第32話 朝の悪魔





「翔平起きろ。そろそろ学校に行く準備をした方がいいんじゃないか?」


「んん。……もうそんな時間?」



 興奮気味の悪魔に起こされて、眠気に霞む目で時計を確認してみれば、いつも起きる時間よりも一時間早かった。

 どうりで、外がまだ暗いわけだ。

 俺はベッドの脇にいる悪魔を睨みつけた。



「さすがに早すぎるだろ。こんなに早く起きたって、いつも通りに学校に行くからな」



 遠足が待ちきれない子供か。

 眠いのと低血圧で、つい声が尖ってしまう。

 今日は特に何かがあるわけでもないから、早く行ったところで意味が無い。

 痛む頭を押さえて説教まじりに言うと、目に見えてテンションが下がった。



「悪かった。どうにも待ちきれなくてな。確かに起こしたのが早すぎた。……起こしておいてなんだが、もう少し寝た方が良い」



 そこで落ち込まれると、俺が悪いことをしてしまった気持ちになる。



「いや、目が覚めたし。少し話をするか」



 今素っ気ない態度をとったら、のちのち面倒くさいことになりそうだ。

 俺は大きくあくびをすると、ベッドから起き上がった。



「そういえば今更だけど、誰かに見られる可能性は無いの? 影沼みたいに力のある人とか、学校じゃなくても本職の人とか」



 本当に今更だが、その危険性を考えていなかった。

 どう見てもこの世のものじゃない姿の悪魔が近くにいれば、俺ごと拘束されるかもしれない。

 そうなれば研究対象とされるか、もしかしたら殺される可能性だってある。



「あー、そうだな……」


「……その反応、もしかしてちゃんと考えていなかった?」


「いや、大丈夫だ。何とかする」



 学校に行けることがあまりにも嬉しかったからか、そういうのを考えていなかったらしい。

 ちゃんと確認しておいて良かった。

 俺は危機一髪だったと安心して、胸を撫で下ろした。



「危機感が無いな。もしもバレたら、一番まずいのはお前だろ。全く」


「悪い悪い。そうだな。この姿じゃ駄目だよな」



 腕を組んで考え込む悪魔は、いい案が浮かんだと手を打った。



「どうするつもりだ?」


「そうだな。それは行く時のお楽しみということにしよう」


「あっそ」



 俺は悪魔に手を伸ばし、軽く頬を撫でた。



「翔平?」


「っ、悪いっ」


「いや。もう少し撫でてくれ」



 自分でも何をやっているんだと手を離そうとしたが、もう少ししてくれと言われて、また手を伸ばした。

 撫でれば撫でるほど、悪魔の雰囲気が柔らかくなる。



「もっと」


「子供みたいだな。そんなに気持ちいいか」


「ん。翔平は上手だな」


「なんかその言い方、気持ち悪い」


「酷いな」


「本当のことだろ」


「翔平のことが好きだから仕方ない」


「言ってろ。バーカ」



 いくら触っても体温の移らない冷たい頬は、悪魔との差を分からせようとしているみたいだった。



「……そろそろ時間だな」



 時計を見れば、いつもの起きる時間。

 そこまで時間が経っていたのかという驚きと、名残惜しさを感じながら手を離した。



「また今度な」


「……もうやらない」


「楽しみにしている」



 俺の名残惜しさが分かっているかのように、しつこく次の誘いをかけてくるので、照れ隠しで一度胸に顔をうずめた。



「……顔洗ってくる」


「分かった、待ってるよ。その間に俺も準備をしておこう」


「遅れたら置いてくからな」


「それは嫌だな。一瞬で用意するよ」



 やはり口に出てくるのは、可愛くない言葉ばかり。

 それでも悪魔は嬉しそうで、扉を閉めるまでその目は優しさを含んでいた。






「……本当にそれで行くつもりなのか?」


「紛れ込めていいだろ?」


「そりゃ悪魔の姿よりはマシだけど、でも……」


「駄目なのか?」



 ご飯を食べたり、歯を磨いたり、諸々の準備を終えて部屋に戻ると、待ち構えていた悪魔に言葉を失ってしまった。

 その姿があまりにも外に出せないようなレベルだったからでは無い。



「でもその格好は……」



 まるで生きていた頃の涼介のようだった。

 俺が着ているのと同じ制服を着て、姿も顔色以外は変わらない。

 死んでからは会えなかった涼介が、目の前にいる。

 それだけで胸が苦しくて、今にも泣き出してしまいそうだった。

 俺をこんなに苦しくさせて、殺す気だろうか。



「翔平が嫌なら違う格好にする。……どうしたい?」



 その聞き方はずるい。

 ここで嫌だと言えば、俺が涼介に対して未練が残っているのがバレてしまうではないか。



「別に違う格好をしなくてもいい」



 心の中で文句を言いながら、俺は首を横に振るしか無かった。



「よほどの力がない限りは、俺のことはただの同級生にしか見えない」


「そっか。……ちょっと待てよ……もしも学校で姿が見える人がいたら、その格好の方がまずくないか? だって死んでいる人間が普通にいたら、知っている人からすれば幽霊にしか見えないだろう?」



 いつも一緒にいるせいで麻痺しているけど、すでに死んでいる存在なのだ。

 そして記憶が薄れて本人が分からなくなるほど、年月は経っていない。


 涼介は学年問わずに人気があった。

 その分、バレる確率は高くなる。

 学校で涼介だとバレた時の方が面倒くさそうだ。



「そこら辺は、ちゃんと対策があるから大丈夫だ」


「対策?」


「そう。上手く紛れ込める裏技がある」



 そこまで自信満々に言うのなら、本当に大丈夫なのだろう。

 これでバレたら、確実に俺が何かをしたか取り憑かれていると思われる。

 あながち的外れじゃないが、だからこそ問題だ。



「それならいいけど。大人しくしていろよ」


「分かっているよ。ちゃんと大人しくしているさ」



 その言葉に何か含まれているものを感じたが、もう行く時間だったのでスルーした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る