第三章 秘密

第19話 光る夜

〈第19話 光る夜〉



 坂野さん、山田さん、そして草野君がいなくなったオフィス、一人残る巻さんに見送られてチームから離れた。


 明日は待ちに待った約束の日。


「やっぱり! はるちゃんに似合うと思ったんだぁ」


 前日の夜、タマと明日の準備。鏡の前には浴衣を着て髪をまとめた私が立っている。胸を張るタマはいつもよりちょっとおしゃべり。


「これ見た時にビビッと来たんだ! 絶対、はるちゃんに似合うって。メイクもほんのり色っぽく見えるようにしたから、はるちゃんの色気が更に引き立ってるでしょ~! はるちゃんは元々、色っぽくて美人さんなんだからね」


 確かに、いつもより少しだけ……大人に見えるかもしれないけど、女の子の格好をしている私を……草野君はどう思うだろう。


 友達としてだったら、驚くよね。


「暗くするね」


 タマの一言で照明が消える。


「うわぁ……」


 暗闇に浮かぶ蓮の花。肩から足元にかけて流線型に流れて光る。お揃いの髪飾りまでほんのり桃色に光って、うっとりするほど綺麗。


「きれいでしょ」

「うん……」


 思わず見惚れてしまう。


 綺麗なのは私じゃなくて浴衣、でも用意してくれたタマの気持ちが嬉しい。


「綺麗なのは私じゃなくて浴衣って思ってるでしょ」


 気持ちを見透かすタマ。


「自信持ってほしいな。はるちゃんには樹梨ちゃんや夢瑠ちゃんが持ってない良いところがたくさんあるんだよ」

「タマ……」

「タマね、嬉しいんだ。はるちゃんがはるちゃんでいられる人と、やっと巡り会えたんだもん」

「ありがと……タマ、大好き」

「はるちゃん泣かないで、タマも泣けてきちゃうよぉ」


 タマの涙声につられてしんみりした雰囲気、何だか卒業式みたいに見送られている気がする。


 数時間、会う約束をしただけなのに。


 変わっていく予感がする、色んな事。


「はるちゃん、あんまり泣いちゃうと目が腫れるからね」

「うん、わかった、我慢する」


 楽しみで、不安で、少し寂しい、そんな夜。そわそわして眠れなかった。







「じゃあ……いってくるね」

「いってらっしゃい」


 いつも通りタマに見送られて部屋を出る。


 日が暮れた薄暗い街並みを提灯の灯りが、星のように照らしている。一歩ずつ慎重に歩く私。慣れない下駄のせいもあるけれど、草野君と出逢った日からの色んな事、何だか浮かんでくる。


「お待たせ……ごめんね、遅くなっちゃって」


 待ち合わせ場所にはもう草野君がいて、俯いて本を読んでいた。


「いいよ、まだ時間あるから」


 立ち上がる草野君は黒いTシャツを着て、いつもより少しラフな感じ。私を見て一瞬……戸惑うように静止する。やっぱり、気合い入れ過ぎたのかな……不安が立ちのぼる。


「行こっか」

「うん」


 歩き出す草野君の少し後について歩く私。いつもは同じ歩幅で隣を歩けるのに今日は、横顔じゃなくて背中だけが見える。


 草野君じゃ……ないみたい。


 ワンコみたいに優しい時と、気持ちを探るみたいに見つめる時、それと……素っ気ない時。


 どれが本当の草野君なんだろう。


 本当は……どんな人なんだろう。


 背中を見つめて問い掛けても答えはわからない。知りたいのに……あなたはだあれなんて、戸惑うだけの私。


 振り向いてもくれない、黒い背中。


 どんな気持ちで花火に誘ってくれたんだろう。


 進むに連れて多くなってくる人が波のように私を流す。人の肩とか頭とか、賑やかな熱気に頭がぼーっとしてくる。


「遥」


 どこからか声がして引き寄せられる身体。大きい手に私の右手が包まれる。


「ちゃんと側にいて、はぐれるから」


 鼓動が跳ねる。


 やっと交わした視線、強くて……草野君が男の人に見える。


「ごめん……」


 謝った後も繋がれたままの手、初めて感じる温もり。


 喜んでいる、心が。


 言葉がなくても、人混みにどうかなりそうでも、温もりを感じられるだけで、心があったかくなっていく。


 私が私でいられる人……彼がそうなんだ。


「それ、なんていうの? 」

「ん? 」

「その着てるの」

「あ、浴衣のこと? かわいいよね」

「浴衣っていうんだ……」

「うん……」


 いつもよりぎこちない会話。


「その光で見つけられたんだ、さっき」


 今日初めて見る草野君の笑顔。優しいオレンジ色の、提灯の灯りみたいに私の心にぽっと灯る。


「かわいい」


 浴衣がかわいいんだって分かってるけど、嬉しくて。ニヤけた恥ずかしい顔が夜空に隠れてくれたらいいのに。


 手を繋いで歩く草野君と私。


 やっと隣で見られる横顔、それだけでいい……浸っていると草野君の足が止まる。


「着いた! 」


 はしゃぐような声、嬉しそうに私を見るその目がまたワンコになってる。


 案内されて部屋に入る。二人して子供みたいにはしゃいで、笑い合って。やっといつもの草野君との時間に、ほっとする。


「そろそろ始まるよ、座ろ」

「うん……」


 二人掛けのソファー、もう人混みじゃないのに手を引かれて一緒に座る。


 肩が触れてしまいそうなぐらいの距離、ドキドキを抑えるようにメニューを開く。


「草野君なに飲む? 」


 返ってこない返事、振り向くと真っ直ぐ私を見つめる瞳。


「海斗って呼んでよ」

「え……? 」

「俺も遥って呼んでる」


 少し不満そうな、初めて見る表情……重なる視線が急に熱くなる。


「うん……」


 こんなふうに見つめられたら意識せずになんていられない。


 また見られて離れない視線が近付いてくる……もしかして。


「お待たせしました、これより打ち上げを開始致します」


 アナウンスに邪魔されて離れた視線。

 

 今……私達……。


「始まるね」

「うん……」


 動揺を抑えきれないまま頷く私と、まだ見ぬ花火に瞳をキラキラさせてる……海斗。


 弄ばれてる、初めてじゃないのかもしれない、女の子とのこういう時間。


「あ、上がってく! 」


 子供のように夜空を見上げる海斗の瞳。


 まぁ……いっか。


 弾ける色とりどりの煌めきが、夜空にはらはらと降り注いで消えていく。


 見惚れるような横顔。


「綺麗だね」

「うん」


 私のことも忘れないでね、たまにでいいから。


 上がる花火を一緒に見てる、その横顔を眺めながら過ごす幸せな時間。


「ん? 」


 見られてることに気付いた海斗。


「面白いよ、海斗見てるの」

「や、やめてよ、恥ずかしいから」

「やだ、やめない」


 笑いかけると恥ずかしそうに目をそらす海斗。


「海斗だっていつもしてるんだからね、じーっと私のこと見るじゃない」

「だって遥見てると面白いんだもん」

「私も、海斗見てると面白いんだもん」

「だめ、俺はいいけど遥はだめ、わかった? 」

「なんかずるい……」


 そう、ずるい海斗に手のひらで転がされて、きっともう気持ちなんて気付かれてる。満足そうな海斗に踊らされて戸惑う時間が、花火と共に流れていく。


「夜空の中でお楽しみください」


 何が起こるかわからない私達の座るソファが動き出して、背もたれが倒れていく。


 一面に広がる夜空に寝そべる私達、世界中にただ海斗と二人、浮かんでいるみたい。


「すごいね、浮かんでるみたい」


 同じことを思う私達の前に駆け上がる銀の光。


 ドォン……サラサラサラ……。


 遠くから響いてくる微かな音。


 目の前で上がる大きな花火に釘付けにされる。夜空に浮かぶのは色んな形の光。


 薔薇にソフトクリームに織姫と彦星も。


 好きになってから離れるなんて、絶対に辛いはず……産まれて初めて、織姫の気持ちを想像してみたりする。


 そうして更けていく花火の夜。


 永遠に二人浮かんでいたい、そんな夜だった。






「あー、楽しかった! 」

「すごかったね」


 手を繋いで歩く帰り道。でも、もう甘い雰囲気なんてどこにもなくて、ワンコの瞳ではしゃぐいつもの草野君と私。


 それもあともう少し……歩いて駅前まで戻ってきたらきっとお別れで。


 もっと一緒にいたい、あんなに楽しみにしていた時も過ぎてしまえばあっけなくて。


 無言で人並みに呑まれる私達。


 会社でも別々になって、公園にも夏の間はきっと行かない。偶然出会うなんてきっともう出来ないような、そんな気がする。


「一緒に帰ろう」


 黙って頷くと、握る力が強くなる。


 私も握り返す。


 楽しく騒いだお祭りの後、残るのは寂しさ漂う夜の闇。


 これから先もこうしていられないかな、また“遥”って呼ばれたいんだ……好きって言ったらどんな顔するかな。


「今日はありがとうございました、笹山さんと見られて……よかったです」


 二人で歩く時間はあっという間に過ぎていって。別れ際、家の前でさよならをする。


 笹山さん……そう呼ぶ草野君の言葉で魔法はあっけなく解けた。


「行きますね……おやすみなさい」

「気をつけてね……おやすみ」


 歩いていく、遠くなっていく背中。


 振り返ってくれないかな、願いは虚しく……夜の闇に消えていった。


 




 お祭りの後、灯りの消えた街並みを海斗はとぼとぼと歩いていた。


 何が起きているのか……どうすべきか考えながら、何も思いつかず思考は暴れている。


 それにしても、綺麗だった。


 思わず抱き寄せキスを……してしまうところだった。


 そんな事をしたら、触れたら気付かれてしまう……人間ではないと。


 遥……今日のように、肩が触れ合うぐらいの距離で笑い合っていられたら、この先もそう呼べたらどれだけ幸せだろう。


 でも、出来ない。


 俺の知らない所で何かが動いている。


 “今だ、れ”


 遥を見つめた時、脳内で響いた声に一瞬乗っ取られそうになった。


 調べなければ遥が危ない……でもどうすれば。


「奇遇ですね」

「水野さん……!? 」


 音もなく現れた彼女を見て、俺はこの人生の終わりを悟った。

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