第29話 会いたい


 どこまでも広がる青空と白い雲。いつものテラスから見える景色、でも空も雲も風からもなんとなく、秋の気配を感じる。


 今日も一人、いつものレモンティーを飲みながら休憩していた。前より忙しくなったけれど、この時間だけは今も守っている。


「笹山さん! 」


 呼ばれて振り返った先にいるのは、もう海斗じゃない。


「これ、どうしたらいいか教えてもらえませんか? 」

「うん、一緒にやろっか」


 海斗との事を考える間もなくサブを任されて元のチームに戻り、待っていたのは忙しい日々。


 まだ整理できていないあの日の出来事と海斗の事は……時間があれば頭の中に広がってくる。


 未だに信じられない。


 私の見た光景は……海斗の傷は、本物だったんだろうか。ショップで作られていないロイドなんて本当に存在するのかな。


 それとも……悪い夢でも見たのか。


 “草野海斗は死んだ”


 それだけは信じたくない。


 私を庇って海斗が怪我をしたり……助からなかったなんて考えたくない。本当にちゃんと治ったのかだけでも知りたい。でも、今の私には知る術もない。


「ねぇ……タマどうしたらいい? 」


 夜、一人の部屋でタマに聞いてみても反応がないまま声は消えていく。


「タマ……いないんだっけ」


 修理に出したタマは、かなり古くなっているからか時間がかかっている。


 寂しい……。


 今までタマが教えてくれていたスケジュールを自分で確認してみる。


 何もないスケジュール。


 こんな時に限って夢瑠も樹梨亜も忙しいなんて。


「やっぱり一度……行ってみようかな」


 あれから海斗、どうしているんだろう、気になって眠れない夜が続いている。あれ以来、怖くて近づけていない草野医院も調べた海斗の大学も、行ってみたら会えるかもしれない。


 “もし再生したとしても、君の知っている草野海斗ではないし、君のことを覚えてはいない”


 私の事を忘れていたとしても、元気な姿さえ一目見られれば……どこかで元気に生活していてくれるのなら、終わりにできるかもしれない。


 どんな海斗でもいい。


 あの笑顔が……恋しくてたまらない。


 その時、静かな空間にピロンとメッセージ音が響いた。


 タイミングが良すぎてまさかと期待したけれどそんなはずもなく、タマを修理に出したロイドショップからのメッセージだった。


 “笹山タマさんの修理が完了致しました。明日の15時以降、ご来店お待ちしております”


 明日のこの時間にはタマと話せる、そう思うと少しだけ、気持ちが安らぐのがわかった。







 そうして迎えたのは、秋らしい風が吹く朝。海斗の通う大学は少し遠い所にあるらしく、早めに家を出る。


 電車に乗って眺める、海斗が見ていたかもしれない景色。時折、乗客の中に海斗がいないか確かめながら電車に揺られ、着いた駅からまた少し歩いた所に、目指す場所があった。


 門から建物まで黄色の銀杏並木の中を歩いていく。海斗が歩いた道、海斗が見た景色が秋色に染まっている。


 海斗も……元気になってこの景色を見ているのかな。


 覚えてなくても、直接じゃなくてもいい、神様どうか……そう祈りながらあちこちを探した。


 図書館や食堂はもちろん、講義棟にも入ってみたり……大勢の人とすれ違ったけれど、海斗らしき人には会えなかった。帰りの電車に揺られ、駅に戻ってくる。


 海斗……どこにいるの?


 今、どうしているの……?


 心の中で呼び掛けながら草野医院に向かう。海斗と過ごしたあの公園の横を通り過ぎていく。


 あの時はよっぽど慌てていたのか、周りの景色なんて全然覚えていなかったけれど……駐車場の隣にある白い真四角の建物だと朧気に記憶が残っていた。


 見るからに人気ひとけがなくてさびれた建物。駐車場にも車は停まっていない。


 背筋に寒気が走り、あの時いきなり現れた不気味な顔が脳裏に浮かぶ。警戒しながら歩いていたけど、結局、入口に着くまで現れる事はなかった。


“しばらく休みます 院長”


 扉には一枚、無機質な文字の貼り紙があるだけ。それも少し前から貼られているのか、砂ぼこりらしき汚れでザラザラしている。


 あれから時が過ぎて、どこかであの日の出来事は夢だったんじゃないかと思う私がいた。


 でも現実に……海斗も、不気味なあの人も消えている。


 この貼紙はいつから貼られているんだろう。それもわからない……もう、何も知る手立てがない。


 海斗には、もう会えないかもしれない。


「行こっか……タマを迎えに」


 草野医院に背を向けて、私は歩き出した。







 涼しさの増した夕暮れ時、遥は賑やかなロイドショップの隅にあるソファーにぽつんと座っていた。


「遥さん」


 寂しげな彼女に声を掛けたのは水野だ。


「水野さん、この間はありがとうございました」

「今日はどうされたんですか? 」

「ホームシステムロボの修理をお願いしていたので迎えに来ました」


 水野はいつも通りの柔らかな笑みで心の隙に入り込むと、さり気なく隣に腰掛ける。


「そうだったのですね。受付はもう? 」

「はい、済ませました。ちょっと時間が掛かるみたいで」


 タマが修理に出ている事は、もちろん水野に報告があったし、草野海斗失踪の手掛かりを探すため、タマのデータは既に調べ尽くされていた。


 それでも水野は知らぬふりを通す。


「そういえば、この間は接客中でお話ができずすみませんでした。いかがでしたか? ロイドをレンタルされてみて」

「思ったより楽しかったです。ただ、賑やかで友達みたいな感じになっちゃいましたけど」

「楽しんで頂けたのなら幸いです。リョウとの相性も良かったようで安心しました」

「え? 」

「実は相性の良し悪しがデータ化されるのです。ハルは友達と同じように接してくれたと、リョウが喜んでいました」

「そうなんですか……」


 まだ表情が暗い遥に水野は何かを手に握らせる。


「そこで遥さんに使って頂きたくて、よかったらどうぞ」

「これは……? 」

「1日レンタルチケットです。リョウでもいいですし、別の誰かでもお好きな時間にレンタル出来ます」


 戸惑う遥にとどめの微笑み。


「あの、私……」

「ロイドなら今の遥さんの心を満たしてくれるかもしれません」

「え……」

「お持ちください。タマさんの修理が終わったようです」


 意味深な笑みをたたえて送り出す。直ったタマとチケットを手に帰っていく遥の足取りは重く、おぼつかないようだ。


 眺め、ため息を漏らす水野。


「必要なはずです、海斗の代わりが」


 誰にも聞こえないよう、呟くと遥に背を向けて店内へと戻っていく。


 草野海斗は消えた……英嗣と共に。報せを受けた水野は急いで帰国したもののやはり間に合わず、逃してしまった。


 残ったのはもぬけの殻となった草野医院と、海斗に付けていた発信機……そして遥。


 水野は遥にパートナーロイドをと考えているようだ。遥が寂しそうに見えるからか、それとも何か企みがあるのだろうか。


 それは、表の微笑みを浮かべる水野を見ても……わからない事だ。







 その夜、元気になったタマと部屋でのんびり過ごす。この日常は、ちゃんと私の所に戻ってきてくれた。


「はるちゃん、ひさしぶりだね~、お話したかったよぉ」

「私もだよ、タマ……」


 懐かしいタマの声に我慢ができなかった。


「はるちゃん、大丈夫? 」

「うん……ごめんね、タマ。帰ってきてくれてうれしいのに」


 涙が止まらない。


 海斗の事、あの不気味な人の言葉、ロイドと水野さん……私の世界に無関係だった色んな事が、いつまでも重い#靄__もや__#になって、ぐるぐると巡っている。


 少し、疲れたのかもしれない。


「はるちゃん」


 優しいタマの声が胸の奥に直接響いてくる。


「うん……」

「タマはね、はるちゃんの事が大好き」

「タマ……私も、私もタマの事が大好き」


 まだもう少し、時間がかかるかもしれない。あの笑顔も眼差しもまだ私の中にあるから。


 でも少しずつ元に戻っていかなきゃ。オフィスでも、樹梨亜や夢瑠も……水野さんにも気付かれないように。


 会えてよかった……苦しそうな海斗が一生懸命伝えてくれた言葉。


 “海斗……大好き”


 会いたい。会って伝えたいのに。


 今だけ、今夜だけ……タマに見守られながらクッションを抱きしめて泣き明かした。

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