第21話 別れの足音


「私も……声聴きたかった」


 少しかすれた声の向こうで遥はどんな表情をしているのだろう。俺のこと、どう思ってくれているんだろう。


 本当は声だけじゃないんだ。


 会いたい……会って、抱きしめたい。


 そんな事言えるわけもなく平静を装う。


「仕事忙しい? テラスに行ったらいなかったから……」

「うん……今日は休みだったの。海斗はどう? 仕事忙しい? 」


 海斗……そんなふうに呼ばれただけで胸の中がざわつく。インターンが終わるまでは側にいられると思っていたのに、幸せな時間は思った以上に短かった。


 遥は慣れない環境で戸惑っているらしい。疲れている様子の遥に言葉を飲み込んで通信を切り上げた。


 “離れなさい”


 あの人の声がこだまする。


 “彼女の命がどうなろうと知ったことではありません。ですが巻き込みたくないのなら、関わりを断ちなさい”


 分かっている、そんな事。どうしたらそんな機械的に物事を考えられるのか。父親といい水野といい、どうして、あんな機械みたいな奴等が人間なんだ。


 どうして俺はロイドなんだ!!


 机を殴る手に感じない“痛み”という感覚。


「何をしている」


 背後から聴こえる声。


「別になんでもありません」

「壊れたらどうする、お前はロイドだろう」


 クスクスと怒りを刺激する笑い、力任せに殴りかかりたい衝動をぐっとこらえる。


「笹山遥、2025年10月29日生まれ、明城大卒業後、現在の勤務先であるEdu company入社、大した能力はないが急遽欠員が出たため先週よりキャリア養成課に配属。プライベートでは隣町にある赤い三角屋根の家に両親と三歳上の兄と暮らす。交友関係は中学時代からの友人が2人、どちらも女だ。幸い男の影はないが、いかがわしい場所に出入りしている」

「やめろ!! 」

「知りたいのだろう、お前が仕留め損ねたターゲットの事を」

「ターゲット……遥に何を」

「何もしていないさ、するのはお前だ。草野海斗、お前はロイドだぞ。まさか本当に愛だと思って近付いていたのか」


 また嘲笑うように響く高笑い。


「殺したいだろう、残念だな。お前が殺すのは俺じゃなくてお前が決めた、ターゲットの笹山遥だ」

「俺が……決めた……? 」

「オフィスに入れなくて困っていたお前が声を掛けられた時、センサーが作動しあの女に狙いを定めた、もう忘れたのか」


 ターゲット……センサー……ぐらりと視界が眩む。


「本来、己の手を汚したくはないが、お前がやらないのなら仕方ない。あの女、少しお前を知りすぎたようだからな」

「やめろ!! 遥に手を出すな」

「遥……か、まぁ、せいぜい楽しんでおくことだな。インターンが終われば、また記憶を消され別の場所に配置されるだけ……お前など所詮その程度だ」


 凄むような低い声……父は本気だ、本気で遥を狙っている。部屋を出ていく背中を睨み付けても、俺を造り出した父親に、太刀打ちできるわけはない。


 ターゲット……俺の中のセンサーが遥に反応して狙いを定め、無意識の内に接近させていた。

 

 ならこの気持ちはなんだ……怒りに任せ、荒くベッドに横たわる。


 目を閉じると、甦るのは遥の笑顔。次に浮かんだのは……一生懸命働いていた、あの日の姿。


 遥の描く未来はどんなものだろう……聞いたことはないけれど、一生懸命生きる彼女の人生を……自分が潰す訳にいかない。


 初めて会ったその日から……俺は遥だけを見ていた。


 やっと遥と呼べるくらいになって、まだ話したい事も、行きたい所もたくさんある。


 それなのに……頭が混乱して熱くなってくる。


 落ち着けるために電気を消して薄暗い天井を、ぼんやりと眺める。


 綺麗な花火……だったな。


 あの日、二人で見たまばゆい輝きが浮かび上がる。光に照らされた彼女の横顔は、とても美しかった。


 花火みたいに……すぐに散るんだな。


 俺の記憶容量は莫大だけれど、データだから簡単に消されてしまう。


 今までの経歴や学んだ事などデータとしては話せても、知り合った人の名や友達がいたか、こんな風に誰かに惹かれたことがあるかは覚えていない……エピソードとしての記憶がない。それは、今まであの父親に記憶を消されて来たからだろう。


 自分なりにロイドについて調べたこともあった。


 ロイドというのは機能的に心や感情を持てず、自発的に動くことはできないらしい。一見、自発的に人と同じように動いているように見えても、全てはプログラミングされた脳内の学習システムに動かされているという事だ。


 現在、世界にいる全てのロイドは意思を持たないように定期的にシステムの更新をされていて、国がロイドデータを管理し、政治や教育など特定業種に就くことを禁止するなど、ロイドと利用者を厳しく管理している。


 そして何らかの誤作動を起こした場合、そのロイドは廃棄される。


 俺は、父が限りなく人に近づけて作った特殊なロイドだ。ロイドと分からないように人工皮膚を使い、飲食もできる。


 遥への想い、それは本当にプログラミングなんてものだろうか。


 理解できない。


 ただ今言えるのはこんな時……どうにも遥に会いたくなるということだけだ。


 ずっと一人……その孤独も、恐怖も、彼女といると忘れられた。隣にいる時はロイドであるということさえも、忘れていた。


 出来ることならこれからも一緒にいたい。彼女に嫌と言われるまで。


 でも、俺は隠れロイドという得体の知れない作り物だ。国に認められてさえいない。


 彼女の人生に関わることなど許されないし……正体がバレた日には、遥や会社や……関わっている全ての人達が社会的に制裁を受けてしまう。


 遥から離れる……遥を忘れる……考えたくなくて目を開ける、天井の眩い光。


 あの花火の日以来、会えない日が続いている。最後にもう一度、どうしても彼女に会いたかった。







「身勝手なものだな、殺すと分かっていても会いたいとは」


 薄暗闇の地下室、緑のライトが妖しく光る中ぼそぼそと呟く英嗣。


「しかし瞳も脳もやられているとは……どれだけ金をかけたと思っているんだ!! 」


 狙い通りというように海斗を挑発していたはずの英嗣も、なぜか怒りをあらわにしている。


「許さん……笹山遥……」


 人が皆、寝静まる深夜。


 合図のように轟く雷鳴は、何を告げているのだろう。海斗に“殺せ”と囁いたのは悪魔のような英嗣の企みだった。


 しかしそれを知っても尚、自分の気持ちを抑えられず、海斗は遥に会おうとしている。


 燃え始めた英嗣の狂気はどこに向かうのか、知らないのは遥だけになった。


 水野、英嗣、海斗……立場の違う三人がどう動くか、それによって遥の運命は決められようとしていた。



 そして翌日。


 仕事を終えた海斗は帰り道を歩きながら、夜空に浮かぶ月を眺めていた。


「忙しかった? 」

「ううん、大丈夫。海斗は? 」

「うん、これから帰るところ」

「こんな時間に? 遅くまで大変だね」


 遥に連絡し、声を聴きながら微笑む海斗。重なる会話を味わうようにゆっくり話す。


「前にさ、カフェ教えてくれたの覚えてる? 」

「カフェ? 公園で話した時の? 」

「そうそう! 」

「なんか懐かしいね」


 やっと明るくなり始めた遥の声に、海斗の表情が優しく緩む。その心の内を知るのは照らす月だけかもしれない。


「一緒に……行けないかな」


 あの日、遠慮して飲み込んだ言葉。


「一緒に……? 」

「うん、それとさ、案内してほしいんだ。この街の事なにも知らないしさ。遥の好きな場所とか、教えてほしい」


 海斗から微笑みが消えて、表情は闇に隠れる。


 月に雲がかかる。


「しょうがないなぁ、今度一緒に行こうね」


 遥の笑い声を耳に焼き付けながら海斗は、言葉を続ける。


「今度の日曜って……どうかな」


 海斗は遥に会う決意を固めていた。



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