第6話 大好きな場所


「はるちゃん、おはよう」


 今日もタマが私に呼びかける。


「ふぁぁ……タマおはよ。まだ眠いよ、もうちょっと寝ていい? 」

「だめだよ、今日は走りに行くって言ってたでしょ」


 タマという名前は小さい頃、隣のお姉さんが飼ってたかわいい白猫のタマからつけた。私もずっと、猫のタマみたいな友達が欲しかったから。


 でもロボのタマはペットや友達というより、いつのまにかお母さんみたいになっている。


「今日もいい天気だよ。今の気温は18℃、昼には暑くなって日焼け注意だから早く行こうよ。あ~、僕も走りに行きたいな、気持ちいいだろうな」

「わかったよぉ、ウェア出てる? 」

「バッチリ準備できてるよ。トレーニングウェアにシューズは玄関ね。あと、水分補給も玄関でしていってね」

「はーい」


 仕方なく起き上がり、クローゼットのモニターでコーディネートを確認して、最近お気に入りのランニングセットに袖を通す。


「今日は僕も行くんだから、おいていかないでね」

「わかった、わかった。ほら着けたよ。これでいい? 」


 タマは時々ランニングに付いていきたがる。シューズを履き、用意された水を飲むと準備完了、目もスッキリ覚めた。


「よしっ、行くよ! 」


 タマにそう言って、ドアを開けた。







「はるちゃん、今日はどのコースを走るの? 」

「んー、どうしよっかな」


 コースはその日の気分だけれど、だいたい近くの大きい公園を何周か走ることが多い。そこは真ん中に大きな池があって周りは木々や季節の花で溢れている。私がこの街でいちばん気に入っている場所。


 ザッザッザッザッ


 地面を蹴りあげる音を感じながらペースを守って走っていく。よく晴れた心地のいい日だからか、走っている人や散歩の人も多い。


 私はすっかり緑に衣替えした桜並木を通り抜けて、池の真ん中にかかる橋を渡る。日差しは強いけれど時折、通り抜けていく風が涼しくて気持ちいい。


 いい調子で橋を抜けて白やピンクに色づいたツツジの花壇を通ってスタート地点まで戻る。


「そろそろ休もうよ。ゆっくり歩いてね、そう、呼吸止めずに」


 私の心拍をチェックしているたまから休憩の合図が出て、道の隅に寄ってペースダウンする。


「あー、あっつい! 」


 完全に停まって屈伸していると、背後から声が聞こえた。


「もしかして……笹山さん? 」

「草野君!? 偶然だね」


 白いTシャツにジョガーパンツ姿の彼はこの間よりたくましい印象だけれど、くりっとしたワンコのような瞳が私の記憶と重なった。


「はるちゃん、だあれ? 」


 小声で呼び掛けてくる、タマのスイッチをそっと切る。


「偶然ですね、走ってるんですか? 」

「うん、軽く一周してきたところ。草野君は? 」

「俺も一周してきたところです。よかったら一緒に休憩しません? 」

「うん」


 草野君に誘われて側にあったベンチに腰かける。


「ちょっと待っててください」

「え……うん」


 どこ行くんだろう……草野君は慌ててどこかにいなくなってしまった。辺りを見回しても、それらしい姿は目に入らない。呼び止められて座っちゃったけど、どんな話をしたらいいかわからない。


 焦りと緊張でさっきまでとは違う汗が滲んできそう。


「お待たせしました。はい、どうぞ」


 緊張しながら待っていると草野君が戻ってきた。手には水のボトルが2つ握られている。


「ありがとう、ごめんね、今お金持ってなくて……」

「そんなの気にしないでください」


 草野君は白い歯を見せて笑うと、さり気なく私の隣に座る。


「ちょうど喉乾いてたんですよね」

「今日、あっついよね」


 二人してガブガブと水を飲む。

 

「っはー!! うまいっすね、走った後は」

「うん、うまっ! 」

 

 すっきりとした冷たさが喉を通ると、蒸し暑さも消えていくような気がする。チラッと草野君の横顔を見ると、また美味しそうに水を飲んでいる。


 あまりに美味しそうな表情につられて、私ももう一口水を飲んだ。


 喉も潤って、風も心地よくて。


「良い所ですね」

「うん。今はツツジの時期なんだけど、桜の時期になるともっときれいなんだよ」

「桜咲くんですね、見たいなぁ~、俺まだ見たことなくて。ツツジも見たことないんですけど、どれですか? 」

「あれだよ、あの花壇に咲いてる濃いピンクの花」

「あ、あれがツツジかぁ。なんか可愛い色ですね」

「そうだね」


 草野君との会話は緊張なんか全然必要ないくらい自然で、こんな他愛もないやり取りでニコニコしている彼を見ていると楽しくなってくる。


「どうかしました? 」

「えーっとね、草野君、敬語じゃなくていいよ? 」

「いいんですか? あ、敬語になっちゃいました」


 恥ずかしそうに笑う所がなんだか可愛くて、顔を見合わせて笑ってしまう。


 やっぱりワンコって感じだなぁ。


「気持ちいいなぁ」

「そうだねぇ」


 涼しい風がさらさらと、私達の間を流れる。


 草野君は、ベンチにもたれて目を閉じた。


 なんか……面白いな。


 本当に休憩してる、私が居ても何か話すわけじゃなくて……でも不思議と、こんな沈黙も悪くない。


 それにしても、きれいな横顔。二重瞼から覗く長い睫毛に通った鼻筋を、思わずじっくりと見てしまう。


 寝てる……のかな。


 あれ?


 じーっと見ていたらどこからか、ひらひらと飛んできた黄色い蝶々が草野君の鼻に止まった。


 しかも気づいてない。


 まるで草野君と蝶々が一緒に休憩しているみたいで、つい笑ってしまう。


「ん!? 」


 気づいた草野君が身体を起こすと蝶々は、またひらひらと飛んでいってしまった。


「ごめんね、笑っちゃって。蝶々が鼻に止まってたから」


 そう言いながらも、きょとんとしている草野君が面白くて笑いが抑えきれない。


「鼻に!? 全然気づかなかった! 」


 やっと状況を把握した草野君は、今さら驚いている。


「草野君って面白いね」

「なんか恥ずかしいな……」

「そう? 楽しいよ」

「そうですか? 笑ってもらえるなら、よかった」


 そう、なんだか楽しい。座って休憩しているだけなのに、こんなに面白くて笑えるなんて。


「笹山さんは家近いんですか? 」

「うん、歩いて5分くらいかな。草野君は? 」

「俺はそこを出てすぐなんです」

「へぇ~、近いんだね」

「はい。引っ越してきたときに、きれいな公園があるのを見つけて試しにランニングに来たんです」

「そっか、まだ引っ越してきたばかりなの? 」

「はい。先月ですね」

「そうなんだ! 」

「まだ公園ぐらいしか分かってないです。どこに何があるか」

「そっか、もし行きたい所あったら教えるよ? ずっとこの街に住んでるから」

「そうなんですか? じゃあ……」


 おすすめのカフェとかレストランとか、この街のオススメスポットで盛り上がる。


「結構いろんな店あるんですね、まずカフェから行ってみます! そういえば時間大丈夫ですか? 」


 ずっと止まらなかった会話に間ができたとき、草野君が言った。


「もうこんな時間なんだ、帰らなきゃ」

「すみません、なんだか引き留めちゃって」

「いいのいいの、すっごい楽しかった」


 勝手にスイッチ切ったから、タマ怒ってるだろうな。早く帰らないと次の予定もあるし……わかってはいるんだけど、草野君と、また話したい。


 なんて言ったら……次があるんだろう。


「今日はありがとうございました」


 私が立ち上がると草野君はくりっとした、人懐っこい瞳で礼儀正しくお礼を言ってくれる。


「こっちこそ、お水ありがとね」

「いえ……」


 立ち上がって向き合うと、背が高いからか顔が見えなくて変な感じ。


「じゃあ、行くね」


 何だか、急に名残惜しい……また仕事で会うのに。振り返ってすごくゆっくりと帰り道を歩き始める。


「あの! 」


 背後から草野君の声が聞こえた。見ると笑顔の彼が立っている。


「また……ここで会ったら声かけてもいいですか? 」

「うん! 」


 心の奥がざわざわと騒いだ。


「じゃあ、また仕事で」

「うん、またね」


 そうして別れて少し歩いた後、まだ見送ってくれているような……そんな気がして振り返ると、草野君はやっぱりまだ見送ってくれていた。


 優しいんだな。


「バイバイ! 」


 手を振ると、草野君もニコッと笑って振り返してくれた。

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