第27話 俺の罪




「……桜……」



 その名前を聞くのは久しぶりだった。


 俺の知っている人の中で、桜という名前は一人しかいなかった。

 脳裏に彼女の明るい笑顔と、憔悴しきった顔が浮かんだ。



「もしかして……桜さんの……」


「……父親だよ」



 桜さんが死んでから、俺はすぐにアルバイトを止めてしまったし、生きていた頃も家族の話はたまにしていたけど、姿を見たのは一回も無かった。

 だから目の前にいる男性が、本当に桜さんの父親かは断言出来ない。


 でも、今ここで嘘をつく理由は無いはずだ。

 この男性は正真正銘、桜さんの父親。


 彼女の名字は、確か……



「……三谷さん?」


「さすがに名字ぐらいは覚えているか。そうだよ。俺は三谷みつや直人なおと。よろしく」



 よろしくなんて、とても言えなかった。

 三谷さんの言う通り、桜さんの死は俺の責任だ。

 娘があんな無惨な姿で死んでいたとなれば、その原因を恨むのは当然のことである。



 でも、一つだけ疑問があった。



「どうして、俺が原因だと?」



 一応、世間的に桜さんの死は自殺という形で終わった。

 いくら同じシフトに入る回数が多かったとはいっても、もっと身近な人物はたくさんいたはずだ。


 俺が悪いと判断するのは、よほどの根拠が無い限り出来ない。

 でも三谷さんは、確信を持っている。



「それはな……」



「俺が三谷さんに伝えたからですよ」



 彼が俺の疑問に答えようとしていたところを、別の声が遮った。



「……影沼」


「よっ。無事に目が覚めたようで良かった。スタンガンなんて初めて人に使ったから、加減が分からなくて、目を覚まさなかったらどうしようかと思った」



 そんな危険な賭けをしたのかと文句を言いたかったけど、言えるような空気ではなかった。


 三谷さんと影沼は知り合いだったようで、並んで俺のことを見下ろす。

 そうされると威圧感があり、こめかみに一筋汗が流れた。


 俺のことを憎んでいるとして、それはどれぐらいのものなのだろうか。

 殺したいぐらいだとすれば、やりたい放題の状況である。


 まさに手も足も出せない。

 冗談を言っている場合ではないが、そんなことを考えていないとやっていられなかった。


 手足をモゾモゾと動かしてみても、やっぱり拘束部位は緩みそうに無い。



「俺を殺すんですか?」



 出来れば痛くない殺し方がいいが、要望を叶えてもらう期待はしていない。

 どんな殺され方をしてもいいから、悪魔だけは来て欲しくなかった。



「殺しはしないよ」



 影沼の言葉を素直に喜べない。



「悪魔がここに来てくれれば、それだけでいい。早く呼び出してくれる?」



 それは殺されるよりも嫌だった。

 どんなに残虐な殺され方をされたとしても、俺は悪魔にここに来て欲しくない。



「悪魔なんて知らない」


「知らない? それじゃあ、桜さんの死は全部自分のせいだと言うのか? それは、ありえないだろう」


「全部俺のせいだ。だから悪魔のことを言われても、意味が分からない」


「君は三谷さんに殺される覚悟があるってことでいい?」


「殺されたくはない。でも悪魔のことを知らないから、それを理由に殺されても仕方が無い。残念だけど」



 俺が悪魔を呼び出す気はないと分かったのか、影沼が顔を歪めてしたうちをした。



「どうしてだよ? 悪魔のことを嫌だと思っているんだろう。たくさんの人が死んでいる。それなのにかばう気?」


「だから悪魔なんて知らない。知らないものを、どう呼び出せって言うんだ。無理なことを言わないでくれ」


「全く。どうしてそこまで強情なんだか俺には分からないな。三谷さんもそう思いません?」



 俺と影沼の会話を静かに聞いていた三谷さんは、恨みのこもった視線で俺を睨みつける。



「桜は死ぬ前に、電話で嬉しそうに話していた。自分のお腹には新しい命が宿っているって。もうすぐ産まれるから楽しみにしてくれとも言った。恋人がいるのかと聞いた時はごまかされてしまったけど、それでも知らせは嬉しかった」



 静かな声で話す三谷さんは、俺の腹をつま先でつつく。



「自分の腹を切り裂いた桜は、何を妊娠していたんだ? 教えてくれよ、なあ。普通の人間が何をしたところで、あんなおかしな真似をするわけがないだろう。お前は何を隠しているんだ」


「……何を言われても、答えは同じです。俺は悪魔のことなんか知りません。影沼に何を言われたのかは分かりませんが、騙されているんですよ」



 絶対に悪魔のことは認めない。

 三谷さんのことを睨み返せば、腹に衝撃が走った。

 酸素が一気に無くなったような気がして、息が苦しくなり咳き込む。

 蹴られる瞬間を見ていたから、まだ構えることは出来た。

 でも本気で蹴られて、痛いのには変わりない。



「教えろっ! 桜に何をしたんだ! なんで、あの子が死んだ! どうして! どうしてっ!」



 気持ちの強さを表すように、その蹴りは勢いが良かった。

 縛られているせいでガードをすることが出来ず、どんどんダメージが蓄積されていく。


 それでも俺は悪魔のことを話さない。

 無防備なところを蹴られ続け、呻くことしか出来なかった。



「……涼介……」



 これは悪魔に助けを求めたんじゃない。

 涼介に助けを求めただけだ。





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