いつも見ているよ
さくらみお
いつも 見ているよ
菜緒の家は三人家族だ。
エンジニアのお父さん、お弁当屋のパートをするお母さん、そして、小学四年生の菜緒の三人暮らし。
都心郊外の街に、マッチ箱みたいな小さな家に住んでいる。
狭いながらも、楽しい我が家。
――ところで菜緒は、最近おかしな夢を見る。
それは、穴に落ちる夢だ。
一度だけだったら変だと思わないが、これが毎晩続くと流石におかしいと思い始めた。
眠りに落ちると、菜緒は大抵、広い草原を歩いている。
そして急に穴に落っこちて、それから自分の家に居るのだ。
自分の家にたどり着いた菜緒は、そこから『客観的』に菜緒を見る事になる。
つまり、第三者として、菜緒の家族を見ているのだ。
リビングで、三人で食事をしている風景。
お父さんとテレビゲームをしている風景。
宿題をしている風景。
お風呂に入って歌を歌う風景。
そして、寝室で寝る前に楽しくお喋りをする風景。
客観的に見ている風景が終わると、今度は自分の目線となり、お母さんの膝に座ったり、抱っこして貰ったり、背中をトントンして貰う風景も見る。
もう四年生なのに。
実際の菜緒は、母親や父親のスキンシップが恥ずかしくて嫌になってきた。
でも、この夢を毎日見ると、まだ自分は抱っこして欲しいのかな、とも思う。
絶対にやらないけれど。
その日も、眠る前に少しため息が出た。
それに気が付いたお母さんが、菜緒に聞いてきた。
「どうしたの? 菜緒ちゃん?」
「毎日、変な夢見るんだよね」
「どんな夢?」
「んー? 最初は草原に居るんだけど、急に穴に落っこちて、この家に居るんだ。私、お父さんとお母さんを自分を、遠くから見ているの」
「……菜緒ちゃんが、菜緒ちゃんを見ているの?」
「うん、ご飯食べたりするところとか、お風呂入って歌を歌うところとか。……それから、自分の中に入って、お母さんに抱っこしてもらったりするんだよ。変だよね」
「菜緒ちゃん、抱っこしようか?」
「嫌だよ!! 違うよ!」
「……そっか。じゃあそれは――――だね」
お母さんの声が途中ザラザラと砂の音が混じって聞こえなかった。
「え? 今、なんて言った?」
「はい。お喋りお終い。おやすみ」
お母さんは菜緒の背中をポンポン叩くと、寝室から出て行った。
菜緒は今、聞こえなかった部分を聞きたいと思いながらも、すでに重たくなっている瞼がそれを邪魔する。
そして、菜緒はまた夢を見る。
今日の夢はいつもと違う夢だった。
+++
菜緒の心は酷く落ち込んでいた。
六十点。
はあ。
さんすう、むずかしい。
おかあさん、おこるかな。
学校からの下校途中。
風貌は今の菜緒よりも幼い。一年生ぐらいだろうか。
菜緒は、閉じた踏切の前で、悪かった点数の答案について考えていた。
ひゃくてん、とりたかったな。
おかあさん、おこるかな。
でも、もんだい、わかんないんだもん。
帰りたくなくて、十五分で帰れる道のりを、のろのろと三十分かけて家までの最後の直線に辿り着くと、お母さんが自転車に乗って、どこかへ出かけようとしていた。
「あ、お母さーん!」
「あ!! 居た!! 今までどこに行っていたの!?」
お母さんは、どうやら帰りの遅い自分を心配して、探しに行こうとしていたのだった。
「スクールパスの時間から、全然帰って来ないから、お母さん心配しちゃったじゃない!! どーしたの?」
「え? あのね、石を蹴ったり、虫を追ったりしてたんだけど……」
「下校は真っ直ぐ! さ、中に入りなさい!」
菜緒は怒られて、しょんぼりと家に入る。
ピンクのランドセルを玄関に放り投げると、
「ランドセルはちゃんと棚に起きなさい!」
と怒られる。渋々とランドセルを持つ菜緒。しかし、一年生の菜緒にとってランドセルはとても大きくて重い。よいしょ、よいしょ、と力いっぱい持ち上げて自分の棚に置く。
お母さんは、置いたランドセルをすぐさまに開けて、お便りのチェックをする。
「あ、算数のテスト……」
菜緒は、しまったと思う。
お母さんは、テストを見て、顔を曇らせた。
「……ろ、六十点!?」
「うん、あのね、これはね……」
「六十点!?」
「だ、だって、よくわかんないんだもん!」
お母さんはため息をついた。
菜緒は、泣きたい気持ちになる。
だって、さんすうもこくごも、ぜんぶむずかしいんだもん。
いっしょうけんめい、やっているけれど、いつも✕。
おかあさんも、いつもべんきょうになると、イライラしている。
だめな子なのかな、わたしは……。
「あのね、一年生で六十点ではこの先大変だよ? さ、今から間違えたところの直しをしよう」
でも、菜緒は素直に「うん」と言えなかった。
「やだ。勉強したくない。もう、この問題はテストしないし!」
「ここを完璧にしておかないと、どんどんと置いて行かれちゃうよ!?」
「じゃあ、おやつ食べてからにする!」
「先に、直しだけしなさい」
「やだ!!」
こうなると、菜緒もお母さんも怒りがエスカレートして、言い合いになる。
すると、いつもお母さんは言うのだ。
「はあ、菜緒はこうじゃなかったのに!」
そう言われて、菜緒は驚きつつも、体は怒りに溢れて、叫んだ。
「――じゃあ、私はいらない子だね! 家出する!!」
菜緒は怒りに任せてリュックにぬいぐるみとお菓子を詰めると、玄関を飛び出したのだ。
家の前の車道を走っていたトラックに気が付かずに――。
……ちょっと待って。
さっきのお母さんの言葉。
菜緒はこうじゃなかった??
――じゃあこの「私」は誰?
誰だか分からない私は、菜緒の名前を出されて、酷く傷付いた。
いつも、なおちゃんとくらべられる。
なおちゃんなんて、いなくなれば、いいんだ。
そうしたら、おかあさんもわたしだけのおかあさんなのに。
いつも、なおちゃんとはんぶんこ。
やだやだやだ。
もう、やだよぉ。
しょうがくせいに、なりたくなかったよぉ。
べんきょうしたくない。
おかあさん、こわいし。
ずっとあそんでいたい。
なおちゃんとおにんぎょうごっこして、おとうさんとゲームして、おかあさんにだっこしてもらって、こうえんによって、あそんでかえるだけのまいにちがよかったよぉ。
菜緒の心に、あどけない声が、一貫性のない感情を吐露している。
――でも、いまは、べんきょうしてもよかったとおもうよ。
いまは、なにもできなくなっちゃったからね。
なおちゃん。
わたし、なにもできないよ。
みてる、しかできないよ。
なおちゃんとおとうさんと、おかあさんを、みているしかできない。
わたしは、いるよ。
ごはんをたべるときも、ゲームするときも、おふろでも、ねるおへやでも、わたしはいるんだよ。
みているよ。
もっと、おかあさんにだっこしてほしかった。
トントンしてほしかった。
なおちゃんは、まだしてもらえて、いいな。
だから、してもらうといいよ。
なおちゃん。だいすきだよ、なおちゃん。
菜緒は、たまらず、その名を叫ぶ。
『
菜緒は、長い夢から目が覚めた。
+++
改めると、菜緒の家は四人家族だった。
菜緒には三つ離れた妹が居た。
小学一年生の《真緒》。
他の子よりも小さくて体力無くて、甘えん坊で、お喋りで、勉強がちょっと苦手な妹。
真緒はある日、突然居なくなった。
……おかしいよね、真緒は家族の中で一番年下だから、長生きするって言っていたのに。
一番に行っちゃうんだもん。
一番が好きだったけれど、この一番は違うよ。
勉強が出来ないから、順番、間違うんだよ。
真緒が居なくなったのが信じられなくて、信じたくなくて、私は記憶から消していた。
だから、真緒が怒って、私の夢に毎日文句を言ったんだ。
私はいるからね! って。
「……お母さん」
菜緒は、次の日の夜。
寝室でお母さんを呼び止める。
「ねえ、抱っこして」
「いいよ」
お母さんは大きくなった菜緒を抱きしめてくれた。
「どうしたの? 何か、あった?」
「ううん。これね、真緒の分なんだよ」
「え?」
「真緒ね、お母さんに抱っこして欲しかったんだって。もっとトントンして貰いたかったんだって。だから、これは真緒の代わり。やっぱり、夢の犯人は真緒だった。真緒が、私に遺言を残していたんだよ」
お母さんは目に涙を溜めて、
「なんて言ったの?」
と聞いてきた。
「いつも、見ているよって」
「そっか。……菜緒ちゃん。もしも、次に夢で真緒に会えたら言ってくれる? ずっと見ていて待っていてね。真緒ちゃんが見てて飽きない様に、お家の中を菜緒と楽しくするからね。お母さんももう少ししたら、行くからねって」
「うん、わかった」
お母さんは強く強く私を抱きしめた。
心の真緒を抱きしめる様に。
私は、その日。
真緒にお母さんの言葉を伝えた。
真緒は無邪気に「いいよ」と笑った。
いつも見ているよ さくらみお @Yukimidaihuku
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