第39話 それからの時間




 あれから、悪魔が実は俺を困らせるために芝居をうったのではないかと、そう考えたのだがそれを笑うかのように俺の生活から悪魔の存在は消え去った。

 砂となって風に飛ばされたのだ。

 罪悪感がどんなに湧いたとしても、希望を持つことは許されない。


 未だに残っているナイフを刺した時の感触が、俺の罪を思い出させる。

 あれが悪魔だとはいえ、人を殺したのと変わりない。

 捕まることはないが、一生その罪を背負って生きていく。



「最近、元気無いよな。何かあったのか?」



 一般人に戻ったはずの俺は、世界に受け入れられなかった。

 クラスメイトいわく、俺の雰囲気が変わってしまったらしい。

 悪魔がそばにいるようになったのは随分前の話だったのに、今更何を言っているのか。

 そう思ったが、俺が変わったのはつい最近だと言われた。


 最近何があったかといえば、一つしかない。

 悪魔の死は、俺に大きな影響を与えたようだ。

 今生きている世界が膜が張っているような、自分のものとは思えない気分だった。


 ここが、悪魔の夢の中だと言われた方が、まだマシだ。

 現実世界だと信じきれず、どこかで足掻こうとしている。

 そんな俺を、みんな遠巻きにしだした。



 涼介が死んだ時は、すぐに悪魔が現れたから平気だった。

 でも、もういない。

 何度後悔しても、何度ナイフで刺す瞬間を悪夢としてみても、どうしようもない現実だ。


 俺は、あの瞬間壊れてしまった。


 まるで抜け殻のように、ただただ一日を過ごしていて、あの影沼よりも変人として扱われている。

 取り繕う気力もなく、どんどん生きようという気持ちさえも失われていた。


 悪魔がいた時よりも死にかけているなんて、なんておかしい話だろう。

 五感も急激に失われていき、何を見ても、何を食べても、何を聞いても、何を嗅いでも、何を触っても、心は動かされない。


 こんな状態で生きている必要性があるとは思えなかった。







 俺は、なんともまあ笑えることに、涼介が一酸化炭素中毒で死んでいた場所で、今日死ぬ決心を固めていた。

 今自殺するぐらいだったら、何故悪魔の手を取らなかったのか。自分でも馬鹿だと感じている。

 でもあの時はそれが一番だと、体が勝手に動いた。


 痛いのも苦しいのも嫌。

 そんなわがままから、俺は涼介と同じように一酸化炭素中毒で死ぬことにした。


 睡眠薬や練炭を用意するのは、とても大変だった。

 これならナイフやロープの方が、簡単に用意出来た。

 それで死ねる自信が無かったので、候補から除外した。


 ガムテープで部屋の扉や窓を全て厳重に密閉し、俺は七輪に火をつける。

 そして脇に置いておいた瓶の中に入った睡眠薬を全部取りだし、俺はそれを一気に飲んだ。

 温かさを発しだした七輪に、後はこのまま待つだけだと力を抜いた。

 睡眠薬が効いてきて、徐々に眠気が襲ってくる。

 寝てしまえば、もう二度と目覚めることは無いだろう。


 死んだらどうなるのか、全く想像がつかない。

 悪魔なんて存在がいたのだ。

 地獄も天国も、それとはまた違った世界の存在は十分に有り得た。

 そのどれかに行ったところで、幸せになれるとは到底思えなかったが。



「……りょうすけ……」



 あの日、告白をされていた時、俺も涼介のことが好きだったら幸せな未来が待っていたのだろうか。

 絶対に戻れるわけが無いし、戻ったとしてもあの頃の俺は涼介を好きだという気持ちは欠片も無かったから、同じことの繰り返しをするだけだ。


 それでも戻りたいと思うぐらいには、まだ幸せだった。

 受け入れなかったとしても告白をもっと真摯に返事していれば、悪魔になった時にもっとちゃんと話をしていれば、あの時ナイフで刺さなければ……もしもを考えれば止まらない。


 俺が自殺したとなったら、みんなどういう風に噂するのだろうか。

 親友の死がショックでとか、事件に巻き込まれすぎてとか、精神的におかしくなっていたからとか、好き勝手に決めつけるのだ。

 死んだ後のことだから、もうどうでもいい。


 ああ、もうとてつもなく眠い。

 まぶたを擦りあくびをすると、そっと目を閉じた。

 だるい体を動かし、ポケットを探ると悪魔が残してくれた欠片を取りだし、そして口の中に入れた。

 欠片は丸みを帯びているから、大丈夫そうだろう。

 ゆっくりと飲み込んで、自身の体の中に入れた。



「……め……してる」



 頬を流れる涙が、しずくとなって地面に落ちた。

 涼介を傷つけに傷つけた俺にとっては、こうして一人寂しく死ぬのはお似合いの最期だ。

 喉を震わせて嗚咽とも笑い声にも聞こえるような音を出すと、そっと眠りについた。





 その日、一人の人間が生涯を自身の手によって閉じた。

 そしてその命が無くなった瞬間、どこかで悪魔がニヤリと笑った。




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