第6話 悪夢の結末
それから桜さんは、どんどんおかしくなっていった。
クマは濃くなり、元々細かったのに骨が浮き出るぐらいに細くなり、生気が感じられない。
その中でも一番おかしいのは、体のある一部分だ。
お腹だけ、異様に膨らんでいる。
それはもう、前に何かで見たことがある餓鬼の姿によく似ていた。
そこ以外は全てガリガリなのに、バスケットボールでも入っているのではないかというぐらい大きなお腹。
俺だけじゃなく、桜さんを見た人はみんなお腹を見てぎょっと驚く。
説明を求めるようにこちらを見られるが、俺だって意味が分からないのだから無視するしかない。
俺の好きだった桜さんは、見る影も無くなっていた。
「桜さん、大丈夫ですか?」
そんな状態の桜さんだったけど、シフトに穴をあけるようなことをしなかった。
でも逆に一緒に入りたくないと他の人が言い、彼女と一緒に入るのは俺だけになっていた。
並んで立っていても前のように話すことはなく、ただただ時間が過ぎるのを待つ。
いつもはそうなのだが、今日は思いきって話しかけることにした。
ボーッと前を見ていた桜さんは、ゆっくりとこちらに顔を向けてくる。
目だけがギョロりとしていて、こけた頬が痛々しい。
少しだけ怯んでしまったけど、気にしなかった風を装い話を続ける。
「この前、嫌な夢を見るって言っていたじゃないですか。そのせいで体調が悪くなっているんじゃないかと心配なんです」
握っただけでも折れてしまいそうな腕が視界に入る。どうしてこんなにも痩せてしまったのか。
今からでも遅くはない。もしも原因が悪夢なのだとしたら、病院でも何でも行って治すのを手伝おう。昔の彼女に戻ってくれるのなら手間は惜しまない。
「俺に出来ることは何でもします。だから」
「なにいってるのお?」
話しているうちに熱がこもった俺を遮るように、舌足らずな甲高い声が響いた。
耳障りなそれは、距離があるはずなのにすぐ近くで言われているかのような不快感があった。
それでも久しぶりに会話らしい会話が出来そうなので、何とか顔には出さずに我慢する。
首を限界まで傾けて、桜さんは歯をむき出しにして笑う。
その手は膨らんだお腹に伸びていた。
「あれはわたしのおうじさまなの。このこがうまれたら、わたしたちはいっしょになれるのよ。それはとってもとってもとーっても、しあわせなことでしょう?」
「……このこ、って。桜さん、妊娠しているんですか?」
「まいばんかれがわたしをあいしてくれる、このこはそのあかし。たまにおなかをけってくるから、かれににたかわいいおとこのこかもねえ」
確かに桜さんの姿は、妊婦にも見えた。
でも俺を含めてその可能性を考え、すぐに打ち消したのは、それがありえないからだ。
桜さんに恋人の影が無かったからとか、そういう理由じゃない。
いくら何でも一ヶ月も経たない間に、真っ平らだったお腹が臨月にまで膨らむわけが無い。
普通の赤ん坊だったら、早すぎる成長だ。
仮に桜さんが言っていることが確かならば、そのお腹の中にいるのは本当に人間の子供なのか。
悪魔、という言葉が頭をよぎる。
どんなに違うと否定しても、その考えが消えてくれることはなかった。
「しょうへいくんは、よろこんでくれる? わたしのあかちゃん。ふふ、ふふふ、ふふふふふ」
お腹を撫で続けながら狂ったように笑う彼女に、声をなくす。
その後ろに悪魔の姿が見えそうな気がして、俺は視線をそらして話を終わらせた。
何も声を書けなかったことを後悔したのは、次にバイトのシフトに入った時だ。
◇◇◇
「は? 死んだ……?」
コンビニに来た俺は、桜さんの姿が無いことに、すぐに気がついた。
出されていたシフト表には、今日は彼女と一緒と書かれていたはずだ。
あれから、彼女を病院に連れて行った方がいいと考えた。
精神的なもので病んでしまったのなら、原因や解決策を見つけるべきだ。
そう決心して気合を入れて来たのに、スタッフルームにいたのは顔色の悪い店長だけだった。
もしかして体調でも崩したのか。
それなら家を訪ねることも視野に入れるべきかと、店長に彼女は休みかと聞くと、返ってきたのは死んだという答えだった。
いつ、どこで、どうして。
確かに倒れそうなほど弱っていたけど、まさか死ぬほどだとは思ってもいなかった。
驚きで声も出せない俺に、まるで紙のように白い顔色をした店長が視線をそらして口を開く。
「そ、そういえば、
「悩み事ですか? どうして?」
まっさきに思い浮かんだのは、悪夢と妊娠したという言葉。
でもそれが、死と関係しているとは考えられなかったし、考えたくも無かった。
何故そんなことを聞いてくるのかと店長を睨むように見れば、暑くもないのに額から汗をかき、それをハンカチで拭い出す。
「他の子には言わないで欲しいんだけど、実は彼女、ちょっと変な死に方をしたらしくてね……」
「変な死に方?」
店長の不審な言動は、いい死に方じゃなかったことを表している。
「教えてください。何があったんですか?」
「それはちょっとねえ……警察に言うなって…………分かったよ。ここだけの話にしてくれるのなら教えるから。だから、そんな怖い顔をするのは止めて」
俺は桜さんの身に何があったのか、知る権利がある。
渋る店長を威圧すれば、降参するように手をあげた。
「聞きたがったのは東条君だからね。後悔しても文句は受け付けないから。……彼女、お腹を引き裂いて死んだらしいんだ」
「お腹を?」
「そう。包丁を使って、自分でぐさーって刺して、刺した後は何かを探すかのように、中に手を突っ込んで死んでいたのを発見されたって話」
「……お腹を」
「発見した親御さんも気の毒にね。現場は血で悲惨な状態だったから、ショックで寝込んでいるって。それも無理はないよね」
「本当に……自殺だったんですか?」
お腹を自分で切り裂いて、その中に手を突っ込みかき回す。
そんなことを普通の人間がやるわけないし、やろうとしても激痛で手が止まる。
あんな状態だったとしても、彼女がやるとは信じられなかった。
「……桜さん、妊娠してたりは?」
「妊娠? ああ、最近彼女のお腹が大きくなっていたから、もしかして妊娠しているって思ったの? 無い無い。子供がいても、あんなに早く成長するわけが無いし、警察もそれは言ってなかったよ」
彼女はこの間、自分のお腹に間違いなく子供がいると嬉しそうにしていた。
俺には彼女が嘘を言っているようには見えなかった。
本当に妊娠しているのだとしたら、彼女に毎晩のように悪夢を見せていたのは、そのお腹に子供を作ったのは……
「すみません、店長。俺、体調が悪くて……今日は休ませてください!」
「ちょっと、東条君!?」
こんな芸当が出来る存在を、俺は一人しか知らない。
店長の静止を振り切ってコンビニを飛び出た俺は、ある場所に向かって自転車を走らせた。
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