへの後悔と寂寞せきばく

 そんな彼には唯一の趣味として、「絵を描く」というものがあった。

 もちろん誰に習ったものでもなく、武士としての仕事もあるため生業として稼げもせず、それは本当に趣味の範囲であった。

 そうして仕事をこなしつつ、たまの休みには絵を描いてつつましく生きて行こうと決めた庄左衛門であったが――時代はそれを許さなかった。

 否応なく藩の政乱に巻き込まれ、もう周囲の人には死んでほしくないと願いながらも忍び寄る不穏な影。

 はたして庄左衛門に、自らが望む「静かに絵を描いて暮らす余生」はやってくるのか――。


 というのが、作品の大筋なのだが。

 私が感心したのは、主人公の生き様であった。


 例えば、こんな一幕がある。


 夢かなわず、功ならず、若くして命を落とした息子。

 対して、見眼麗しく才にあふれた息子の好敵手。

 二人を比べて世の理不尽・不公平を嘆くのは、親でなくとも当然であろうと思う。

 だがしかし。

 その好敵手にも秘められた過去があり、それを知ったときに庄左衛門は、こう思うのだ。


 ――すべてを持つ者など、いるわけがなかったな。


 現代よりも平均寿命の短い時代において、五十年という長期を生きてなお、物事を表面的な部分でだけ判断してしまう。その愚かさに気付いて、庄左衛門は深く恥じ入る。

 そして悩める好敵手に手を差し伸べるのだ。

 年長者として。


 確かに、己に降りかかった出来事は、不幸である。

 それでも、人は人と触れ合いながら、そこで何かを学び、そして成長していく。

 そのことに年齢は関係ない。

 そしてまた、己も誰かに影響を与えながら生きていく。

 そんな生き様が、丁寧に描かれていたのだ。


 私も庄左衛門のように、この先も歩んで行かねばならない。


 そう思う私は本を閉じると、帯文に目が奪われた。

 そこにはこう書かれていた。


 『美しく生きるとは、誇りを持ち続けるとは何か――。

 今を生きる道標となる、こんな時代小説を待っていた。』


 まさしくである。

 たまには時代小説べつのジャンルに手を伸ばしてみるものだ。

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