第17話 自覚


「草野君……今忙しい? 」


 笹山さんに声を掛けられたのは、一週間後の事だった。あれからさり気なく避けてきた、でも狭い撮影ブースの中でふたりきり。逃げられる場所はどこにもない。


「大丈夫です」


 久しぶりなのに……直視出来ない。視線をメモ帳に落としたまま、わざと無愛想に返事をする。


「応援のスタッフが来てくれることになって、今日の午後と明日と……私達休み取れる事になったの、それでね……よかったらお昼、一緒にどうかなって思ったんだけど……この間のお礼もしたいし」


 突然の誘いを、俺は棒に振った。


「すみません、課題が溜まってて」

「そっか、そうだよね……ごめんね、気付かなくて。終わったら帰ってね」


 一瞬、空気が凍る。


 傷つけた。


 彼女の表情かおを見た瞬間、それは俺にもよく分かった。グサリと何かが胸に刺さる。


 ランチぐらい行けばいい。


 初めて笹山さんから誘われて嬉しいくせに冷たく断って傷つけるなんて……こんな態度を取ったら、もう二度と楽しく話すなんて出来ないかもしれない。


 それなのに俺は……わからない、なんで彼女にだけこんな気持ちになるのか。


 笹山さんが去った後の撮影ブースで、一人……あの日の彼女を思い返していた。


 顔にかかるさらさらの髪、柔らかそうな頬、ノースリーブから覗く細い腕……夕暮れのオフィスで眠る彼女は幻のように儚く、今にも壊れてしまいそうで……起こさないように、そっと……離れた。


 こんなに美しく、ひたむきな女性に出逢ったことがなかった。


 何故、彼女にだけこんな気持ちになるのか……どれだけ考えても答えは出ない。


 もう関わるのは止めよう、毎朝そう思うのに彼女が目の前にいると……ずっと見ていたくて、二人で話したくて……笑ってほしくて、近づいていってしまう。


 俺が人間だったら……こんなに悩みはしない。


 でも、俺は人間じゃない。得体の知れない男が作った操り人形だから、人間と無闇に関わるわけにはいかない。


 そう教えられてきた。


「草野さん」

「は、はい! 」


 背後から呼ばれて振り返ると、なぜか社長がいる。


「少し、話せますか? 」

「はい」


 俺が答えると社長は、いそいそと俺に向き合って座る。何か……怪しまれるようなことでもしただろうか。


「この度はうちの事情で思うようにインターンが出来なくて、本当に申し訳ないね」

「いえ、大丈夫です」


 インターンなんて会社の端の端、ちっぽけな存在にも、社長は丁寧に接してくれる。


 でも……騙しているんだ、社長や笹山さんを含め、良くしてくれるみんなを。


「知ってるかな。チーフの坂野さん、復帰できそうになくてね。山田さんも辞めてしまったし、今の体制では君の教育が難しくなりそうだ。君の希望分野と違って大変申し訳ないが……会社としては企画部門への異動をお願いしたいと思っている」

「異動……ですか? 」


 まるで、彼女からベリッと引き剥がされるようだ。自分が自分を、嘲笑っている。


「あぁ、もちろん大学にはこちらから説明するし、君の進路上、不利になるような事はしないと約束するよ。それにもし、君が今の仕事に興味を持ってくれたなら、来年の春、改めて迎え入れよう。ただ今は……申し訳ない」

「あの……どうなるんでしょうか? 僕でなくて、その、チームの皆さんは」

「まずは応援スタッフを投入するよ、二人だけではどうにもならないからね。笹山さんに責任者を任せる事になるが、色々段階を踏まないといけないからね、まだ時間がかかりそうだ」

「そうですか……」

「とにかく君は何も心配しなくていい。正式な日程は早めに検討してまた伝えるよ。帰り際に済まなかったね」


 社長は、最後にニコッと笑って撮影ブースから出ていった。


 結局、俺は余所者よそものだ。教わる立場の俺に、彼女を助ける資格なんてない。


 異動……か。


 彼女と離れる、もう側にいることは出来ない……突然来た別れにただ呆然とするしかなかった。







「企画部門か……あまり好ましくはないがそういう事情なら仕方がない。それに、今のお前にはちょうどいいだろう」


 わかりやすく俺を嘲笑う父親は、恐らく彼女への気持ちを知っている。どうせメンテナンスの時にメモリーを見たのだろう。


「心配はしていないさ、お前は所詮、俺に逆らえないからな」


 興奮か安堵か……異常にテンションの高い父が腹立たしい。


「人間は変わり身が早い。好意をほのめかすだけで、どうせすぐ他の男になびく。虚しいものだな。機械マシーンが人間を一方的に愛するなど」


 愛……?


 まさか、この男の口から聞かされるとは思わなかった。


 俺の気持ちについた名前を。


 彼女を……愛しているのか、俺は。


 一緒に走った日、柔らかな髪を風になびかせ、楽しそうに笑う……あの横顔。


 時折見せる不安げな表情とピンチを前にして見せた強い一面。


 そして、心地良さそうに眠る……穏やかな寝顔。


 隣で見ていたい、誰にも触れられたくない、もっと……近づきたい……この気持ちが……愛……なのか。


「残念だったな、海斗」


 遅かった、気付くのが。


 勝ち誇った高笑いが響く。何もできない自分が情けなくて、虚しかった。








「ええ、上司は始末しました。海斗が人間では不可能な処理能力を見せた為怪しまれたようです」


 海斗が去った地下室で誰かと話すのは父の英嗣えいじだ。


「他者に漏れてはいませんが、さすがロイド禁止業だけあってあちら側の間者かんじゃが多い……山田とやらは素人のじゃじゃ馬、坂野は捜査員の可能性があり、殺さずに動向を伺っています」


 山田と坂野……海斗の上司だった二人は……この男に消されたということだろうか。普段と違い、饒舌じょうぜつ英嗣えいじは尚も言葉を続ける。


「海斗には命じてありますが、どうも女にいい所を見せたかったらしい。問題はありません、引き離せば更に強く引き合うのが……男と女というものです。海斗は直接、あの女を誘惑するでしょう」


 暗闇の中、表情は見えない。ただ低い声だけが怪しく響く。

 

「笹山遥……いい実験台になりそうだ。えぇ、そのつもりでご協力を」


 英嗣えいじは通信を終えると、気味の悪い声で笑う。


「言っただろう、海斗。お前のやることは全て裏目に出る……お前のせいで二人、まずは死ぬ。そして次は……あの女だ」


 興奮冷めやらぬ様子で高笑いを響かせる英嗣えいじ


 遥が狙われている……2階にいる海斗には、そんな父の企みなど気付けるわけもなかった。


 その海斗は、自室でベッドに横たわっていた。海斗は充電式ではない。英嗣えいじ曰く皮膚から太陽光を取り入れる仕組みらしく、自宅でも人間と同じようにベッドに横たわり、睡眠を取る。


 でも今夜は眠れそうになかった。


 遥は、もう眠ったんだろうな……静まり返る深夜3時。一人、考えるのは彼女の事だ。


 今まで色んな彼女を見てきた。その全てが、失くしたくない……大切にしまっておきたい、想い出だ。


 その最後が今日の……傷ついた、あの表情になるのだろうか。


 遥……一度もそう呼ぶ事は出来なかった。


 もうじき夏が来る。


 真夏の炎天下の中、公園でランニングなどさすがに出来ないだろう。


 職場も公園も、彼女に会えそうな機会はもぎ取られるように、なくなってしまう。


 あの人を……遥を愛している、やっと、やっと、気付けたのに。


 目を閉じると浮かんでくる……いろんな遥。


 “草野君! ” 


 あの日、嬉しそうな表情で偶然会えた事を喜んでくれた。


 抱きしめたい……どこからか湧いてくる衝動を必死に抑えた、もう、気持ちを動かさないでいるのに必死だった。


 愛している……ロイドなのに、心なんて持っていないはずの人間もどきなのに。


 傷ついた、泣きそうな今日の表情……それすら包み込みたくなった。


 離れられない。


 このまま、離れたくない。


 何か、方法はないだろうか……彼女に忘れられない方法、せめて、あの会社にいる間だけでも。


 “始まらないなら始めればいい”


 流れてくる曲のフレーズ。


 あの会社に入る日に出逢った曲。


 “rubble《ラブル》好きなんだね”


 まだ有名でないバンドを知っていた彼女……イメージと違うけど、聴くのかな。


 ふっと、口元が緩むのがわかった。


 会いたいな……もっと近くなりたい……考えるうち、夜は更けていった。

 

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