第27話 愛する人
遥……。
もう何度、その名を呼んだだろうか。朦朧とする意識の中、夢のような時間を思い返していた。
“また明日ね”
一緒にランチしよう……守れなかった約束。
待たせただろうな……どれだけ待っても来ない俺を、怒っているだろうか。
それもこれも全部、俺が悪い。
最後にすべきだった。それなのに気持ちを伝え、触れてしまった。我慢なんて出来なかった。
遥を……傷つけるかもしれないのに。
重い鎖が音を立てる。
鋼の鎖と鉄球に動きを封じられ、姿勢を変えることすら出来ない。重い……苦しい……壊れかけたロイドの俺にここまでする男だ。遥にだって何をするかわからない。
危険な目にあわせたくない、だからこそ最後にすると決めたのに。愚かな俺は……何も見えなくなっていた。
彼女との関係を、約束を守り通したかった。どうすれば守れるのか……考えがまとまらないまま公園にいた所をあいつに襲われ、気づいた時には拘束されていた。
そして、あの日からかなり経ったはずの今も……地下室に監禁されたまま、ずっと外に出られないでいる。
通信手段も奪われた。
仕事も……無断欠勤なんてした時点でクビだ。急な部署異動にも適応してハードな仕事も必死にこなしてきたのに。
何もかも……もう、全て終わりだ。
悔しくてたまらない。
ずっと側にいると言ったのに……遥との約束を守ることもできず、簡単にあの憎い父親に支配されている自分。どれだけ腹をたて怒り狂っても、このまま準備が整えば俺は記憶を消されてしまう。
こんな形で別れるなんて……。
海斗……照れながら、そう呼んでくれた遥。今すぐにでも会いに行きたい。
それなのに
あいつのせいで。
俺はいつも実験に必要な最低限の自由だけを与えられ、現実社会という箱庭の中で踊らされている。
どれだけ努力しても、そこにいたいと願っても叶いはしないし……努力が報われることもない。
それどころか意思自体……潰されてしまう。
虚しさが重くのしかかる。
「起きろ」
音も立たず開いた扉から光が漏れる。凄むように低く響く、乱暴な声。
「起きています」
「相変わらず反抗的だな。だがそれも今日まで、今のお前には消えてもらう」
とうとう、その時か。
遥……ごめん。
遥の笑顔すら俺は、覚えていられない。
もっと、一緒にいたかった。
惨めな俺を鼻で笑う父親、勝ち誇ったようなその表情が……恨めしい。
「なんだその目は」
「お前を、許さない……何度作り変えられても、それだけは忘れない」
「自業自得だ、草野海斗。大人しくしていればインターンが終わるまで待ってやったものを……全てはお前が俺を眠らせ暴挙に出たせいだ」
「ぐわぁっっ!! 」
瞬間、目の前が暗くなる。
凄まじい、稲妻のような痛み。
「これ以上、欠陥品と話す事はない」
カチカチカチカチカチカチカチカチ……。
「なんだ……この音」
時計の秒針のよう、刻む音が頭の中で鳴っている。
「タイマーだ」
「タイマー……? 」
「お前に最後の外出を許可する。先ほど会社から作成したレポートの提出と面談でインターン修了を特例で認めるとの提案があった。今後、さらなる実験のためにもお前はこのインターンを修了しなければならない。レポートを提出し、1時間以内に戻ってこい」
最後のチャンスだ。
今日が何曜日かはわからないが、遥が出勤していれば会うことができるかもしれない。
遥に会おう。
話せなくてもせめて……最後に一目だけでもいいから。
「わかりました」
なるべく逆らわないようにそう答えると、父は鎖を外して俺に封筒を手渡した。
「お前は急病で入院した事になっている。封筒の中身は診断書だ。病気について聞かれたときの為に目を通しておけ」
「はい」
鎖を外されて久しぶりに身体を動かす。違和感はあるけれど、鎖も鉄球もない分軽く感じて、急げば遥を探す時間も取れると胸が躍った。
「面談は13時開始だ、早く行け」
あいつの言葉を背に聞きながら、急いで地下室を駆け上がった。
慌ただしく地下室を駆け上がる背中を見送る英嗣の口端がニヤリと不気味に上がった。
「俺だ。今から向かわせる」
残る英嗣は暗闇の中、誰かと話をしているようだ。
「予定通り進めろ」
企みなど知らぬ海斗は遥の元へ向かっている。
遥に……会えるだろうか。
久しぶりに自分の部屋に戻り、荷物をまとめると急いで外に出た。
慣れた道を急いで走る。強い陽射しに目が眩む。暑さのせいか歩く人の姿もまばらだ。
遥、今どうしているんだろう、元気にしているだろうか。
どうか……会えますように。
仕事中の真剣な眼差し、レモンティーを飲む爽やかな横顔、笑う声も表情も……どんな時でも遥は俺を元気にしてくれた。
俺は救われていた。
色んな表情の遥を思い出す。
二人で見た花火……いつもと違う、大人びた遥はとても美しかった。この間のデートも……ソフトクリームを美味しそうに食べる少女のような遥や最後に公園で見た潤んだ瞳。
全てこの目に焼き付けたはずなのに……こんなに大切なのに……明日には消されてしまう。
また会えると思っていた……機械のくせに。遥と共にいられると思った自分が浅はかだったのかもしれない。
何度、後悔しても……反省して止めようと言い聞かせても、俺の足は常に、遥へと向けて進んでいる。
通い慣れたビルを見上げる。
全てが今日で最後だ。
同じ場所にいられる、喜びを噛み締めてオフィスに入る。
会えるかもしれない、その期待も虚しく遥はいなかった。面談を済ませ荷物の片付けに。懐かしい……遥といた場所は出払っているのか誰もいない。
“サブ 笹山遥”
ふと眼に入るモニターの文字。
遥……頑張ってるんだな。
キャリアコースに進んでからたった2か月。来年を待たずに研修を終えて管理職なんて、いくら人が足りないと言ってもそんな異例の大出世があるのだろうか。
すごい……いや、当然なのかもしれない。あれだけ目の前の仕事に一生懸命な人は部署異動しても出会えなかった。努力が認められる日が来たのだと自分事のように嬉しくなる。
遥は今も、そしてこれからもあの日のように一生懸命……生きていくんだ。
俺と違って。
遥は、俺を見て何て言うだろう……怒って、いるだろうか。
いきなり消えた、最低な男だと思っているかもしれない。遥が怒っていたとしても当たり前だ……俺は最低なことをして、遥を傷つけた。
別れなんて言わなくても……遥は俺を、拒絶するかもしれない。遥に、会う資格があるのだろうか……俺に。
ここまで意気込んで急いで来たのに、いざ、遥を探そうとオフィスを出たところで躊躇してしまう……止めて、このまま遥に忘れられてしまう方が、いいのかもしれない。
遥はもう前に進んでいるのかもしれない。
その時……少し先にある階段から誰かが小走りに駆けてくるのが見えた。
遥だ……!!
白いシャツを着て、髪が伸びたのか束ねていて少し雰囲気が変わったけれど、絶対に遥だ。
間違いない。
小脇に何かを抱えて小走りに機材室に入っていく。
遥!
心で叫んで、ほぼ反射的に遥の後を追いかける。遥は俺に気づかない。何かを探す後ろ姿に込み上げる懐かしさ。
すぐ声をかけることも出来たけれど、その姿を目に焼き付けておきたい気持ちもある。
会いたかった……どれだけ、この日を夢に見ただろうか。
今、遥が……俺の目の前に、声が届くほど近くにいるんだ。
遥……ごめん。
連絡出来なかったこと、もう二度と会えないこと、今後……偶然、どこかで出会っても俺の記憶は消されていて一緒に過ごした日々を覚えていないだろうこと……遥の背中に向かって、心の中で話しかける。
やっぱり、このまま帰ろう。彼女の邪魔を、これ以上してはいけない。
俺が記憶を失くした後で、父が遥に何かをしても俺は遥を、守ることが出来ない。後は……水野さんに託そう。
遥……好きだなんて……無責任に言ってごめん。
でも、本当の気持ちだった。
ありがとう。
全て言い終えて、振り返った次の瞬間……何かの拍子にバランスを崩した背の高い三脚や脚立が傾くのが見えた。
倒れていく……その先には……。
「遥、危ない!! 」
迷う間もなく咄嗟に、叫んでいた。
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