第10話 かわいい?


 草野君と仲良くなりたい……その気持ちを裏切るように、あの日以来、私と草野君はすれ違いが続いていた。仕事に行ってもいない日が多いし、公園に走りに行ってもいなかった。


「笹山さん、ブース空いたよー」

「はーい! 」


 今日は忙しい。急いで準備をして撮影ブースへと走る。


 朝から動画を2本撮って編集もして、14時からは巻さんにも呼ばれてるし、予定外のことが積み重なってとにかく忙しい。撮影ブースは使える時間も決まっているから、何本もの動画を急ぎで撮って、確認して急いでオフィスに戻る。


 久しぶりに草野君がいるオフィス。出勤して草野君がいることに気づいた時には嬉しかったのに、まだ全然話せていない。


「笹山さん終わった? 」

「はい、終わりました」

「そっかぁー、なんか忙しそうだね。笹山さんは頑張り屋さんだなぁ」


 ブースの空き待ちなら、さっさと行けばいいのに。忙しくて焦っているからか、山田さんの言葉に苛立ちが湧く。


「笹山さんは真面目だし優秀だから、俺がいない日は彼女に聞くといいよ」


 山田さんが草野君に適当な事を言っているのを聞き流しながら、データの確認に追われる。何でも機械がやってくれる時代なんだから、これも自動でやってくれたらいいのに……自分の仕事なのにそんな気持ちになったりして、それにもまたイラつく。


「はぁ~、腹減ったなぁ~、今日は何にするかな。草野君なんか良いとこ知らない? 」


 あっ!


 気づいたときにはもう、本がドサドサっと落ちる音が聞こえた。苛立ちのせいで勢い余って山積みにしていた本に手をぶつけたからだ……叫びたいくらいイライラが止まらない。


「大丈夫ですか? 」


 反対側に座っていた草野君が素早く動いて、一緒に拾ってくれる。


「ありがとう、ごめんね」

「大丈夫です、どうせまだ動きそうにないですから」


 のんびりしている山田さんの方をチラッと見ていたずらそうに笑う草野君。


 その笑顔に、ふっとイライラが途切れた。


「かわいいですね」

「ん? 」

「かわいいです、笹山さん」


 かわいい、いきなりそんな事を言われた恥ずかしさで、かぁっと顔が熱くなる。


 どういう、意味なんだろう……。


「チョコチョコしてて小動物みたいです」

「はっ!? 小動物? 」


 いつものワンコみたいな瞳が悪気なく私に向いている。


「小動物って……先輩に言うことじゃないでしょ! 」

「すみません、変なこと言って……」


 一瞬、しまったという表情をして、ワンコの瞳が明らかに輝きを失った。


「本当にすみません、失礼なことを言って。本、これで全部です」


 冗談だよと笑い飛ばす間もなく、草野君は自分の場所に戻ってしまった。


 何でこうなるんだろう……。


 冗談で笑ってツッコミいれたつもりだったのに……言い方悪かったのかな。草野君に注意したみたいになっちゃった。


 気にしているかどうか……反対側に座る草野君の表情は、モニターに阻まれて全く見えない。


 モヤモヤしていると草野君が立ち上がる。山田さんに何か言われながら背面にある古い教科書の棚をキョロキョロと見ている……ついその背中を追ってしまう。


 仲良くなれそうだったのに、それを壊してしまったかもしれない。


 でも、それでも今は仕事に集中しないと終わらない。イヤホンを両耳につけて、画面から流れてくる音だけに注意を向けた。







 夕方になってなんとか今日の仕事を全て終わらせた私は、早めに帰ることにした。運が悪い日なのか、朝からタマとケンカするし、山田さんにイラッとしたり草野君とだって……とにかく今日はツイてない。


 疲れたな……そう思いながらエレベーターで下に降りる。


 あれ……なんだか湿っぽい匂いがする。


 外に出ると、ザーザーとうるさいほどの雨が地面を叩いていた。


 どうしよう……。


 朝は晴れていたから傘なんて持っていないし、これだけ降っていると走ってもびしょ濡れなのは確実。


 タマの言うこと、聞いておけばよかったなぁ。


 私がこうして空を見ている間に一人、また一人と傘を差して歩いていく。


 困ったなぁ。


「傘、ないんですか? 」


 背後から声がして振り返ると、草野君だった。


「うん……降ると思ってなくて」

「そうですよね。朝あんなに晴れてたし」


 空を#疎__うと__#ましそうに眺める彼の手にはブルーの傘。


 ちゃんと傘、持ってきてる。

 

 やっぱりタマの言うことを聞いて、持って来たらよかったな。早く帰ってタマに謝らなきゃ。

 

「止みそうにないね」


 草野君にそう言ってバッグからハンカチを取り出し、頭にかけた。


「え!? まさか走るんですか? 」

「いつまでも立ってるわけにもいかないしね」


 草野君は驚きの目を私に向けた後、なぜか小さく笑う。


「一緒に帰りません? 」


 開いた傘が差し出される。


「俺でよかったら送ります、たぶん家近いし」

「え……でも……」

「それだとすぐにびしょ濡れですよ」


 傘を持っていない左手が私に近づいて、頭のハンカチをとる。


「はい、どうぞ」


 私を見つめるワンコのような瞳が……いつもより少し、大人びて見える。


 なんだろう……恥ずかしくて、ドキドキして草野君の顔、ちゃんと見られない。


「帰りますか」

「うん……」


 歩き始めた草野君に、私もついて歩く。


「草野君」

「はい? 」

「さっきはごめん。冗談のつもりだったんだけど……言い過ぎたかも」

「笹山さんが謝ることじゃないですよ、俺が悪かったんです」


 駅までの道を、肩が触れるくらいの距離感で私達は歩いていく。


 チラッと草野君を見ると目が合った。


「でも……」

「何? 」

「やっぱり、かわいいですね」

「は!? ちょっと、からかってるでしょ! 」

「冗談ですよ、冗談! 」


 二人で笑いながら歩く雨の道は楽しくて、いつの間にか心の雲は晴れ渡っていた。






「バイバイ! 」


 嬉しそうに、無邪気に手を振る彼女の姿が頭から離れない。


 かわいい……久しぶりに会って、つい本心が出てしまった。笹山さんは怒っていたけど、心からそう思う。


 一生懸命走り回る姿、仕事中の真剣な眼差し、そうかと思えばこんな日に傘を持っていない所とか、頭に小さなハンカチを乗せて走り出そうとしていたり……思い出せば思い出すほど、かわいくて優しい気持ちになる。


 彼女の家から真っ直ぐ一本道を歩いて家に帰る、その間もずっと彼女の事が頭から離れなかった。


 仲良く……もっと一緒にいたい。


 俺が普通だったなら仲良くなっていつか、その先も望めたりしたんだろうか。ずっと投げやりに、父親のコントロールの下で生きてきた。


 自分の意志なんて持ったことがなかった。


 でも今、彼女と仲良くなりたい、もっと一緒にいたい……その考えに頭を支配されている自分がいる。


 どうすればいい、どうすればあいつの目から逃れ、彼女といられるんだ。


 “さっきはありがとう”


 交換した連絡先、初めてのやり取りを大切に眺める。自然に顔がほころぶような、俺にこんな気持ちがあったなんて……知らなかった。


 “色々話せて楽しかったです”


 丁寧に送り返すと、気持ちを入れ替えて課題に向かう。彼女に影響されて、真剣にやってみたくなった。


 来年、インターンが終わった後も彼女と働きたい、生まれて初めて出来た目標だ。


「来い」


 唐突に部屋のドアが開いて父が入ってくる。


「今からですか? 」

「当たり前だ」

「すみません、課題が」

「提出はまだ先だ、今夜は手を加える」

「最近、多すぎませんか。今日はやめてください」


 父に改造されると、それより以前の記憶が朧気になる。せめて今晩ぐらいは彼女との時間、覚えておきたい。


「また口答えか」

「……!! 」


 何をされたかわからない、一瞬で目の前が暗くなった。




 



 ブルーライトだけが怪しく光る不気味な地下室で、モニターを睨みつけるのは海斗の父親、英嗣だ。傍らには手術台のようなベッドに横たわる海斗の姿。


「成功だな、さすが魔性の瞳」


 モニターに映るのは海斗の瞳に映っていた、照れながらはにかむ遥だ。英嗣は口の右端だけを吊り上げる特徴的な笑みを浮かべ、画面を見つめている。


「記念すべき最初のターゲットか、利用させてもらおう」


 英嗣は眠る海斗に近づいていく。一体、何をしようとしているのか……その手に握られているのは、メスではなくドライバーやスパナのようだ。

 

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