☆第7話 恋するチーク


「好きです! 付き合ってください」

「そ、そんな……急に言われても……」


 何が起こったんだろう、今日だけでもう五人。私の目の前には、話したこともない男の人……頬を赤らめて花束を差し出している。


「あの……なんでいきなり? 」


 ちょっと興奮すらしている様子のその人に、恐る恐る聞いてみる。


「ひ、一目惚れしました! 」


 一目惚れなんて話した事もない人に言われても困るし、丁寧にお断りしてオフィスに戻った。


「笹山さん、モテモテだね」


 どうしてもと言われて受け取った花束を見たのか、山田さんに冷やかされる。


「そんなんじゃありませんって」


 ため息をつきながら花瓶に花を差す。


「花はもらうんだ? 」

「どうしてもって言われたんです。花には罪はないですし」


 共有スペースに飾る間も山田さんの視線が、私をからかおうとしている。


「誰かとデートの約束はした? 」

「してません!! 」


 叫びたくなるぐらいのイライラを抑えて席に戻ろうとする、その道を山田さんに塞がれた。


「じゃあ、俺としない? 」

「は!? 」

「俺、気の強い女の子も好きなんだよね。だからさ……今晩デートしよっか」

「もう!! 山田さんまでからかうのやめてください! 」


 逃げたいのに道を塞がれて逃げられない。オフィスじゃなかったら突き飛ばして逃げるのに、ここでそんな事して問題になるのも困る。


「もっと仲良くなりたいって、ずっと思っていたんだよね」


 前から軽い人だと思っていたけど、こんなこと言う人じゃないはず、それに私と仲良くなりたいなんて……そんな素振り感じたこともない。


「今夜、19時でどうかな? 」


 いつもと違う異様な目付き、身の危険を感じて全身に鳥肌が立った。


「あ、あの……」


「山田さ~ん、準備終わりました」


 助かった。ちょうど草野君が山田さんを探しに来て、私は救われた。


「邪魔が入っちゃった。じゃあ、考えておいてね」


 ニコッと笑う山田さんがいつもと違って見えてまだ気持ち悪い。草野君の所へ向かう後ろ姿にため息をついて、私はやっと仕事に戻ることができた。







 昼休み、人目を避けるようにテラスで休みながら考えていた。なんでいきなりこんな事になったんだろう……山田さんを含めて今までオフィスにいた人達が急に同じ日に言い寄ってくるなんて、どう考えてもおかしい。


 もしかして、みんなで口裏を合わせてからかっているとか? 後は罰ゲームとか……でも五人はチームも役職もバラバラ、特に親しそうな様子もない。


「お疲れさまです」


 こわごわ振り返ると草野君だった。


「お疲れさまです、今日は一日仕事なんだね」

「はい、初めてで。覚えること多くて大変です」


 疲れたというように苦笑する草野君はいつもと変わらなくてほっとする。


「大丈夫ですか? 」

「ん? 」

「何だか今日、大変そうだから」

「うん……もう帰りたい」


 爽やかに笑いながら空を見る草野君と一緒に私も空を眺める。


「こうしてると、どうでも良くなっちゃいません? いろんなこと」

「うん、ほんとにね」


 黙ったまま、二人で休む時間が心地よくてこの間の公園での時間みたい。


「草野君は? 何か悩みでもあるの? 」

「悩みかぁ……」

「うん、言えることなら聞くよ? 」


 それまで空を見ていた横顔がこっちを見てにこっとした。


「優しいんですね、笹山さん」

「そんなことないよ」

「優しいですよ……」


 何だか変な雰囲気、かなり深刻な悩みだったりするのか、草野君は少しつらそうに感じる。表情はいつも通りなのに。


「草野君だって優しいよ、悩んでるのに私のこと気遣ってくれたし、ね? 」


 どう思ったのか、こんな言葉なんにも役に立たなさそうだけど、草野君からふっとまた微笑みが漏れた。


「ありがとうございます、なんかパーッと遊びに行きたい気分ですね」


 今度はいたずらっ子みたいに笑う。


「うん、仕事なんか忘れてパァーッとね」


 二人で笑いあって不思議と気分が晴れたところで、草野君の呼び出し音が鳴った。


「さぁ、戻らないと……」

「そうだね、私も仕事しなきゃ」


 オフィスに戻りたくないけれど、仕事こなさないとどこか休み潰さないといけないし……明日、代わりに出勤して今日は帰ろうか、私の問題は何も解決してない。


「明日……走りに行きます? 」

「うん」


 つい返事しちゃった。


「よかったら一緒に走りません? 」


 草野君の笑顔につられて気づいたら約束まで、してしまっていた。


「楽しみにしてます」


 すっごく嬉しそうな満面の笑みで去っていく草野君。悩んでいたんだと思ったらそんな笑顔するなんて……不思議な人。


 これで仕事を終わらさなきゃいけなくなってしまった。私にも呼び出し音が鳴る、坂野さんからだ。


 相談……してみようか。


 ため息をついて仕事に戻った。







「タマ? さぁ、言ってごらん? 私に黙って何をしたのかな」


 その夜、私はタマを問い詰めていた。結局、あの後も仕事にならなくて坂野さんに相談しても謎は解けないまま、仕方なく早退するしかなかった。


「ごめんね、はるちゃん……そんな事になるなんて思ってなかったんだよぉ……」


 申し訳なさそうなタマの声、ちょっとかわいそうになったけど最後まで聞かないと原因がわからない。


「どういうこと? 怒らないから教えてよ」

「あのね、前にはるちゃんとふざけて買ったチークあったでしょ? 」

「チーク? そんなの買ったっけ? 」

「うん、これね、恋する媚薬チークっていうの。可愛いピンクだったから髪を切ったはるちゃんに似合いそうだなぁって思ってね……」

「で、私は知らずにこれをつけて行ってたんだ」

「うん……ごめんねぇ」

「でも、そんなの本当に効く? 」

「わかんないけど……変わった事はこれしかしてないよ? 」


 変わった事はしてない、タマの言葉を信じるしかないけど、そのチークをやめたら明日から平穏が戻るのかな。


「もしかして、チークとか関係なくてみんな、はるちゃんのこと好きになっちゃったんじゃない? 」

「そんなわけないでしょ、チークの説明書だして! 」

「え、えっとね……恋する媚薬チークは人の細胞レベルの魅力を高めます。男性ホルモンに作用するので特別なデートの時などにオススメです……」

「ちょっとタマ! それ危ないやつじゃん! 普段使うやつじゃないって」


 チーク変えただけでそんなになるとは思えないけど、あの人達の異様な目付きを思い出すと……効いてしまったのかもしれない。女性には効果ないから、坂野さんに相談しても気づかれなかったんだ。


「タマ、悪いけどもうそれ捨てよう」

「え? でもかわいいし……いつか本当に好きな人とのデートで使うかもよ? 」

「タマ……」


 今まで女性扱いなんて受けたこともなかったから、買った時には仄かな期待があったかもしれない。それに、そんなに効くなんて思ってもみなかったし。


 でも、今日の事でよくわかった。


「そんなので好かれても嬉しくないよ。今日ね……本当に怖かったんだ、みんな目付きがおかしくて。告白だってデートのお誘いだって……初めてだったのに、みんな私のこと本当に好きなわけじゃなかったんだもん」

「はるちゃん……」

「やっぱり、ちゃんと仲良くなって好きになった人から誘われたいよ。私の事……そんなふうに思ってくれる人がいるか、わかんないけど」


 落ち着いてみると虚しくなってくる。悩んだのに、自分でこんなチーク塗って誘っていたなんて。


「はるちゃん……でもわかんないよ、はるちゃんの事、本当に好きで言ってくれた人もいるかもしれないし、はるちゃんはどうなの? 」

「何が? 」

「その人達の中でいいなって思った人いないの? 言われて嬉しかった人」


 今日一日……本当に大変だった。昔、樹梨亜が一日に五人、告白されて怒ってたけど……樹梨亜はこんなの使わずに本当にモテてたんだもんね。


「ごめん、タマ。もううんざり」

「はるちゃん……ごめんなさい」


 タマに怒ってるわけじゃないけど、それきりタマはなんにも言わなかったし、私も言わなかった。


 電気の消えた部屋で、ふと……あの笑顔が浮かぶ。


「明日、一緒に走りません? 」


 あの約束も嬉しそうな笑顔も、そういえばチークのせいだったのか。唯一してしまった約束に気が重くなる。


 本心だったら、よかったのにな……。


 私なんか好かれるわけない。改めてそう実感する夜、寂しくて虚しくて悲しかった。

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