第二章 予感
☆第9話 支配
恋するチーク騒ぎも落ち着いて、普段通りの日常が戻ってきた。
それにしても、初夏の爽やかな陽気の中でオフィスに籠もっているのはもったいない気持ちになる。窓から覗く青空を、仕事の合間にちらりと見る。
せめてゆっくり休憩したい……。
何とか時間を作った私は、お気に入りのレモンティーをお供にテラスで休憩することにした。
お昼前のテラスは、元気な5月の陽射しと共に心地いい風に包まれている。お気に入りの場所に座って、思いっきり伸びをしてから力を抜く。
「あ~……気持ちいい」
ついひとりごと。
真っ青な、雲ひとつない空を見てると心がゆったりする。
疲れた眼にちょうどいい。
「笹山さん! 」
つい気を抜いていた私はびっくりして振り返る。
「草野君、どうしたの? 」
さっきまで山田さんと仕事していたはずの草野君は、嬉しそうにニコニコとしながら歩いてくる。しっぽ……振っているみたいで、かわいい。
「一緒にいいですか? 」
「うん」
草野君ならいいかな。
一人で休みたくて来たのに、草野君にはそんな気持ちになるから不思議。
「風、気持ちいいですね」
「うん」
隣に座って深呼吸する彼の横顔は、オフィスにいる時と違ってリラックスしているのがわかる。風で揺れる葉の音が聴こえるくらい、静かな時間。
「この仕事、眼が疲れますね」
呟く草野君はもう目を閉じてる。
「でしょ? ずーっと画面とにらめっこしてると頭痛くなるし大変だよ。だから晴れた日はよくここで休憩するんだ」
「空も青いし、風も気持ちいいし、どこか、遊びに行きたくなるな……」
こっちを向く笑顔は、いたずらっ子みたい。学校サボろうって誘ってくる感じに似てる。
「うん、パァーッとさ、もっと広くて気持ちいい所、行きたいね」
「行っちゃいますか、仕事サボって」
無理だってわかってるけど、一緒に笑い合うだけで楽しい。
「笹山さんって……」
「ん? 」
「休みの日って何してます? 」
「休みかぁ……友達と遊んだりかなぁ。ほら、ランチしてショッピングとか? 予定がない日は朝、走りに行って午後はのんびりしたり……草野君は? 」
「俺はここにいない日は大学なんであんまり一日休みってないんですけど、あるとしたら朝、走りに行ってから、どこかにふらっと出掛けたりします」
「ふらっと? 一人で? 」
「はい……友達作るの苦手で」
「楽しそうだね」
「え……? 」
「最近、友達が忙しいみたいで、私もひとりでどこか出掛けてみようかな~」
青い空を見上げてぽつりと呟く。樹梨亜はパートナーロイドを迎える前の研修で忙しくて、夢瑠は……なんだろう、最近、連絡つかないんだよなぁ。
つまらない……のかもな。
黙ってる草野君の隣で、気にもせずぼんやりしてしまう私、気付くと草野君に見られている。
「あ、ごめんね、ぼーっとしちゃって」
「いえ、いいんです。笹山さん……」
「ん? 」
私を見つめたまま微笑む草野君から目が離せない。急に……ドキドキしてる。
「彼氏、いますか? 」
「え……!? 」
まだ私を見つめているワンコのような瞳に、何だか吸い込まれてしまいそう。耐えられなくなった私は俯くしかなかった。
「い、いないよ……」
「好きな人も? 」
探るような声、なんだかいつもの草野君じゃない。顔も見られないし、恥ずかしくて、なんて言っていいのかもわからない。結局、頷くことしかできない。
「そっか、よかった」
「え……? 」
「笹山さんといるの楽しいから、この間みたいに一緒に走ったり、仲良くなりたいなって思ってたんですけど、彼氏さんいたら悪いかなって」
ニコッといつも通りの笑顔に、意識しすぎた自分が恥ずかしい。
「うん、彼氏とかそういうの苦手でね……なんか緊張しちゃうから」
何とかごまかしたけど、どうしてそんなこと聞くんだろう。真意がわからない草野君の横顔は、また気持ちよさそうに風を感じている。
彼氏……かぁ。
「げっ!! 呼び出しだ」
「山田さん? 」
「はい……もうちょっと話せるかと思ったのに」
わかりやすく落ち込んで草野君は戻っていく、その背中を眺めながらふと思う。
仲良くなりたい……草野君の言葉にはどういう意味があるんだろう。
草野君がこの間誘ってくれたのは、チークのせいじゃなかった、そう思ってもいいのかな。
涼しい風が、火照った頬を冷ましてくれる。
深い意味はないよね、私も草野君と仲良くなりたいけど、別に好きとか付き合いたいなんてまだ思っていない。
レモンティーを飲み干すと、程よい酸味が広がる。
「さて、戻ろっかな」
これから、一年で一番忙しい時期がやってくる。気合を入れてオフィスに戻った。
「それでどうだった? 聞けた? 」
「いるみたいです、彼氏」
「あー、やっぱりそうかぁ。だから振られたんだ」
思わずついてしまった嘘、山田さんはまるでくじでも外したように残念がる。
「じゃあ、しょうがない。諦めるしかないね」
「残念ですね」
そんなに簡単に諦められるなら良かった、仕事に取り掛かる山田さんを見ながらそう思う。
なぜかわからない。
でも、恥ずかしそうにしながら俯く笹山さんを見て、山田さんは嫌だなと勝手に思ってしまった。触れさせたくない。
笹山さんを見ていても、別に山田さんを好きな様子もないし。
本当に、いないのかな……。
デスクに戻ってきた笹山さんをチラリと見ながら思う。
今日は薄いメイクにストライプのシャツがよく似合っている。シルバーのネックレスもおしゃれだけど、誰かからのプレゼントかな。
人に興味を持ったことなんてないはず、なのに……笹山さんの事は何だか気になる。
俺の話を楽しそうに聞いてくれて、のんびり落ち着いた時間を一緒に過ごせる。仲良くなりたい……それは本心だ。
でも、俺には無理だ。
半年しかいない俺より、まだこの人のがチャンスあるのか……何となく山田さんにイラつく自分が不思議だ。彼氏いるのが嘘だとわかったら、この人はまた調子よくデートに誘うだろうな。
「草野君どうしたの? 行くよ! 」
「あ、すみません」
ぼんやりしていたのが悪かったのか、何となく山田さんもイラついているようだ。ついていきながら、やっぱりこの人はやめてほしいなと思っていた。
「お疲れさまでしたー」
「お疲れさまです」
帰りの挨拶が交わされるオフィス。こんな光景を見ていると社会人になったような気になる。
「草野君、みんなでご飯行かない? いきなりで悪いんだけど……」
チームリーダーの坂野さんが声を掛けてくれる。
「ご飯、ですか……」
行きたいし嬉しいけれど、遅くなれば父が許さないだろう。
「山田さんと巻さんとね、珍しく笹山さんも一緒なんだけど、どうかな? みんなの予定が合うの、今日だけなんだ」
「今日……ですか」
せめて事前にわかっていれば許可も得やすいだろうけど、勝手な行動は一切、許されていない。なんて断ろうか……。
考えながら笹山さんの方を見ると、山田さんが話し掛けている。思いがけず親しくなれるチャンスに喜んでいるのか、山田さんは嬉しそうだ。
「ぜひ、行きたいです」
悔しくて返事をしていた。
「ありがとう、いいお店知ってるんだ! 」
返事をした後でしまったと思った。どうなるだろう……でも、とりあえず目の前の二人を何とかしないと。
「笹山さん、ご飯の話聞きました? 」
「草野君も行けるの? 」
気付いたら二人の間に、割って入っていた。
「どういうことだ」
「断るのも失礼と思い、行きました」
「勝手は許さん、前にも言ったはずだ」
珍しく夜遅く帰宅した俺は、父親の怒号を浴びる事となった。
「極端に人を遠ざけるのも不自然で怪しまれると思います。飲酒は控えましたし、食事を共にする事は周囲にも安心感を与えるはずです」
「もういい! 減らず口を叩くな」
どうやら本気で怒らせたらしい。
「海斗……最近、図に乗っているようだな」
「いえ、俺は別に」
「口答えは許さん」
静かに、でも語気が強い。
「何様の分際だ? 俺に歯向かうなど」
「うっっ……」
頭が……割れるように痛い。
キィィィン……何重にも重なる甲高い金属音が頭に、耳に刺さる。
「お前の命は俺が握っている。それを忘れるな」
父が消えてもまだ痛む頭、何をされたのかもわからないまま、頭を抱えてうずくまる。
なぜこんな目に……。
結局、こんなに無理して行った食事も、笹山さんとは全く話せずに酔った山田さんに絡まれ続け、最悪だった。
俺にはあの人達と同じ自由なんてない、惨めとはこういう事か……食事に行っただけで親に殺されるなんて家は他にないだろう。
何の為に……俺は生かされるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます