☆第8話 不思議な気持ち
「一緒に走りません? 」
もっと話したくて誘ってしまった。迷惑じゃなかっただろうか。こんな事は初めてでいつもより念入りに身支度を済ませて外に出る。
軽く走りながら姿を探すと、ちょうど公園に入ってきた華奢な後ろ姿を見つけた。
少し見ていたいな……俺を探してくれているのか、きょろきょろと辺りを見回す仕草がかわいい。
「草野君! 」
わりと早く見つかったらしい。笑顔で駆けてくる彼女に、なぜか胸が高鳴った。
「気持ちいいねー」
「うん、ペース大丈夫ですか? 」
「うん」
時折、髪を揺らす風が心地いい。彼女も隣でそれを感じながら、気持ちよさそうに走っている。
「休みますか」
一人で走る時よりも少し早く、スピードを緩める。ゆっくりこの時間を過ごしたい。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
この間のお礼だと言って飲み物を差し出してくれる彼女の笑顔が太陽に照らされて眩しい。
「どうかした? 」
横顔をちらっと眺めたのを気づかれてしまった。
「仕事の時と雰囲気違うなと思って」
「そ、そう? メイクとかあんまりしてないからかな? 」
「そうなんですね」
ちょっと照れて困っている感じが面白くて、さらに見つめてみる。
「もう! やめてよ、恥ずかしいから」
顔を赤らめた笹山さんは目をそらしてしまった。ちょっとやりすぎたかな。
「すみません、でもその方が爽やかでいいなと思って」
「もう! お世辞とかいいから……」
本心なのにな。風が吹くたびになびくさらさらの髪、自然に赤らむ頬に、ニコッとすると覗くいたずらそうな八重歯。
見ているだけで嬉しくなる。
「そういえば、この間のカフェ見つけましたよ」
「ほんとに? どうだった? 」
「カップルとか多そうで入れなかったんですよね、一人だと入りづらくて」
一緒に行きたいなんて、さすがにまだそんな誘いが出来るような仲じゃないけれど、言ってくれたら……微かな期待を向けてみる。
「そっかぁ、暇な時は一人でゆっくり出来るけど混んでるとね~、土日とかスイーツビュッフェの日はすごい人なんだ。あそこはケーキが美味しくてね……」
楽しそうに話す彼女は俺の思惑に気づかなかった。きっと一緒に行く彼ぐらい……いるんだろうな。
昨日もすごくモテていたし、俺を教えてくれる山田さんも笹山さんの事が気になっているみたいだ。
変な奴だと思われるのも嫌だし、自然に話せるようになれたらその方が嬉しい。何気ない会話を交わし、笑い、公園を散歩して心が跳ねるような時間を過ごした。
「楽しかった、誘ってくれてありがとう」
「俺も、楽しかったです」
笑顔で手を振って別れた。次の約束はないけれど仕事でも会うし、何より楽しかった。
笹山さんと別れて家に帰る。父親が日光を嫌がるせいで相変わらず暗くて陰気だ。シャワーを浴びようとバスルームに向かうと、地下室から上がってきた父親に出くわした。
「何してる」
「シャワーを浴びようかと」
父は、俺を一瞥してランニング帰りだと察したらしい。
「すっかり人間気取りだな、汗もかかないくせに」
人間気取り……その嫌味にタオルを降ろす。水分は悪影響だから入るなという事だろう。その様子を見た父は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「まぁいい。終わったら地下に来い、少し調整する」
「はい……」
今日は何をいじられるのだろう、その度に身体の具合が変わるようで憂鬱になる。
とても言えるわけない悩みを抱えた俺には、笹山さんといる時間だけが癒しだった。
「で? その5人の中にいいのいなかったんだ」
「いいも何も、話したこともないのにわかんないよ。たださぁ、恋愛とか付き合うってそんなんじゃないでしょ? 」
「まぁねー……」
草野君と公園で走った後、家に樹梨亜と夢瑠が遊びに来てくれた。お茶をしながらの話題はもちろん昨日のチークの話。
「デートしてみたら良かったのに」
「やだよ、そんなの」
意地悪そうにからかう樹梨亜に、にこにこしながら聞いている夢瑠。
「それにしてもタマも大胆な事したね」
「だってぇ……そんなに効くとは思わなかったんだよ」
まだ仲直りできてないタマが申し訳無さげに会話に入ってくる。
「でもハルちゃん……もし、恋するチークのせいじゃなくてみんなの気持ちが本当だったらどうするの? 」
夢瑠のくりんとした瞳に見つめられて思わずドキマギしてしまう。
「そんな事、あるわけないってば」
「わかんないんだよ! 話したことがなくても好きになってじーっと見ちゃうことだってあるんだから」
「で、でも、やっぱり少しずつ仲良くなってからじゃない? 付き合うとかはさ」
珍しく熱のこもった夢瑠の言葉に、言い返すので精一杯。
「ねぇタマ、そのチークまだあるの? 」
「うん……あるよぉ」
ドレッサーから出てきたのは、まんまるのピンクのチーク。
「ふーん、これかぁ」
「たこ焼きみたいだね」
「いや、確かに丸いけどね、たこ焼きこんなピンクくないでしょ」
夢瑠の感想に笑いながら改めてチークを見つめる。
「夢瑠、ちょっと塗ってみなよ」
「え!? わ、わたしはいいかなぁ~」
「遥、塗るとどんな感じになるの? 」
「や、やだよ、もう塗らないってば」
「なんでよ、部屋で塗るくらいいいでしょ、男がいるわけじゃないんだし」
結局、3人で塗ってみることになった。
「どう? 」
「う~ん、よくわかんない」
「でもさぁ……」
「ん? 」
「確かに、遥だけなんか色っぽくない? 」
「ほんとだぁ……なんで? 」
「たいして変わんないって、夢瑠だってかわいいよ」
「やったぁ! ハルちゃんに褒められるのうれしいな! 」
「夢瑠、明日仕事につけていってみなよ、それで誰かに告白されたらこのチークすごいんじゃない? 」
「じゃあ、樹梨ちゃんもね! 」
「だめだって、学校でそんな事したらほんとヤバいって!! 」
「生徒がみんな樹梨亜に告白してくるかもね」
「きゃー!! 」
あんなに嫌な気分だったのに、樹梨亜や夢瑠が一緒だと賑やかに盛り上がる。
バァン!!
突然、勢いよく部屋のドアが開いた。
「うっせぇ!! 」
突然の事に、部屋の空気は静まり返る。
「どうも……」
「お邪魔してます……」
夢瑠も樹梨亜も圧倒されているし、人嫌いの兄貴は挨拶する素振りもない。
「あ、兄貴なんでいるの? 仕事は」
「夜勤明け」
そう言うと、兄貴が止まって私達をじっと見た。まさか……。
「とにかく静かにしてくれ」
友達がいることに今更恥ずかしくなったのか、それだけ言うとまた扉は閉められた。
「ごめんねぇ、ハルちゃん。怒られちゃったぁ……」
「夜勤明けなのに悪いことしちゃったね」
「いいのいいの、そんなの! 私のすること気に入らないだけだから。なんかごめんね」
楽しく盛り上がっていたのに、バカ兄貴に邪魔される。いつもなら言い返してケンカしてるけど、今日は夢瑠や樹梨亜がいる。
我慢しなきゃ……。
「あ、ねぇ……はるちゃん、駅前に新しくカフェが出来たみたいなんだけど、みんなで行ってみたらどうかなぁ? ジェラートが美味しいお店なんだって」
タマの提案にのって私達は出掛けることにした。
「そういえばチークどうする? 」
「取っていかないと襲われちゃう? 」
「どうしよ、メイクし直してから行く? タマ、ドレッサー開けてくれる? 」
「うん、でもね、一回くらいなら大丈夫じゃないかなぁ? はるちゃんは一週間くらい仕事行くのに使ってたよ? 」
「は!? 」
そういえば思い出した。このチークをタマに勧められたのは年度初めの日で、肌馴染みがいいから毎日使っていたこと。
「タマ……それで効いたんじゃない? 」
樹梨亜の一言がタマに刺さる。
「あ! 私ね、はるちゃんにメイクしてもらってお出掛けしたいなぁ~」
「よし! じゃあ、このチークは無しで、遥が夢瑠に、私が遥に、で……」
「夢瑠が樹梨ちゃんに? たのしみ~」
「いや~!! 夢瑠にされるの怖いんだけど!! 」
「夢瑠のメイクは独創的なんだよ! 樹梨ちゃんの瞼、何色がいいかなぁ~」
「やめて、ふつうにして~!! 」
結局、私達はわいわい賑やかにメイクしあってカフェに出掛けた。そこからの楽しい時間は憂鬱な気分を少しだけ和らげてくれたけど、帰ったら兄貴とケンカしそうだし、タマとも仲直りできてないし……明日、仕事行きづらいしで気分が、もやもやと晴れなかった。
「はるちゃん、本当にごめんなさい」
「もういいよ、タマ……私もちゃんと確認しなかったし、いつもタマに任せっきりでごめんね。仕事なんだし、これからはもう少し落ち着いたメイクで行こうかなと思ってるんだ」
「うん、わかった。これからはちゃんとお仕事に合うような格好にするね」
私も反省している。朝、確認する時間もないほどギリギリに起きていたし、社会人としての自覚が足りなかった。
「でもね、タマ……」
「なぁに? はるちゃん」
「明日、行くの怖いなぁ……」
「そうだよね……明日もお休みする? 」
「さすがにそんなわけにいかないよ。撮影あるからブース籠もってようかな」
明日、草野君いるのかな……ふと、今朝の笑顔が浮かぶ。私を見つめてからかったり……仕事の時と雰囲気が違った。
会えたら、いいな……。
“その方が爽やかでいいなと思って”
草野君に、会いたいと思った。
「一週間で女とは、さすが誰かに似て手が早い」
海斗の暮らす草野医院、その地下には不気味な研究室がある。ベッドで眠らされている海斗の側で呟くのは、海斗の父親、
「
口の右端だけを上げて嫌味に笑う。何か企みがあるようだ。
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