第10話 悪魔の弱さ
あれから、あの家の前を通る時におばあさんがいると、声をかけられるようになってしまった。
男の子とクロは、無事に再会することが出来たらしい。
猫と会えたことに泣いていたと聞き、本当に見つかって良かったと安心した。
あまり仲良くなりすぎないように気を付けながら、顔見知り程度に昇格したので、一度だけこのぐらいの質問なら大丈夫だろうと尋ねてみた。
「どうして、ここまで綺麗な庭を維持出来ているんですか?」
俺の疑問に嬉しそうに笑ったおばあさんは、短くだったけど答えてくれた。
「栄養たっぷりだからかしら」
その答えに、この庭は努力の賜物なんだなと、深い尊敬の念を感じた。
◇◇◇
「よお。人の身は嫌になったか?」
「絶対にありえない。わざわざ、確認しに来なくていいから」
「何だまだか。意外に粘るな」
家に帰れば、また悪魔が待っていた。
すでに家は、安息の地では無いらしい。
最初ほどの驚きや恐怖はないが、それでも得体の知れない嫌な感じがある。
「今日は何をしに来たんだ」
「何だよ。用が無かったら、ここに来ちゃいけないのか」
「当たり前だ。誰が歓迎するか」
「そう威嚇するな。この前から様子がおかしいな」
近づいてきた悪魔は、俺の顎に指をかける。
この前のキスを思い出してしまい、体が固まる。
「そんな緊張するなって。……それとも、またキスされたいのか」
「っ、そんなわけないだろ!!」
「そこまで拒否されると、逆に期待されているみたいだな。怯えちゃって可愛い」
顎にかけられた指が唇に触れた。
するすると撫でられ、得体の知れない寒気に近い何かが全身を駆け巡る。
「触るなっ」
これ以上触られていると良くないと、手を振り払えば、その手を掴まれてしまう。
「離せっ」
「嫌だと言ったらどうする?」
俺の反応で遊んでいるらしく、意地の悪い質問をしてきた。
どう答えたところで、相手を楽しませるだけだ。
それだけはムカつくと、俺は何か相手の裏をかくことは出来ないかと考えた。
「答えないってことはキスしてもいいのか?」
黙る俺に、さらに意地悪く質問を重ねてくる。
もうこうなったらヤケだと、自分にもダメージの来るような行動に走った。
「意地悪ばかりすると、本気で嫌いになるから。俺が欲しいなら、もう少し優しくして?」
何言ってるんだと、自分でも思う。
それでも力じゃ勝てないから、逃げ出すには力以外を駆使するしか無かった。
首を傾げながら、出来る限り上目遣いをする。
こういうのは、可愛らしい女子がやるから効果があるのだ。男がやったところで笑いになるか、気持ち悪がられるかのどちらかしか無い。
本当にこれで良かったのかと後悔しながら、相手の反応を待っていれば、掴まれていた手が離されて優しく体が包み込まれる。
「優しくすれば、翔平は俺のものになってくれるのか? それなら、いくらでも優しくしてやるさ」
柔らかな声と共に、背中を一定のリズムで叩かれる。
その手から優しさが伝わってきて、俺は戸惑った。
本当に優しくされてしまったら、悪魔を憎みきれなくなる。絆されるわけにはいかない。
「翔平、どうしたら俺の物になってくれるんだ……好きだ、愛している……そんな言葉じゃ足りない。足りないんだ」
「……涼介」
そんな弱気な声を出さないで欲しい。
俺は抱きしめられながら、そっと目を閉じた。
腕の中は優しさを感じられて、思わず涙が滲む。
この腕の主である悪魔のせいで俺の精神はボロボロになっているのに、安心してしまうなんて矛盾していた。
「見た目がどんなにまともな人間だってな、心の中では何を考えているのか分からない。それだけは覚えていてくれ」
「……分かった」
その言葉をどうして素直に受け取ったのか、自分でも説明出来なかった。
もしかしたら、悪魔が本気で俺のことを心配していると、そう感じたからかもしれない。
◇◇◇
いつの間にか、悪魔はいなくなっていた。
俺は赤くなった目を擦り、そして考える。
抱きしめられている時に、悪魔が言った忠告。
あれは、一体どういう意味だったのだろう。
もうすでに、悪魔は誰かにきっかけを渡してしまったのだろうか。
もしそうだとするならば、それは始まっている可能性が高い。
「誰が、なんだろう」
どんなに考えても、その答えは出なかった。
学校に行くための足取りが重い。
何かが起こる恐怖に、いちいち怯えるのは精神的に疲弊してしまう。
目に映るもの全てに過敏になり、いつもよりも進みが自然と遅くなる。
これは遅刻かもしれないと思ったけど、歩む足が早くなってくれない。
色々なものを見ながら、そっと歩いていると電柱に張り紙がしてあるのを見かけた。
それは、迷い猫を探しているというポスターだった。
真っ黒な猫は、つぶらな瞳でこちらを見ている。
とても可愛らしく、見ているだけで癒される顔。でも俺は、それに癒されている余裕は無かった。
「……あ、れ……?」
俺は気づいてしまい、そしてすぐさま走る。
こんなことをしている場合じゃない。
確認しなければいけないことが出来た。
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